月の砂とお姫様【2】
ノーブクライワン城、そこではお姫様の怒号が今日も響いておりました。
「グヒド、どこにいらっしゃいますの?!」
「はい、お呼びでしょうか?」
「遅い!1秒遅れで此処に来るとは…私を舐めていますの?」
「申し訳ございません」
「…お茶を淹れてくださいまし」
「かしこまりました」
そうグヒドが扉を閉めた途端、アリネは大きな溜め息を吐きました。理由は明白、自分の思うように動かない使用人に呆れ果てておりました。そんな彼女にも、優しい一面はあるのです…あった筈なのです。アリネの年齢は16と、我儘を言いたくなるお年頃なのでしょう、誰に対しても横暴な態度をとってしまうのでした。彼女も、そんな自分が嫌で仕方ありませんでした。そう煩悶して、自分の執務もままならなくなり、ベッドにあったクッションに顔を埋めておりました。
「そういえば私、あのネックレスをしてないわ」と埋まった顔を起こし、机の上に置いてあるネックレスを手に取りました。
やはり、いつ見ても輝いている砂に、アリネはうっとりとしていました。長め終わった後、彼女は首にネックレスをかけました。すると心做しか、今までに感じていたストレスが徐々に消えていき、リラックスしているのが分かりました。彼女は、口を窄めて息を吐き、瞼を閉じて椅子に吸い込まれていきました。
「…ん、はっ!今何時ですの」と勢いよく身体を起こし、口の端に流れる液体をゴシゴシ拭きます。
時計を見れば、もう6時あたりを刺していました。針が一周すれば夕食の時間ではありませんかと、アリネは自分の執務を素早く終わらせました。すると彼女は、ある異変に気付きました。自分自身雑にやったつもりなのですが、何故でしょう綺麗な字の羅列が整然と並んでいました。案の定、目を見開きました。ですが、気にも留めませんでした。
夕食の時刻、アリネは気品高く食卓に着きました。その姿に使用人達は、目を丸くしました。それもその筈、いつもの彼女なら五月蝿い音を立てて座るのですが、今の彼女は少しの音も鳴らさず椅子を引きおしとやかにお尻をクッションに落とします。驚いている使用人達には目もくれず、アリネはテーブルナプキンを二つに折り膝にかけました。その時の月の砂は、食卓を照らすシャンデリアよりも遥かに煌びやかでした。
食事に手をつけ始めた頃、徐に扉が開いた瞬間、使用人達は一斉に頭を下げます。それもその筈、入ってきたのはアリネの父親…つまり国王陛下なのです。そんな彼は、執務でお疲れ気味なのか重そうに足を動かし、アリネの反対側にゆっくりと座りました。
「お父様、先に食事を頂いておりますわ。それと、お仕事お疲れ様です」とフォークとナイフを皿の上に八の字に置いて立ち上がり、微笑みながら父親を労いました。
その姿に父親は、驚きのあまり動揺してしまいました。それと同時に、喜びと感動が滲み...と言うよりも溢れ出ておりました。
「おぉ、アリネ!久々に、儂のことを『お父様』と呼んだか!...いやぁ〜それにしても、6〜7年ぶりか。いやはや、反抗期というものは実に長かった」
父親は、感激するあまり涙が出ておりました。アリネは、今までの自分の行動に疑問を抱かざるを得ませんでした。
(どういうことですの?まるで、世界がガラッと変わったかのようなこの違和感。今までの私なら、『お父様』なんて呼び方はしませんでしたし礼儀やお作法、ましてや労いの言葉をかけるだなんて...使用人達も驚いているようですが、一番驚いているのはこの私ですわ。)
彼女はそう思いながら、ナプキンで口元を拭き、ぐしゃぐしゃにして椅子の上に置いて颯爽と自室に戻るのでした。
「ねぇ、ケーシィ。さっきの王女様の行動、驚いたよね?」
「うん、そうだね。この前だったら、『この料理を作ったのは、誰ですの?』ってコックを呼び出して、置いてあった水をバシャってかけて...『こんな不味い料理、二度と食いたくありませんわ!』て言ってグヒドを小突いて部屋を後にしたっていう...」
「あぁ、そんなのあったね〜」
若いメイド二人が、持っている箒を杖にして談笑を楽しんでいた時、件のお姫様が姿を現しました。それを見た一人のメイドは、姿を見るなり頭を下げ、もう一人のメイドの頭を掴み強引に頭を下げさせました。その拍子に手から離れた箒は、乾いた音を発しながら床にへばってしまいました。
「申し訳ございません、アリネ様!」
「痛っ、痛いって!」
「顔を上げなさい。ケーシィ、メルダ。」
彼女たちは、お姫様の言葉通り顔を上げます。何を言われるのかと目を瞑りましたが、それは罵声ではなく優しく子守唄を歌うような声で
「確かに、お互いの理解を深めるために談笑するのは結構ですが、仕事はちゃんとしますのよ。勿論、無理しない程度に」とそう言いました。
メイド達の目には、聖母の微笑みに似た顔が目の前にありました。彼女達は勿論、膝から崩れ落ちうっすらと涙を浮かべ、感謝を述べていました。アリネは、気にしなくて良いのよと手を振り、金色に光る首飾りと共にその場を後にした。