幕間 御柱黎明の事変
「なぜ秋島議員は捕まらない!」
「FBIが総力を挙げて捜索しているそうだがまだ見つかっていないらしい……」
「アメリカ国内にいないのではないか?」
「馬鹿な。アメリカの空港は、動画が挙げられた時点ですでに検問が張られている。陸路の国境もだ。どうやって国外に出るというんだ」
喧々諤々。そう言うに相応しい議論が交わされるここは日本民政党本部会議室。
そこでは現在、【マニュアル】を暴露した秋島の所在について話し合いが行われていた。
騒いだところで国内に出てしまった秋島に対し、この国の議員では何もできないというのに……。
「南場先生! どうなさるおつもりですか! これはれっきとした売国行為ですぞ!」
「そうです! 秋島議員を国際指名手配し政治犯として世界に知らしめるべきです!」
「この状況でですか?」
南場がそう告げた瞬間、当事務所の騒音が会議室の窓をたたく。
『日本民政党は秋島議員の告発が事実であるのか否か、即刻会見を開け!』
『マニュアルの有無確認のため党事務所の即時捜索を要求する!』
何が起こっているのかは見ずとも分かった。
秋島議員の告発を信じた国民たちが、数百万人のデモ隊となって日本民政党本部を取り囲んでいるのだ。
「このような状況で秋島議員を国際指名手配したところで、事実の隠蔽に走ったと思われるのがオチです」
「で、ですが……」
「認めるわけにもいきますまい! せめて情報操作で時間を稼がねば」
長年自身の右腕として党運営をさえてきてくれた男の言葉に、それでも南場は頭を振った。
「いつもなら、芸能人やほか政党政治家のスキャンダルでお茶を濁すこともできるが、マニュアルの内容がその行為をするように推奨してしまっている以上、もはやそれも通じない……我々は現在、マニュアルの実在を疑われたうえ、それの使用を封じられた状態で彼らの前に【マニュアルなどないと納得のいく説明をする】という状態に強いられている」
そんな……。できるはずがない……。
そんな内心が聞こえる党員たちの焦りをはらんだ囁きが、会議室を満たした。
そんな中、南場は一人考える。
(一体、なぜこうなった……。秋島君も馬鹿じゃない。こんなことをすれば日本が国際社会上まずい位置に立たされたあげく、秋島君も二度とこの日本の土を踏めないことくらい理解していたはずだ……。それなのに秋島君は世界にマニュアルの存在を公表し、身を隠すことを選んだ……)
言ってしまえば今回の公開行為は諸刃の剣だ。
秋島が何を言ってもまだ誤魔化しがきいた日本国内での発表をしなかったことで、秋島は日本民政党を追い詰めたが、同時にもしも日本民政党が体勢を立て直せた際に、自分が帰る国を失うこととなる。
(この武器で、確実に私たちを殺せる議員がいるとでも? いや、いるはずが無い)
どれだけまずい情報であったとしても、日本民政党が最大議席を持つ巨大政党である事実は変わらない。
普段より時間はかかるだろうが、適当な議員を尻尾として切り捨て、ただの噂としてマニュアルをうやむやにしながら、適当な国際問題をでっちあげて国民の目をそちらに向けると言う手もあるにはある。
何なら今一帯一路で完全に経済破綻し内乱が起こっている中国や、昔からこちらにいちゃもんを付けてくる韓国などが勝手に問題を起こしてくれる可能性もある。
それらをさせずに他議員と共に日本民政党を攻撃させるほど求心力がある人物は今の所野党にはおらず、かろうじて躍進を果たした東條が筆頭に上がる程度。
その東條にしても影響力はせいぜい民生改革党内部にとどまるものでしかなく、他野党が彼に従うとは到底思えなかった。
(秋島君……。一体君は何を期待している? 君だってわかっていたはずだ。今のこの日本において、邪竜を倒せるジークフリートはいない……いや)
そこでふと、南場は花見の時に出会った秘書の顔を思い出していた。
東條の躍進を支えたブレイン。
秋島が友人としてたたえる人物。
今の民生改革党の形を整えた、時代の寵児の顔を――。
「秋島君、君は――」
「南場先生?」
思わず声にもれた。
隣の秘書が怪訝そうな視線を向けてくる。
それを気にすることなく、南場は口角を吊り上げ天井を見上げた。
「彼なら私たちを殺せると、本気でそう思ったんだな」
御柱黎明――かつて会ったあの青年の不敵な笑みを思い出しながら、南場は吐き捨てるようにつぶやいた。
「勘違いだ。彼では私たちを殺せないよ」
■ ■ ■
「レイメイ・ミハシラですか?」
カナダから飛びだった小型旅客機。
イギリスを目的とするその飛行機の機内で、秋島はサングラスをかけた金髪の女性エージェントと会話をしていた。
「あぁ、私の友人で……これから日本の未来をしょって立つ男だ」
「随分と信頼されているのですね。そんなに優秀な男なのですか?」
「うーん。そううだね」
エージェントの言葉に秋島はしばらく考えた後。
「いや、普通の男だね」
「は?」
「ごくごく一般的な小市民だ。でかい夢はあるが、政治なんて言葉は大学辞めるまで触れたこともなかったみたいだし……国際情勢にも疎く、国内情勢にも疎い」
「そんな男を当てにして、こんな暴挙に及んだと?」
信じられないと言いたげにサングラスの奥の目を見開くエージェントに、秋島は苦笑を浮かべながら肩をすくめた。
「あぁ、それでも、彼に賭ければ面白いと思ったからね」
「面白い、ですか?」
「あぁ……。彼はどこにでもいる一般市民だ」
そう言いながら旅客機に供えられた冷蔵庫から、日本酒を取り出し「飲むかい?」とエージェントに差し出してくる。
「職務中ですので」
「硬いなぁ……。まぁいいや。で、一般市民である彼は――同時に政治に嘘を持ち込ませない」
「嘘を持ち込ませない?」
「あぁ、だって彼は――誰もがわかることを、だれもがわかる言葉で指摘するんだから」
それのどこがすごいことなんだ? と首をかしげるエージェントに秋島は笑う。自慢するように、笑い続ける。
「誰でもわかる言葉で現状説明できる。それは政治家にとって稀有な才能だ。基本技能にして、極意ともいえるものだ。だが今の日本政治は様々な問題によってがんじがらめになっている」
そう言いつつ秋島は指を折っていく。
「中国への北海道返還要求。
アメリカの沖縄接収問題の解消。
国内で多くの雇用を創出している、各種企業・財閥への根回し。
政府を信用していない国民の信用回復。
超少子高齢化で先細りしているGDPの解決。
一時期受け入れたために、日本の土地をいくつか占拠した在日難民・違法滞在者問題。
あげていけばきりがない……」
「今更思うのですが、よくそんな問題まみれで国家運営ができていましたね」
「逆だよ。それだけの問題がありながら、まともな国家として運営してきた日本民政党の政治的立ち回りが異常なんだ」
だが、臭い物に蓋をする行為もそろそろ限界に来つつある。
秋島はそう告げながら、グラスに入れた芋焼酎のロックをあおった。
「だからこそ、今の時代だからこそ彼の才覚は輝く。封じられていた諸問題を、だれもが分かりやすい形で説明し――誰もが分かる形でその解決策を示す」
「それだけでは絵に描いた餅だと思いますが?」
「そうだね。政治は綺麗事じゃない。発言に力を持たせるためには、それ相応の実力がいる。財力だったり、武力だったり、権力だったりね。今の黎明にはそれがない。それは彼が一番よく理解している」
そういうと、秋島は酔っているのかわずかにほほを赤らめながらグラスを置いた。
「だから彼は、今回動くことにした」
「え?」
「あぁ……。彼は日本民政党との暗闘なんて視野に入れていない。それは今回ただの着火剤に過ぎない」
くくく、と笑いながら秋島は置いたグラスに指を滑らせる。
まるで琴のような音がグラスから響き渡り、エージェントの鼓膜をわずかに揺らした。
その音に、エージェントの背筋に冷たいものが走る。
「彼はここからはじける。自分に目を付けた南場先生を燃料に、空へと飛び立つ――今回の事件はその下準備だ」
その音はかつて、一つの国家を終わらせた革命で多く使われた、
「勝つか負けるかじゃない。あとは彼がどう飛ぶかなんだよ……エージェントさん」
ギロチンの刃が首を断つ音に、よく似ていた気がした。
■ ■ ■
こうして時代は、永和最大のテロ事件――《奥多摩事変》へとつながっていきます。
この事件の発生により、日本民政党は完全に解体されることとなり、
御柱黎明という男が、表の舞台に顔を出すこととなりました。
これがいったいどれほど重要な歴史のターニングポイントだったのか、未来に生きる我々はそれをよく知っています。
ですが当時に未来人はおらず、この事件の結末を知る者もおりません。
彼らが懸命に生きた足跡のみが現代を作り、歴史として我々に伝わっているのです。
今宵はその足跡をたどり、彼らが一体何を考えどのように動き――そして世界を揺るがす男を生み出したのか――皆さんとともに知っていこうと思います。
シリーズ動画アーカイブ「激動近代史 ──奥多摩事変──」より