月の砂とお姫様【3】
お姫様は、お風呂に入るため更衣室で服を脱いでおりました。案の定、首飾りも外すことになるのですが、そうした途端一気に倦怠感が押し寄せてきました。流石に彼女も、驚きました。
「何がどうなっていますの?」
それと、自分の思っていることが自由に喋れることにも。
脱衣を終え扉を開けると、それはもう広い大浴場が目の前に広がっておりました。
「失礼します。お背中をお流しします、アリネ様」と布一枚で身体を隠しているメイドのケーシィが、入って来ました。
アリネはその言葉に、沈黙しながら頷きました。変にドキドキとなる胸を抑え、バスチェアに座るのでした。
ケーシィは、アリネの身体を泡まみれにしています。アリネは、それが堪らなく嫌で仕方ありませんでした。ケーシィが泣くくらいの罵詈雑言を叫び散らしたいところでしたが、グッと抑えました。あの時、上品な感じの言葉をかけたのですから、後には引けませんでした。
『もし、聴こえていますか?』
「ひやっ!?」
突然の男の声に、アリネはらしくない声を上げてしまいました。それに驚いたケーシィは、大丈夫ですかと心配しますが、アリネの冷たい『大丈夫』という言葉に口籠もってしまいました。
(この声は…、ミファエルさんですの!?)
『えぇ、そうです』
(私の声が聞こえていますの?)
『まぁ、鮮明に。それにしても、可愛らしい叫び声を上げましたね』
「うっ、五月蝿いですわね!」
この叫びに、ケーシィは腰を抜かして気絶してしまいました。余程、お姫様の顔色を窺っていたからでしょうか、白目を剥いてそのまま動きませんでした。
(は…早く何とかしなくては!)
泡のついた身体で足下に気を付けながら、ケーシィをお姫様抱っこして、大浴場を出るのでした。
アリネは急いで、ケーシィの身体を拭いて簡単に服を着させました。穏やかになった顔を見て安心したお姫様は、包み込まれた泡を流すべくシャワーを浴びていました。
『優しい一面もあるんですね』
「…まだ居たんですの?それと何故、貴方の声が聞こえるんですの?」
『まぁ、端的に言えばボクの呪術です。脳内通信術て言う…意外に便利ですよ。後、姿は見えていないのでご安心下さい』
(そうですのね、それなら良かったわ)と懸念していた事が解決し、今まで胸や恥部を隠していた腕を緩めました。
「後それと、あのネックレス。絶対に普通じゃありませんわ…あれもじゅじゅつ?ってヤツですの?」
『そうですね。月の砂なんて真っ赤な嘘です』
アリネは、それを聞いた瞬間、驚きを隠せませんでした。
「騙したんですの…?」
『はい、それについては深く反省致します。ですが、その…貴方様の横暴な態度が目に余りましてね。それで、嘘を吐いてまで、誰にでも優しく接する術を砂漠の砂にかけました。それを、貴方様に売りました。本当に申し訳ございません』
「もう大丈夫ですの。私も、自分の態度には嫌気が差していましたもの」
続けて、徐に口を開いた。
「…この事は、城の外の方々には言わないで下さいまし」
『何故ですか?』
「使用人に優しくしているなんて知れたら、恥ずかしいじゃありませんの!」
『それは…手遅れなんじゃないですか?』
「…そうですわね」
横暴なお姫様は、下を俯き、自嘲するかのように微笑んでいました。
漸くシャワーを浴び終えて、大浴場の湯に浸かるアリネ。入った瞬間に出る息は、幸せのものかはたまた苦悩のものかは彼女以外誰も分かりません。そろそろ良いかしらと、火照った身体を保ちながら、お湯から逃げるようにその場を後にしました。更衣室に入った途端、倒れている人を見て驚きはしたものの、それがケーシィだということを思い出し顔を赤らめました。それはのぼせたと言うよりかは、恥ずかしいという感情でした。
アリネは、用意されていたパジャマに着替えると、ケーシィを起こそうと軽く頬を叩きます。ですが、全くと言っていいほど起きません。
「仕方ありませんわね…」
アリネは、ケーシィを背中に乗せました。謂わば、肩車なのですが。慣れていないものですからケーシィの腕を肩に引っ掛け、手で固定し、足を引き摺るような形になっておりました。数分ほどの時間はかかったものの、何とかケーシィの部屋まで辿り着きました。更衣室を出て左に向かってちょっと歩くだけで彼女の部屋なのですが、お姫様は汗を流しながら異様に長く感じ、床に座り込んでしまいました。そこで彼女の意識は途絶えました。
翌朝、小鳥のさえずりがケーシィの目を醒まさせました。すると、ベッドの側面にもたれかかったお姫様を見て目を見開きました。アリネは、鼻息をたてながら眠っていました。それを見て、ついつい笑顔が漏れてしまいました。数分くらい
そうしていましたら、アリネは腕を伸ばして大きい欠伸をして起き上がりました。
「お…おはようございます!アリネ様」
「おはよう…」
「あの、昨夜は大変申し訳ありませんでした。」
「…あぁ、気にしていませんわ。」と朝日に負けないくらいの笑顔を見せました。
お姫様の首には、未だにネックレスがあったのでした。