2-2:苦難の選挙 動揺の民生改革党
『史上まれにみる、わかりやすいまでの味方からの足の引っ張り合いに対し、東條保文の動きは迅速でした』
『のちに【東條保文の三本の矢】といわれたこの対抗策は、全部で三つ』
『①本党からの公式発表であった「若い議員たちのために身を引く」という意志を本人が認めたこと』
『②彼の腹心であった西住議員を、日本各地の民生改革党若手議員たちの激励に出したこと』
『③御柱黎明を党外の有力者たちの交渉へ送ったこと。こちらは当然非公開にされましたが、政治家の動きに目ざといものならすぐわかる程度の隠蔽で済ませました』
『さて、この三つの行動によって東條保文が何を得たか』
『それは後の歴史が如実に物語っています』
■ ■ ■
謀日。鹿児島県――民生改革党支部。
「元気にやってますか!」
「西住先生!」
自分の秘書を伴い、大きな声を上げて入ってきた男――西住重彦に対し、彼よりほんの少し年下の若手議員が声を上げる。
「来られるのは聞いていましたが……駅についたときにご連絡いただければ迎えに行きましたのに」
「いや、先生方も選挙活動で忙しい中、勝手に来た私のために時間を割いてもらうわけにもいきますまい。こちら、滋賀の土産です。といっても買ったのは京都なんですがな」
やはり土産物はあの観光都市にはまだ勝てませんな。
そう言いつつ頭をかく西住に対する視線は、大きく二分化されていた。
一つは、彼を迎えた若手議員を筆頭に送られる、憧憬の視線。
この事務所ではその視線の方が多く、西住をまるで現人神のようにあがめてしまいかねないほど、その熱量は高かった。
もう片方は、忌々し気な……それでいてそれを表に出さないように注意している視線。
それらの主な送り主は、老年といっていい年齢に差し掛かったベテラン議員たちだ。
西住もそれには気づいており、何とかその敵愾心に反応しないようにしながら笑顔を取り繕っている。
(おおよそ黎明の予想通りの反応か。まぁ仕方あるまい。あんな記者会見をされた後ではな)
そんなことを西住が考えている中、ベテラン議員の一人が立ち上がり、笑顔で西住に近寄ってくる。
「やぁ西住議員。すまないね。君たちも忙しいだろうに」
「いえ! 我々の選挙区である滋賀において、民生改革党の支持率は安定しておりますので。東條先生からも『ぜひとも各地の激励に行ってくれ』とご指示をいただきましたし、気にされることはないですぞ」
「そ、そうかい。それにしても東條先生も思い切ったことをする」
東條の名前が出るたびに、ベテラン議員の笑顔がわずかにひきつる。
周囲の若手議員からの刺すような視線が、彼を襲っているからだ。
「彼の心意気には我々も深く感銘を受けているところでね」
「左様ですか」
「だからこそ、本党の指示は誤っていると私も思っている。これは、民生改革党鹿児島支部の総意と思ってくれ」
そして、その言葉とともに刺すような視線がわずかに和らいだ。
「は? いや、ですが先生はすでに納得を……」
「いいや。東條先生のような高潔なお方は、今後の日本政治に必要な方だ。違う選挙区ゆえ大した力にはなれないが、我々も全力で東條先生のことを応援させてもらうよ」
「……勿体ないお言葉です」
西住が知る限り、眼前のベテラン議員はどちらかと言えば保守的な主張が目立つ男だった。
現状維持の事なかれ主義で、議会での発言も最低限。
精々多数決の数合わせで採用されたような……そんな志も意思も低い男だったと記憶している。(前回の衆議院でも、居眠りしているところをすっぱ抜かれていた)。
本党の決定に異議を唱えるなど、本来ならばするような性格ではない。
ではなぜ、彼はこのような意見を述べているのか……。
(ここまで読み通りか。黎明の奴……本当に未来を見ているのではなかろうな?)
■ ■ ■
さて、ここで一体現在民生改革党で何が起こっているのか、改めて解説しよう。
現在民生改革党は、東條保文の落選を狙う本党派と、東條保文を何としてでも当選させようとしている改革派と呼ばれる陣営に二分化されつつある。
原因は言うまでもなく【世代交代宣言】と評される、東條保文のあの記者会見だ。
地方政治の勇であり、滋賀県を改革した【時代の兆児】といわれる東條保文が、身を引いてまで若手を立てようとしたあの宣言は、日本政治界に大きな波紋を投げかけた。
それに最も大きな影響を受けたのは、東條が所属する民生改革党であったことは言うまでもない。
彼の言葉に、多くの若手議員は涙し、自分たちもまた東條に認められるような議員になろうと奮起した。
だが、彼らは冷静に自分の周りを見回しふと思ったのだ。
「……あれ? うちの選挙区の代表議員の年齢って」
後期高齢化社会が進む日本において、政治家の年齢も年々高くなりつつあるのが現状だ。
だが、それにはそれの利点がある。
長く政治の世界に身を置いた怪物たち――いわゆるベテラン議員たちの治世は、劇的な変化はないものの確かな安定性があるのは事実なのだ。
長年にわたって蓄積されてきた政治ノウハウに、非常時対応のマニュアル化を骨身に叩き込まれるまで実践してきた経験則。
高い緊急時案対策能力を持つ彼らが、代表として先頭に立つのはある種当然のことだし、それで今までの日本は回ってきた。
だが東條保文はその経験を捨てて若者に道を譲ると宣言してしまった。
困ったのは彼より年かさのいったベテラン議員たちだ。
東條保文の宣言は間違ってはいないし、理想的な引退宣言ではあったのだが、それに感化された若手議員たちは当然自分たちの存在に懐疑的になる。
「東條保文ほどの議員が身を引いたのに、それより年上の自分たちの代表が身を引かないのはおかしいのでは?」
という空気が、地方の民生改革党支部各所で噴出しつつあった。
どれほどのベテランであっても、寄る年波には勝てず、肉体は政治家という過酷な業務を続けるたびに悲鳴を上げている。
様々な業務を若手議員に代わりに担ってもらわなければ、ぽっくり逝ってしまうような議員さえいるのだ。
そんな彼らにとって、若手議員たちの疑念と不和は死活問題以外の何者でもなかった。
正直なところ「やってくれたな!」というのがベテラン議員たちの東條に対する正直な感想であろう。
それが本音にしろ、何かの策略であるにしろ、あれほど大々的にその声明を発表されてしまっては「老人は身を引くべき」という大きな民意の潮流が出来上がってしまい、日本政治界に自分たちの居場所はなくなってしまう。
この政治家人生始まって以来、最大の危機的状況に対応するために、彼らが取れる手段は一つしかなかった。
すなわち、
「東條先生ほどの方を今後の日本国政に関わらせないなどあり得ない!」
「本党の判断は間違っています。私は今から東京に行き、この決定の撤回を嘆願するつもりです」
「東條先生のお心は固いようですが、私も彼と一緒に日本の政治をよくしていきたいと常日頃から思っていました。必要であれば、先生に連絡を取り今からでも考えなおすよう説得いたしましょう」
すなわち――東條保文を自分たちと同じ国会議員として迎え入れる。少なくともこの選挙中はそのようなスタンスで動くこと。
実を結ばなくてもよいが、ここで東條をかばう動きをしなければ、自分たちの政治生命に未来はないとそう確信したがゆえに彼らの判断は迅速であった。
本来ならば保守的立場で本党を擁護しなくてはならない彼らが、東條が行った記者会見によって半ば強制的に彼の味方をせざる得なくなったのだ。
■ ■ ■
鹿児島からの帰りの電車で、黎明から教えられたその事実を思い返しながら、西住は独り言ちる。
「すべてはあの男の掌の上か」
「頼りになる話じゃないか」
「むっ。秋島先生」
声をかけてきたのは四国当たりの支部を回っていた秋島だ。
どうやらこちらも地方激励を終え、滋賀に帰るところらしい。
「おかげでわれらの東條先生にもまだ勝ちの目が見えてきた。このままいけばリストの再提出もそう難しくはないでしょう」
「いや、国政の予定は厳格でなくてはならん。民生改革党内部からの働きだけでは、名簿の再提出までには至らんだろう」
「むろん、それは黎明君も心得ているさ」
だからこそ彼は激励回りとは別のことをしているんだろう?
言外にそう告げる秋島の態度に、西住は不機嫌そうに眉根を寄せた。
「おや、不満げだね?」
「……あぁいうコソコソしたのは好かん」
「くくく、それもそれで西住議員らしくては私は悪くはないと思うけどね。だが、海千山千の政治界内部でそれは生きづらいだろうに」
「……東條先生にもそう言われた」
「おや、お人好しなご老体も意外と策略とやらは考えているらしい」
「口が過ぎるぞ秋島」
額に青筋を浮かべ、敬称すら取り外した西住の警告に秋島は肩をすくめ口を閉ざした。
「……うまくいくと思うか?」
「逆にうまくいかないと思うかい?」
数分後、西住の口を突いて出た問いかけには間髪入れずに答えたが。
「私はしっているよ西住先生。時代の寵児は東條保文じゃない」
「…………」
「東條保文と言いう凡俗に価値を見出した、御柱黎明こそが時代の寵児だ」
西住から否定の言葉は……告げられなかった。