第5話『やべー何言ってんのか全然分からん』
眼前に広がった人工的な湖。いや、この場合は水溜まりとでも言うのだろうか?
どちらでも構わないが、どこかのアムリタとかいうおっさんの所為で、直進コースを迂回して進んでいた。面倒だから泳ぐかと提案したところ、「いや、我は泳げんよ。あ、小舟も無理じゃ船酔いするから。」と、かなり腹の立つ決め顔で言ってきやがったおっさんに仕方なく合わせている。
道中にまたパーフェクトフラワーとかいうひまわりを齧ったり、ちょくちょく解説を挟んでくるおっさんのお陰で移動にかなり時間がかかっている気がする。
「バンシィよ、聞いておるか?」
「あー聞いてる聞いてる。」
「絶対聞いてないじゃろ?」
「うん。」
「酷い!」
およよ…とか、気色の悪い噓泣きを始めるおっさんを尻目に俺はドンドン先を目指す。まだまだ山までは時間がかかりそうだ。そろそろ日も暮れ始めた様子なので、野宿でもしようかとおっさんに聞こうとしていた時、先の方から木々を薙ぎ払っているかのような大きな音がこちらに向かって来ているようだった。
「おっさん。何か来てるよな?」
立ち止まりおっさんの方を振り返る。おっさんの雰囲気がその瞬間重たく鋭い空気に変わり、紅の瞳が爛々と輝きを増した。そして少し怪訝な顔を見せ何かの呪文をブツブツと呟きながら俺の隣に立ち、襲来している何かに視線を向けた。
「この魔力……ケルベロスに近しい魔物のだとは思うが、我の知識の中には思い当たる種が見当たらんの。バンシィよ、十分に警戒せよ。不死であるが故の傲慢さと慢心は悉く捨てよ。死は全ての生命に平等に与えられた事象。死ぬ可能性が有ること十分に考慮せよ。____《防壁展開》。」
その言葉と共に俺とおっさんを囲うように発生した、薄い衣のような半透明の壁。はっきり言っておっさんのテンションのふり幅が凄い。急にシリアスじゃん。そういう話なのこれ?
バキバキと、木々がへし折れる音が急激に接近し、目の前の大木が、降ってくるように現れた巨大な生物に嚙み千切られる様に倒れた。
「「「「GAAAAaaaaーーーッッ!!!」」」」
「__んなっ!」
「ほう…これは、驚いた。」
ドラグのような見上げる程の巨体、狼のような体躯と薄茶色の毛並みに、簡単に獲物を嚙み千切りそうな程鋭く並んだ牙。一見するとその見た目は二階建てに家程の大きさという点を除けば、狼に近しいフォルムだが、大事なのはそこではない。
「顔が八つッッ!!??」
「見事にアンバランスな体躯よな。」
此方を見下ろすのは合計八つの狼のような顔。それがたった一つの胴体によって支えられ、その四肢はドラグのような鱗に守られた硬い肉質の足ではなく、その巨体と頭部を支えるために鍛えられたパンパンに膨れ上がった様な筋肉の塊。しかし、肉達磨のような体型ではなくスラリと美しく整った足を持っている。例えるなら、仮に顔が一つだったら、柴犬みたいなフォルムだ。いや、色合い的には柴犬の配色だ。ここまでデカくなければ可愛げがある気がする。たぶん。
「おっさん__こいつはッ!?」
「分からぬ、我も初めて見る種じゃ。おそらく、ケルベロスの近縁種じゃと思うが、流石に八つの頭を持った犬型の魔物は初めてじゃ。__《防壁強化》《反射防壁》」
冷静に観察しながら、魔法を重ね掛けしていくおっさん。半透明の壁が薄っすらと光を帯びた。魔物は暫くこちらをじっと睨むように眺め、前足が八つの内一つの頭を撫で始め、真ん中の方にある頭が聞きなれない言語のような音を発した。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
「ふむ。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
おっさんまでもが謎の言語を発し始め、その魔物は俺を一瞬睨んだ。何言ってるか分からんが、たぶん交渉してんだろうな。
「■■■■■■■■■■■■■■■」
「■■」
おっさんが深く頷き、魔物がそれに反応して怒った様に前足を地面に叩いた。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
「__■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
やべー何言ってんのか全然分からん。でも、なんとなくだが交渉は上手くいっていないようにも見える。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
なんか良く分からないが、おっさんが紹介するように俺の方を指さしたので、一応一歩前に出て会釈しておく。すると突然おっさんが俺を差し出すように後退し満面の笑みでこう言った。
「すまぬバンシィ。交渉決裂じゃ!何とか拳で頑張ってくれい!」
「はぁ!?」
何言ってんだあのおっさん。まずお前から拳でお話してやろうか!?拳を握り振り返った時には既に、かなりの距離を離して胡坐をかいてくつろいでいるおっさんの姿があった。絶対後で殴ってやる。
「GUAAAaaaーーーッッ!!」
「あぶねぇッ!!」
背中を見せた瞬間、顔の一つが俺の立っていた場所に喰らいついた。まるで巨大なスコップで一気に掘ったかのように地面が大きくえぐられ土煙が巻き上がる。地面に食らいついたからか、その口から唾液で固めたような土の砲弾が発射され反射的に地面に転がるように避ける。なんだか体が軽く感じた。思い道理に身体が動いてるって感じ?なんだろう、今までの俺では絶対にできないような動きだ。
俺が見事に躱したのをみてムキになったのか、他の顔も連続して噛みつき攻撃を繰り返してきた。
怒涛の連続攻撃を避けていると、ある法則に気が付いた。一番左の頭が攻撃して、その次は右の頭、今度は真ん中。順番に、しかも一つの頭しか攻撃してこないのだ。やはり頭が八つもあると、機能しずらいのか、同時攻撃が絶対にない。
「これは。勝てるか?」
「「GAAaa!!」」
__って思っていたら同時攻撃来ましたッ!!
「ひぃ!死ぬッ!」
ひたすら飛んで跳ねてを繰り返して、八つの頭の猛攻を耐えるがどう考えてもジリ貧だ。
「おーいバンシィ?逃げてばかりでは面白くないぞぉ?」
アイツ絶対後で殴ってやる。
クソ。とにかくこの攻撃を何とかして止めるには……
ふと、おっさんが使っていた壁の魔法の存在を思い出す。
そうか。避けるんじゃなくて、防げばいいんだ。おっさんが使っていた壁の魔法を頭の中で思い描く。おっさん、なんて言って発動してたっけな?
「___《魔防壁》」
襲い掛かる噛みつき攻撃と俺の間に、おっさんの壁とは違い薄いオレンジ色で波紋状の模様をした薄壁が展開され、攻撃を防いだ。
「しゃぁ!キタコレ!」
いいぞ。俺のイメージが、間違いなく反映されている。___って事は、これなら!
「《ひれ伏せ》!!」
「「「「gyaaaaaa!!!!!」」」」
重力を操作し、八つの頭が地面に叩き付けられ、完全に身動きを封じた。断末魔のような鳴き声が響く。
「■■■■■■■■■■■」
「ん?なんか言った?」
何かを訴えている気がするが、何言ってるのかさっぱり分からない。するとおっさんがここぞとばかりに現れ通訳を始めた。
「降参と言っておるの。」
「そうか。じゃあ、勘弁してやろう。」
魔法の発動を止め、拘束を解除する。すると八つの頭の耳がしょんぼりと倒れ、その巨体はお座り状態に移行した。まじでただのでかい柴犬じゃん。
「バンシィよ、どうするつもりじゃ?」
「え、ペットにしようかな?」
「ペット?なんじゃそれは、なんの料理じゃ?」
あれ、ペットが通じない?
「うーん?僕かな。」
「ほう、それはいい案じゃな。背中に乗って移動も出来そうじゃしの。」
ああ、その手があったか。確かに背中に乗れそうだな。
「そうだろう?おっさん、僕になれって伝えてくれ。」
「__む?もしかしてバンシィよ、魔力語は分らんのか?」
共通言語じゃぞと、おっさんが不思議そうな顔でそう言った。ちょっと何言ってんのかわかんない。魔力語?さっきの何言ってんのか分からない言葉のことか?
「全然分からん。」
「龍語は分るのに、魔力語が分からんとは不思議じゃの。転生した時に習得しなかったのか?」
「そんな都合のいい話があるわけないだろ?」
「いや、称号『不死身』は十分都合いいと思うが……」
おっさんがなんかぼやいているが無視!俺は目の前の巨大柴犬を見上げ、その八つの顔を観察する。どれも似たような表情でこちらを困った様に見ている。すると隣のおっさんが唐突に「しょうがないなぁバンシィ君は。」とまるで某ネコ型風青タヌキロボットのような発言と共に、何やらコートの中をまさぐり始めた。___だれが、の〇太じゃい!
テッテケテッテーテーテーテテー!
「【翻訳ドリンク】!」
なんだ今の効果音。思いっきりドラ〇もんじゃねーか!しかも大山〇ぶ代!だれが分かるんや!何年前だよ!
「グフフフフフ。これを飲むと魔力語で会話をすることが出来るスグレモノじゃ!」
小さな小瓶に入った変な色した液体を片手に、変な笑い方で効力の説明をしているが、まるで信用できない。大丈夫か、ポンコツタヌキじゃないよな?ネジ外れてないか?__いや、頭のネジは最初から外れているか、このおっさん。勝手に自己完結して、おっさんの手にもつ【翻訳ドリンク】とやらを奪い取る。蓋を開け、一気にごくりと飲み干した。
「あっ。」
おっさんの少し焦った様な声と共に、俺の口の中にこの世のモノとは思えないほどの苦みがいっぱいに広がった。
「にっげぇぇぇぇぇ!!!!」
「それ、言おうと思ったのに。」
「先に言えよッ!」
「いや理不尽!!」
おっさんがいじけて、しゃがみこんで地面を指でなぞり始めたので、スルーして柴犬に再び視線を向けた。
「あの…僕はいったいどうなるんでしょうか?」
おお!?すげぇ。ちゃんと理解できてるぞ!さすがは異世界!
「今からお前は、俺の僕になってもらう。」
胸を張って偉そうに、柴犬を見上げた。すると柴犬はぺろりと舌を出すと嬉しそうにまん丸に丸まっていた尻尾を振り始めた。
「あなたのような強い人の僕なら喜んで!」
「よーし、ならお前は俺の僕だ。俺の名はバンシィ・ディラデイル。バンシィと呼んでくれ。」
「はい!バンシィ様!」
バンシィ様……フフッ、いい響きだ。
「それで、お前の名はなんだ?」
そう聞くと、八つの頭が同時に首を横に振った。
「名はありません。気が付いたら産まれ、今の今まで生きていました。」
「そうか、無いのか。じゃあ俺が決めてやる。そうだな__ジャンヌ・ダルクってのはどうだ?」
え?名前の理由?パッと思いついたから。直感ってやつかな。
「ジャンヌ・ダルク……いい名前ですね!ありがとうございます!このジャンヌ・ダルク一生、バンシィ様についていきます!」
「フッ。期待しているぞ。」
かっこつけて前髪を払った。するといつの間にか復活したおっさんが、満面の笑みで手を叩き始めた。あ、その顔で思い出した。
「さすがはバンシィ!こうも簡単に魔物を懐柔すると__ボハァッ!!」
顔面フックを一発入れ、おっさんが勢いで空中スピンしながら地面に叩き付けられ、そのまま沈黙した。おや、頬を叩いたつもりだったんだが、つい力んでしまったようだ。
「酷いではないか、バンシィよ。」
そう言いながらもかすり傷ひとつ付いていないおっさんが、辺りを見回した。辺りの静けさに違和感があり、俺も周囲を見回してみると、太陽が沈み完全に夜の静けさが訪れていた。
「仕方ない、野宿でもするか。__あっ、ジャンヌ・ダルク。お前の住処はないのか?」
ジャンヌ・ダルクって名前長いな。ダルクにするか。そんな事を考えながら、ダルクの住処にでも寝泊まりしてやろうと考えていると、ダルクは不思議そうな、言いずらそうな顔でこう言った。
「いや、あの。バンシィ様が作った、この湖の底に沈みました。」
「え?」
「え?」
俺とダルクは同時におっさんを睨んだ。おっさんはバツの悪そうな顔で背中を向け逃げる様にこう言った。
「あー。我、急用を思い出したのぉ。また明日の朝、来るからの。じゃ。」
「待てこの野郎。」
俺がおっさんの肩を掴もうとした時、おっさんは瞬間移動し何処かに消えた。あの野郎。一発殴るだけじゃ足りなかったな。
「喰いちぎるべきは、あっちでしたか。」
ボソッとダルクが呟いたのを俺は聞き逃さなかった。
***
僕という、意識が芽生えたのはいつの頃だっただろうか。つい最近のようにも感じるし、大昔の事のような気もする。ただ、一つ言えることは、あっても無くてもきっと、やっていることは変わらなかったのだろうと思う。生き延びる事だけを考え、死なないために強くなる。生物としての進化をし、目まぐるしく変わるこの大陸の環境に常に適応し、相対した敵はそのほぼ全てを屠ってきた。当然だ。この世は弱肉強食。強い奴が生き残り、弱い奴は死ぬ。それ以上も以下もない。
だからこそ、この大陸を統べる『王』には手出しはしなかったし、近づくことらしなかった。それでも僕は、生きている。そこそこ強敵の少ないこの森を縄張りに、何日も過ごした。
だけど、なんてことはない、毎日が突然終わりを迎えた。
食料確保のために狩りを終え、縄張りへ戻っていた時、空が黒い巨大な球体で遮られた。しかも、その方角は僕の縄張りと完全に一致している。だけど、直感で理解した。あの球体は危険だと。僕の『直感』を担当する頭が、身体を硬直させ近づかない様に操作する。
無音の衝撃。
音のない衝撃破が草木をなぎ倒し、僕を襲った。『回避』を担当する頭が、上手く身体動かし、その衝撃を緩和する。そこからは何も起こらず、状況の確認の為縄張りへ向かった。
「そんな。」
目の前に広がっていたのは、魔族か人間の魔力によって生成された匂いの、一見すると巨大な湖と間違えてしまいそうな、ただの水溜まり。僕が朝残しておいたクックロイの肉の僅かな残り香を感知し、『攻撃』を担当する頭が怒りを露わにした。食べ物の恨みは怖い。それを教えてやると、『攻撃』担当が身体を動かし、魔族と人間の匂いを特定しそこまで追いかけた。
そいつらは直ぐに見つけた。尤も、この僕を前に逃げきれるものなどいない。全て喰いちぎり、屠る。それだけだ。
「「「「GAAAAaaaaーーーッッ!!!」」」」
「__■■■■」
「■■■■■■■■■■■」
人間と魔族が、魔力語ではない。聞き取れない何か別の言語で話していた。しかし、その表情から察するにきっと驚いているのだろう、この僕の強さに。
「■■■■■■■■■■」
「■■■■■■■■■■■■■■■」
何を言っているのかはさっぱりだが、『直感』の頭が、魔族の方は小馬鹿にしていると感じている。
「■■■■■■■■■■■■■」
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魔族の方は警戒しているのか、何か防御系統の魔法を発動している匂いがした。『理性』を担当する頭が、発言をした。
「お前たちか?この周辺を破壊し水溜まりにしたのは?」
興味本位の質問なのかは分からないが、その問いかけに魔族の方が反応した。
「ふむ。確かに我が相棒がやったが、それがどうした?」
相棒というからには、人間の方がこれをやったのだと理解した。
「なんだと?そいつがやったのか?」
『攻撃』担当が発言する。
「左様」
「その場所は、この僕の縄張りだったんだぞ!どうしてくれるんだ!」
『防御』担当が今度は言う。
「そうであったか、それは申し訳なかった。」
謝って済むならここには来ないと僕は思った。
「ゆるさない!そいつを渡せ!食いちぎってやる!」
『理性』担当が理性を外した。まぁ、いつものことだ。
「__ふむ。それは構わないが、果たして食いちぎれるかな?」
『攻撃』担当がその言葉に反応して激昂する。
「僕が倒せないのは『大陸の王』だけだッ!」
「『大陸の王』が何かは知らぬが、相手をしてくれる!__我が相棒のバンシィがな!」
何故か人間が笑顔で前に現れたので、『攻撃』担当はそれを見て力を溜めた。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
「■■■■」
人間が背中を見せたのに合わせ『攻撃』担当が喰らいついた。
「GUAAAaaaーーーッッ!!」
「■■■■■■■」
意図も簡単に躱された。『攻撃』担当と『攻撃補助』担当が交互に攻撃を開始する。だけど、どんなに攻撃しても、全く当たる気配はない。仕方ないので、『理性』担当に、攻撃を合わせるよう指示を出した。
「■■■■■■■■■」
「「GAAaa!!」」
『攻撃』担当と『理性』担当が同時に攻撃したが、これも避けられてしまった。
「■■■■■■■」
ひたすら飛んで跳ねてを繰り返して、人間は避け続ける。だけど、このままいけば必ず攻撃は当たる。僕はそう確信した。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
魔族が人間を煽っている匂いがした。クソっ。完全に舐められている。
「■■■■■■■■」
突然、薄壁が展開され、攻撃が簡単に防がれた。『直感』担当がダメだこれ!と叫んだ。その瞬間。
「《ひれ伏せ》!!」
「「「「gyaaaaaa!!!!!」」」」
身体が地面にねじ伏せられた。今までにない衝撃。この圧力。単純な魔力量の暴力でねじ伏せられている。理解した。僕は戦う相手を間違えたと。
「参りました!降参です!」
「■■■■■■■■■」
降参を訴えて、慈悲を求めた。諦め半分のやけくそ。
何やら二人で話しており、途中で聞きなれない音を聞いた。変わった音だ。だけど何かの道具を取り出していた。
「にっげぇぇぇぇぇ!!!!」
「それ、言おうと思ったのに。」
「先に言えよッ!」
「いや理不尽!!」
魔族の男が、しゃがみこんで地面を指でなぞり始め。僕はやっと魔族と人間の会話を聞き取ることが出来た。それにしてもあの言語は何だったのだろうか。だがしかし、それを知るよりも先に、僕の命は彼らが握っていた。死んでは何も得られない。そんな事は知っている。先ほどの圧倒的な魔力での拘束は解かれ、身体は自由に動いた。しかし、これはきっと彼らにとってこの僕如きなど取るに足らない小さな存在なのだろう。背格好は小さな目の前の存在に、『防御』担当は恐れを抱いた。同時に『攻撃』担当は憧れを抱く。だけど『理性』担当は死ぬかもしれないと嘆き、『直感』担当は大丈夫だよと、楽観的。『知性』担当の僕は、なる様にしかならないと流れに身を任せた。
「あの…僕はいったいどうなるんでしょうか?」
恐る恐る『防御』担当が発言した。
「今からお前は、俺の僕になってもらう。」
胸を張った人間が、僕の事を大そう気に入った表情で僕を見上げた。その言葉に僕を含めた全ての頭が喜びに満ちた。きっとこの身体は嬉しさで踊っているだろう。僕はその返事を間髪入れずに発言した。
「あなたのような強い人の僕なら喜んで!」
「よーし、ならお前は俺の僕だ。俺の名はバンシィ・ディラデイル。バンシィと呼んでくれ。」
「はい!バンシィ様!」
バンシィ・ディラデイル。僕の主の名はバンシィ・ディラデイル。バンシィ様。
「それで、お前の名はなんだ?」
バンシィ様は僕の名を求め、僕たちは同時に首を横に振った。
「名はありません。気が付いたら産まれ、今の今まで生きていました。」
『理性』担当が返答する。名など一人で生きる僕には関係のない物だ。気にしたこともなかった。
「そうか、無いのか。じゃあ俺が決めてやる。そうだな__ジャンヌ・ダルクってのはどうだ?」
『防御』担当がその名前に感激した。『直感』担当は直感だなと呟き。『攻撃』担当は尻尾を振って喜んだ。
「ジャンヌ・ダルク……いい名前ですね!ありがとうございます!このジャンヌ・ダルク一生、バンシィ様についていきます!」
「フッ。期待しているぞ。」
バンシィ様は前髪を払い。口元が僅かに吊り上がっていた。『直感』担当が喜んでる!と茶々を入れているが、『理性』担当が大人しくさせる。すると、魔族の男が満面の笑みで手を叩き始めこちらを向いた。
「さすがはバンシィ!こうも簡単に魔物を懐柔すると__ボハァッ!!」
バンシィ様がすかさず見事な顔面フックを入れ、魔族がその勢いで空中スピンしながら地面に叩き付けられ、そのまま沈黙した。『攻撃』担当がすげーと感心している。僕たちの体躯では出来ない芸当だ。魔物の中でも、他の生物に変身することのできる能力を持った奴が、過去にいた。今ほど彼の能力が羨ましいと思った事はない。その彼はもう僕の血肉になったが。
「酷いではないか、バンシィよ。」
バンシィ様が周囲を見回し、夜が訪れた事に気が付いたようだった。
「仕方ない、野宿でもするか。__あっ、ジャンヌ・ダルク。お前の住処はないのか?」
バンシィ様の言葉に違和感を覚えた。僕は魔族の男から、バンシィ様が僕の住処を破壊したと聞いた筈。『理性』担当が責任をもって発言をした。
「いや、あの。バンシィ様が作った、この湖の底に沈みました。」
「え?」
「え?」
バンシィ様と僕らは同時に魔族の男を睨んだ。魔族の男はバツの悪そうな顔で背中を向け逃げる様にこう言った。
「あー。我、急用を思い出したのぉ。また明日の朝、来るからの。じゃ。」
「待てこの野郎。」
バンシィ様が逃げる男の肩を掴もうとした時、魔族の男は一瞬にしてその場から消えた。このやり取りで僕は感じた。
「喰いちぎるべきは、あっちでしたか。」
『理性』担当がそう呟いた。