3-4:国会動乱 北沖事変
自衛隊ーー奥多摩基地。
俺ーー御子柴源一郎は、この基地にて訓練を積むごくごく一般的な自衛官だ。
主に陸上自衛隊の第一空挺団や、新人自衛官に対する苛烈な環境訓練などを施すこの基地では、多くの若手自衛官が自衛隊入隊と同時に送られ集まっている。
俺は、かつて起こった地元の大地震の際に自衛隊に助けられ自衛官を目指した口なのだが……。
いま、この国の自衛隊には冷たい風が吹いている。
「見て……。奥多摩基地の自衛官よ」
「税金の無駄遣いね……。国民の前にどんなつもりで顔を出しているのかしら」
「……」
「気にするな御子柴。あそこのご婦人たちは自衛隊撤廃運動に参加されておられる方たちだ。あぁいった声はどこにでもあるがそう多くはない」
「ですが……10年前は」
「あれは自衛隊の失点ではなかった。それは政府も認めている。それに、日本全国であの時代は狂っていた……責任があるとするなら、それは日本国民全員に責任があった」
「…………」
10年前――日本史に残る大事件「北沖事変」と呼ばれる大事件があった。
■ ■ ■
始まりは、中国が大規模な艦隊を日本へ向けて出航させたことから始まった。
一帯一路政策に失敗し、多大な負債を抱えた中国は当初余裕などなく、侵攻してくるはずなどないという油断が招いた結果、日本自衛隊は防衛省上層部の事実確認の遅れ(のちに銀座の高級料亭で中国外交官への接待飲み会をしていたと発覚する)などもあり、盛大な領海侵犯を許してしまうことになる。
自衛隊が防衛ラインを構築したころには、中国艦隊は北海道沿岸5㎞圏内に入っており、もはや本土は目と鼻の先というラインまで迫られていた。
だが、中国艦隊がいやらしかったのはここからだ。
『警告。 貴艦は日本領海を侵犯している。 速やかに領海から退去せよ』
海上自衛隊自衛隊の勧告に対し、中国艦隊が発したのは信じられない内容だった。
『現在我が中華人民共和国の人民は、日本の北海道の土地を約75%を購入・私有している』
『だが、昨月10月に発布された【海外資本領土購入対策法】において、その権利は著しく侵害されている』
『当艦隊は北海道に居住する我が国の民と、民の保有する資産を保護するために、武力をもって保護活動を実施するものである』
信じられないことだが、当時の北海道の土地は75%もの面積が中国籍の企業――あるいは個人によって買収されており、大きな社会問題として取り上げられていたのだ。
それに対し、当時の総理大臣 桂誠二は【海外資本領土購入対策法】の施行をおこなった。
この法率の内容は簡略に記すと以下の通りだ。
『日本以外の国の籍を持つ企業・個人による土地の売買は可能とする。だが、戦時下および、それに準ずる緊急事態に日本国が陥った場合、その土地は無償で日本に接収されるものとする』
この法案によって、日本の国土の安全は保障されるものと思われていたのだが、現実として返ってきた結果はこれだ。
後にわかったことなのだが、この法案を当時中国と懇意にしていた、幾人かの議員がこの事変を起こすために画策した苛烈な法案だった。
この法案を通すことによって、中国に日本に対して派兵を行う口実を与えたのだ。
事実、この苛烈な法案は日本に土地を買っていた中国以外の外国企業からも不満の声が上がっており、アメリカ合衆国からも『あまりに、性急かつ将来性を見据えない法案』と痛烈に非難されていた。
だが、長年の弱腰外交に不満を抱いていた日本国民は、この法案を歓迎ムードで迎え入れ、来るなら来やがれという態度を貫いていた。
それだけ日本の自衛隊は信頼されていたし――事実として当時の自衛隊は、高い税金をかけて整えられた装備を持っていたため、世界水準で見るとかなり高い戦闘能力を有していた。
日本国民と――そして自衛隊唯一の誤算は、日本政府が無能すぎたということだった。
当時この事変は注目されていたこともあり、映像資料もきちんと残っている。
艦橋ではこのような会話がなされていた。
「どう思われます艦長?」
「どうもこうもない。そんな無茶苦茶な主張が通るか。中国が武力をもって我が国を侵略しようというのであれば、自衛隊はその本分をもって国土の防衛にあたる。攻撃の指示を出せ」
「わかりました。砲撃用意!」
「艦長! 防衛大臣からの緊急通信です」
「なに?」
後の『売国宣誓通信』と揶揄される当時の防衛大臣――赤城友里恵は通信によってこう述べている。
『攻撃許可は出せません。まだ事実確認が終わっていません』
「な!? 事ここに至って何を!?」
『中国政府は今回の侵攻に関して「我が国は一切関与していない」と宣言しています。それに、その艦隊の装備はつい先月中国軍より民間に販売されたといわれる【江凱II】などでしょう!』
「だから何だというのです? 攻撃力をもった軍艦が、日本の領海を犯していることに違いはありません!」
『本当に民間船だったら中に乗っているのは民間人のはずです! ここで我が国の艦砲が艦内にいる【民間人】を攻撃してしまっては、国際社会から更なる非難を浴びる可能性があります』
「なっ――」
冷静に考えれば無茶苦茶な主張である。
だが前述したとおり【海外資本領土購入対策法】によって当時の日本は国際社会において苦境に立たされていた。
それに対し危機感を抱いたどこぞの国会議員が、不用意な攻撃を止めるという事態は十分に考えられる事態だった。
なにより、日本の防衛力は文民統治が原則だった。
どれほど危機的状況に自衛官がさらされたとしても、防衛大臣が「No」と言えば絶対に攻撃はできなかった。
その現実に自衛官たちが愕然とする中、主張を終えた《自称》中国艦隊は、北海道めがけて前進を開始した。
「艦長……いかがいたしますか?」
「……」
「艦長!」
「……火器の使用は許可できない!」
「--ッ!」
「だが船は何としてでも止めろ! 体当たりでもいい! 北海道にはまだ国民が残されている! 何としてでもこの無法者たちの侵入を阻止する」
そこで映像は途絶えた――《自称》中国艦隊が艦砲射撃を開始。
攻撃を封じられた日本艦艇をスクラップになるまで撃ち据え、北海道へと上陸したのだ。
その後、北海道に上陸した《自称》中国艦隊は北海道に残っていた民間人を虐殺しつつ、実効支配領域を拡大。
北海道に駐留していた自衛隊はその武装の使用をことごとく禁じられ、豊富な銃火器を使用する《自称》中国艦隊一方的に打ち倒される末路をたどった。
侵攻開始から24時間後、ようやく事実確認ができたと赤城友里恵が宣言し、火器の使用が許可されたときには、その戦力の80%を喪失していた。
中国本国はこの事態を聞き「誠に遺憾。我が国から放たれた犯罪者たちを註するため、我が国の正規艦隊を派遣し鎮圧にあたる」と宣言。
本格的な中国軍を投入し、北海道を蹂躙した《自称》中国艦隊を粉砕したと発表した。
当然のごとく、そのあと北海道が返還されることなどはなく「いまだ《自称》中国艦隊の残党が潜んでいるため、《人道的支援》を継続を目的とし中国軍を駐留させる」と中国政府は宣言。
現在も北海道は中国が実効支配をする土地となっており、もはや日本の国土とは名ばかりの惨状となっている。
さらに日本に追い打ちをかけたのは、赤城友里恵中国亡命である。
彼女は事件発生から24時間後。事実確認が終わった宣言をしたのち「中国に抗議に行く」と宣言し、単身中国へと渡った。
だが、その後3日たっても音沙汰がなく日本政府がアメリカと合同で事実確認を行ったところ赤城友里恵は、莫大な金をもらい中国に亡命。
名前も顔も変えて、どこかへかくまわれているという事実が判明した。
そう。北海道は赤城友里恵によって売られたのだ。
これが「北沖事変」の始まりとなる、《赤城友里恵売国事件》である。
■ ■ ■
当然これだけでは終わらなかった。
この事態を知り、温厚な日本国民もさすがに激怒。
政府に対し暴動に近いデモ活動が起こされ、国会議事堂前には怒りに満ちた国民が押し寄せた。
本来なら警察や自衛隊が鎮圧に動いてもよさそうなものだが、まさかの防衛大臣の売国行為に、これらの組織も政府に不信感を募らせており、自衛官や警察官が次々と辞表を提出。
装備を持ち出しデモに参加するまでの騒動へと至った。
もはや日本の統治機能は完全にマヒした状態だった。
そんな中、中国がさらなる行動を起こす。
目標は日本最南端――沖縄だった。
当時の沖縄県地祇――我那覇新次郎は、中国の一帯一路政策に一枚かんでいた議員の一人であった。
高額になりつつあった沖縄のインフラ修繕を、格安で請け負ってくれた中国企業に依頼しており、不足していた金は中国から借款という形で借りていた。
だが、この借款の金利は闇金も真っ青なもの。
まっとうな手段で返せる金額などではなく、返せなかった場合は中国が開発したインフラを抑え、事実上その国家の土地を強制徴収するのだ。
その「債務の罠」にかかっていた当時の沖縄県知事に対し中国は「借金の返済」を命令。
事ここにいたり議員も騙されたことを悟ったが、借金自体は正式な契約によってしてしまったものだ。
国際的にも、契約を反故にするとは言えなかった。
結果として返金は不可能と返事をし「ならば沖縄の港を差し押さえる」と中国の侵攻を許してしまうことになる。
これに激怒したのは沖縄に基地を置いていたアメリカ軍だ。
もはや国内の治安維持すらまともにできなくなった日本政府に見切りをつけ、アメリカ軍は独自に「安保理条約の執行」を宣言。
沖縄めがけて発艦した中国艦隊と、アメリカ艦隊が日本海にて激突した。
当然のごとく、中国軍はアメリカに勝てずに廃退。
一帯一路政策の失敗で弱体化していたのは間違いなく、自国の艦艇すら売り払っているような惨状の国に、当時最強の軍隊を持っていたアメリカが負ける道理がなかった。
だが、問題はここからだ。
この事件を受けアメリカは日本政府にこのように宣言したのだ。
『もはや日本政府に沖縄自治の能力はなく、自衛隊戦力は中国の進行に対し無力であることが判明した』
『アメリカはこの事実を憂い、中国に対する日本の国土保護を行うため一時的に沖縄を接収する』
怒りに満ちた当時のアメリカ大統領の宣言に反論するすべを、防衛大臣不在・自衛官、警察官の不足・激しいデモ活動による行政機関マヒに陥っていた日本はもっておらず、沖縄は再びアメリカの統治下におかれることとなった。
これが「北沖事変」の全容であり、日本が沖縄・北海道を失う原因となった、一大事件であった。
■ ■ ■
あの事件以降、まともに国を守れなかった自衛隊に対し国民の風当たりは強かった。
あれだけ税金を払い、高額な軍事費を注ぎ込まれ作り上げられた自称最強の防衛隊が、張子の虎以下でしかなかったのだから当然だろう。
だが、あの事件の詳細を知る人々はだれもが知っていた。
あれは自衛隊の責任ではなかったと。
中国に北海道の土地のほとんどを買われてしまったことも、防衛大臣が売国奴であったことも、沖縄が一帯一路政策にかかわることを止められなかったことも――すべてが政府の失策であったと。
だが、それもそれで……自衛官たちの忸怩たる思いを強くするのだ。
もっと政治家がまともであれば――まともな防衛大臣でさえあれば――!
自分たちは――間違いなく日本の国土を守れていたのに!
そんな思いが、今の自衛官たちの間では蔓延していた。
だが、そんな彼らの思いと裏腹に、事件後も結局日本民政党が国に主権を握り、何事もなかったかのように沖縄と北海道がない日本を統治している。
歴代首相の中には「沖縄も北海道もいずれにしろ過疎化が進んでいた。そのうち人が住まなくなる可能性もあるのだから、無くなろうが関係ない」と抜かすものまでおり、それも自衛官たちのやるせなさを助長していた。
新設された奥多摩基地は新人自衛官や自衛隊最強の第一空挺団がいるため指揮は高い方だったがそれでも基地内に蔓延する「諦観」の空気はぬぐい切れていなかった……。
(もうこの国はだめかもしれない……)
御子柴はそんなことを毎日考えながら、それでも憧れた自衛官だからと惰性でこの基地で訓練している。
そんなある日だった。
「ん?」
先輩に頼まれ近くのコンビニへ物資調達に出ていた御子柴が、いい匂いを感じて立ち止まる。
それは、奥多摩基地で噂になっていた《幽霊アパート》から漂ってきていた。
幽霊アパートとは奥多摩基地が立つ前からその土地に立っていた木造2階建てのアパートだ。
まともな管理人もいないのか、色あせた外壁のあちこちがはがれ木造の素材がむき出しとなっており、庭の草はボーボーで人の気配もないアパートだったのだが……何やらそこからいい匂いがする。
(いったいなんだ? 幽霊がバーベキューでもしているのか?)
と御子柴が不思議に思い中を覗いてみると。
「いいですか、新田先生。バーベキューというのは火加減が大事なのです。強すぎず、弱すぎず……望む時間火にあて望む時間休める。その繊細な工程を踏める者だけが、真なるバーベキュー将軍になりうるのです」
「御柱君……私は別にバーベキュー将軍になりたいわけではないんだけど」
「吾輩のオニオンに不可能などない!」
「あっつ! 熱いよ御柱君! 急に焼けただれた玉ねぎ口にツッコむのやめてよ!?」
なんか不審人物が二名――草刈りしたと思われる雑草が満杯になったゴミ袋を小脇に、バーべーキューをたしなんでいた。




