2-3:苦難の選挙 御柱黎明の暗躍
『あの選挙は歴史に名を残すほどの劇的なものでした』
『一見不利な立場に立たせられた東條先生に対し、多くの人間が集い、多くの人間が権力者に対し否を唱えた』
『あれはまさしく理想的な民主主義国家の姿だったといえるでしょう』
『そして、同時に……理想的な民主主義とはあのように利用されるものなのだと、我々に見せつけるものでした』
――元日本民正党党首:横島春明の回顧録
■ ■ ■
大阪革新党
一時期は一世を風靡し、地方政治に大きな影響を与えた大阪に拠点を置く関西最大の政党。
御柱黎明はその党本部の玄関口にやってきて――
「え? お姉さんマジで30ちょっとなの。信じられない! 若いね。ちょっとこの後お茶でも」
受付嬢を口説いていた……。
西住が見ていたら額に青筋を浮かべて襟首をつかんでいたかもしれない……。
そんな不真面目極まりない黎明に対し、
「ごほん」
「おっと」
ようやく声がかけられる。
黎明が咳払いが聞こえた方へ視線を向けると、そこには口元をひくつせた初老の男が立っていた。
「御柱黎明さんですね? 東條議員の秘書をされておられる」
「あぁ、初めまして。そうです! 私が御柱黎明です!」
大仰な身振りで受付カウンターから体を離し(流れるように受付嬢に、自分のラインIDを記したメモ書きを渡しつつ)、意外なことにかっちりとした動作で、名刺を差し出してきた黎明。
それを受け取りながら、初老の男――大阪革新党議員:天司ヤスヒロ(あまつかさやすひろ)は自身の名刺を返礼として送った。
「それで、今回はどのようなご用件で」
「いや、ご用ってほどじゃないんですけどね――」
黎明はそう言いながら、なれなれしく天司の肩に手をまわし耳打ちする。
「もしも、もしもですよ? お宅の党に移った場合、先生の立場ってのはどんなもんになりますかね?」
「――っ!」
それは文字通りの爆弾。
関西一円の政治勢力図を、瞬く間に塗り替えかねない核兵器がごとき言葉だった。
■ ■ ■
『東條先生は転籍をお考えで?』
思わず出そうになった言葉を、天司は済んでのところで飲み込んだ。
ここで迂闊な発言をする政党ごときでは、あの東條保文は移籍しないという冷静な判断が、彼の発言を押しとどめた。
「そうですな。仮に……仮に東條先生がうちに籍を移された場合の話しですが……。仮にですよ?」
「えぇ、あくまで仮にですね」
ニコニコ笑う黎明をしり目に、天司の脳内では素早い損得勘定が進む。
老齢とはいえ現在の東條保文は関西政治の台風の目だ。
瞬く間に滋賀の経済状況を立て直した挙句、日本に「第四首都」といわれるほどの巨大な都市を作り出した。
彼が政党を移動するとなると、その恩恵は計り知れない。
現在、大阪革新党は最盛期に比べると勢力を落としつつあるのが現状だ。
かつては「大阪から日本に改革を」と期待された新進気鋭だったこの政党も、長年の政治業務の遂行によってこなれてきてはいるが……同時にかつてあったフレッシュさは見る影もなく落ち込んでいる。
支持者の数も目に見えて減ってきており……このままでは地方にいる弱小政党集団に格落ちする日もそう遠くない。
そんな大阪革新党において、東條保の求心力・影響力は何としてでも確保したい至宝だった。
だが同時にこうも思う。
(本当に東條先生はうちの党への移籍を考えておられるのか?)
今回衆議院選挙にて、民生改革党で起きた騒動に関しては当然天司は小耳にはさんでいる。
よその党のごたごただが、騒動の中心はあの東條保文だ。
政治家として関心を向けないわけにはいかなかった。
だが、同時に東條保文は記者会見にて「自分の扱いに納得している」と発言した。
そのうえでこの時期に党の移籍などあまりにも言動がちぐはぐだ。
(何かのパフォーマンスか? それとも、民生改革党がうちに何かを仕掛けるつもりなのか)
何でもかんでも拡散されるこのご時世である。
政治家となった以上、発言には十分以上の警戒が必要となる。
ゆえに――
「東條先生ほどの方に来ていただけるのでしたら、幹事長クラスの待遇をお約束します。ですが、何分移籍となりますとどこの党でもいったんは様子見という形で、実際お約束した役職についていただくまで期間が開くのはご了承いただきたく」
「あぁ、まぁそうっすよねぇ。うちの秋島先生だって今現在その状態ですし」
喉から手が出るほど欲しい逸材ではあるが、ここでひいきを見せるような動きを東條保文は好まない。
辣腕政治家であると同時に、清廉潔白な印象が強い東條の考えを天司はそう読んだ。
だが同時に黎明の返答も予想の域を出ていない。
「まぁ、そんなもんか」という態度だ。
(これは大きな魚を逃したかもしれないな)
天司がそう考え、内心嘆息した時だった。
「にしても先生になんて言うべきかなぁ……」
「…………」
ちょっと困ったように黎明が頭を掻く。
その態度に、ほんの少しの焦りが見えることを、天司は直感で悟る。
長年政治家として多くの人間に触れあってきたのだ。
完全とはいかなくとも、眼前の若造くらいの男が何を考え、何に焦るかは理解できているつもりだ。
「……先生は、民生改革党の今回の判断に納得しておられないと」
「え? いや、まさか! ただまぁ、あの演説で言っていましたけど、先生も御歳ですから。老後を考えてちょっとでもいい条件のところに腰を落ち着けたいなとお考えなのでしょう」
(おためごかしを!)
軽薄な笑みの横を流れる一筋の冷や汗。
あれは、仕事がうまくいっていないもの特有の反応だ。
(ならば東條先生は本気で――)
「御柱さん」
「え? あぁ、はい」
「帰ったら先生にお伝えください。我々とて先生と同じ政治家です。先生の気持ちは痛いほどよくわかります」
「はぁ……」
「外から見ても、先生は国政の場に立つべきお方です。民生改革党党首に何を言われたのかは知りませんが……我々は先生のことを応援しております……そうお伝えください」
「…………」
黎明はしばらくの間驚いたように目を見開き、
「必ずお伝えします。ありがとうございます、天司先生」
今までの不真面目な態度がなかったかのように、深々と天司に頭を下げた。
■ ■ ■
夜。京都のホームで、スマホをいじりながら乗り換え電車を待っていた黎明に声がかかる。
「どうだった、黎明!」
「あ、西住先生。秋島もお疲れー」
「秋島先生だろうが馬鹿もん!」
「まぁまぁ西住先生。彼に気安い態度をとってもらえるのは私としてはありがたいですよ」
「……あぁ、悪い秋島。そういうマイノリティは否定したくないけど、俺ノンケなんだわ」
「私もだが⁉」
「まったく貴様らは! どうしてそう口が悪い!」
頭痛でも覚えているのか、額を抑える西住と穏やかな笑みを浮かべた秋島。
合流してきた二人に手を振りながら、黎明はスマホをポケットにしまった。
「で、どうだったのだ」
「どうって?」
「大阪革新党だよ。なんて言ってきた」
「先生を応援しますとよ」
「はっ! 当然だ。今この段階では言えるのはそこまでだろう」
黎明が持ち帰ってきた報告は悪くはない。
悪くはないが……移籍後の扱いも、移籍の条件も何も決まっていない玉虫色のモノでしかなかった。
正直口先だけではなんとでもいえる政治の世界。
何の契約もなく、周囲に外部関係者がいない政党事務所でのやり取りなど、ないに等しいものでしかない。
結局のところ黎明の成果は「何もしていません」という報告に等しいものでしかなかった。
だが、
「本当にこれでよかったのか!」
「これで十分っすよ西住先生」
黎明はあくまでそう言い切る。
「これで近畿一円の主要な他政党の事務所は回り切った。本気度を示すために次はもうちょっと範囲を広める予定ですけど、影響力という意味ではこれでももう十分でしょう」
「東條先生が移籍を考えている……『かもしれない』。その噂を立てることが今回の黎明君の目的、だったよね」
「まぁそういうこと」
黎明はそう言いほくそ笑む。
慣れない芝居をしたかいがあったと。
「人間ってのは結局信じたい者しか見ない生き物だ。あの会見にて、先生のあの扱いは『先生自身が納得をしたうえで行われた』と表社会には浸透しつつある。だが……」
実際はそうではない。ほぼ不意打ち気味に発表した比例代表区代表リストの提出に、東條の意思などは関係なかった。
「当然、嘘は嘘だ。違和感を感じる奴が現れる。それが公式の見解だとしても……何か裏があるんじゃないかと深読みするやつは必ず現れる」
「まぁ、実際今回は裏があるからね」
「ふん! だから先生はさっさと移籍されればいいといっているのに」
「それじゃぁ先生をそこら辺にいる十把一絡げの政治家にするだけだ。それじゃぁダメなんだよ西住先生」
理不尽な目にあったから大本の団体に見切りをつける……それは人として当然の行為だ。
だが当然であるがゆえに、それでは印象に残らない。
かわいそうな人がいたと、一時期話題になって終わりだろう。
「政治家っていうのはどこまで行っても人気商売だ。支持者の数がそのまま政治家の戦闘能力になる。じゃぁ支持者は一体どうやって集める?」
「……まじめに仕事をしていれば自然集まってくるだろう」
「アホか。んなもん程度が知れているっつーの」
無情すぎる黎明の切り捨てに西住が拳を握り締めるが、秋島が間にはいって「まぁまぁまぁまぁ!」と落ち着かせに入る。
「人気を集めるために必要なのは、結局のところドラマだ。理不尽に立ち向かう正義漢。かつての怨敵を倒す復讐者。劣悪な環境を生き抜くけなげな少女――権力に押しつぶされそうになり、それでもなお立ち上がる主人公。人間ってのは結局のところそう言ったやつが大好物なんだよ」
そして、東條保文はその渦中に現在いる。
利用しない手は――なかった。
「幸い今回はあっちから転がり込んできたこの好機、利用しない手はあるまい?」
そう言って黎明は笑う。
「表の発表を信じられなかった奴らは、当然先生の周りに不自然な動きがないか調べだす。すると俺の存在に行きあたる。この選挙期間中……自身の政党と一致団結しなきゃならん大事な時期に、なぜか外周りを命じられた新米秘書という違和感の塊でしかない存在にな」
「それに気づいた人たちはこう考えると。『いつでもしっぽ斬りに使える、新米秘書を外に回すことで東條保文は何かを考えているのでは?』と」
「この状況でぱっと思い浮かぶのは西住先生が言うように党の移籍だ。そして、実際それをにおわせる発言を俺は各政党に行っている。疑わしい清廉潔白な発表を信じられなかった奴らにとって、これほど食いつきやすいエサはない」
明日の朝刊が今から楽しみだ。
そう言って笑う黎明に、西住は背中に冷たいものが走るのを感じた。
それがあまりにキレすぎる同僚に対する畏怖だったのか……それとも、まるで人の心を玩具のように転がす男への恐怖だったのか……。
西住は結局、彼と敵対し敗北するまで……その冷たいものがどちらかだったのか、判断を付けることはかなわなかった。
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翌朝――赤日新聞政経面……および新聞各社のネット記事において、このような記事が発行された。
【東條保文! 自身の新たな可能性を模索か⁉】
【大阪革新党は移籍打診の話しを否定。だが『今回の民生改革党の動きは誠に嘆かわしい事態である。大阪革新党は東條保文先生の国政への出馬を全面的に応援する』とコメント】
【近畿一円の政党が『今回の比例代表区リスト提出において、東條保文先生の最下位記載は、民生改革党における悪質な弾圧行為といっても過言ではなく、誠に遺憾な事態である』とコメント!】
【『自由な民主主義維持のために比例代表区選出者表の再提出を選挙委員会に連名で提案する所存』】
そのような内容で、新聞各社が近畿政党たちの動きを大々的に報じだす。