第3話『転生しなくても不老だった』
「………」
「………」
黒を基調とした玉座の間に、二人の男が対面していた。金と黒曜石で飾られた武骨でいて美しい玉座に腰掛ける、紺色のような黒髪にまるで血液が濁ったようなハイトーンの消えた紅の双眼を持った男、漆黒の軍服のようなコートを身に着け玉座に肘をつき、対面する人物を見下すような視線を送りながら、呆れて退屈になった様な表情で小さなため息をついた。
輝くほどに磨かれた黒曜石の床に反射する赤い髪と先述した男とは対照的な、まるで紅玉をはめ込んだかの様な輝く紅の瞳を持った若い男。同じ黒色の軍服の様なコートを身に着けており、立場としては同じにも見えるその恰好は、二人の男の立ち位置でその力関係は明確であった。玉座に腰掛ける男の前に跪く赤髪の男。その立ち位置で彼らの上下が一目でわかる。しかし跪く赤髪の男の視線は好戦的な獅子のように鋭く、今にも玉座に腰掛ける男に嚙みつかんとする態度で口を開いた。
「アムリタ様。人間族領へ侵略する準備は既に整っております。今すぐに、攻撃のご許可を頂きたい。」
「………」
獲物を食いちぎらんとする程の眼力を向けられてなお、気にした様子も見せないアムリタと呼ばれた黒髪の男。彼の瞳は何かを考えているのか、虚空を見つめ赤髪の男と一切視線を合わせようとしない。まるで何もしたくないと訴えているような、死にかけた魚の眼に近い退屈そうな男は、何が面白いのかと嘲笑するかのように鼻で笑い、赤髪の男の話には一切返答しない。
僅かに静寂の時間が流れる。しかし、その静寂を真っ先に破るのはやはり、赤髪の男であった。
「アムリタ様!聞いておられるのですか!?」
赤髪の男の怒声が漆黒の玉座の間に響く。壁に飾られた漆黒の燭台に灯った蝋燭の火が大きく揺れた。それでもなお、無反応で退屈そうに虚空を見つめるアムリタと呼ばれる男。暫くして、小さなため息を吐き怠そうにその口を開いた。
「聞いておるわ……グリム。」
「では、ご許可を頂きたい。」
食い気味に迫るグリムと呼ばれた赤髪の男。半ばイラついているのか拳を力強く握り締めより一層、アムリタと呼ばれる男への視線が鋭くなる。そんな事など気にも留めないアムリタと呼ばれる男は、その視線をやっと目の前に跪くグリムに合わせた。そうして小さな舌打ちをすると心底つまらなさそうにこう返した。
「グリムよ。人間に攻撃するのは、止めにしないか?」
これを聞いたグリムは堪忍袋の緒が切れたのか、握っていた拳を黒曜石の床に叩き付け、強烈な破壊音と共にその床が大きく割れた。常人の力ではなしえない黒曜石の破壊音に、慌てて扉から飛び込んできた漆黒のドレスを着こなした長い黒髪の美女と、それに連なる様になだれ込んだ二人の鎧を全身に纏った重厚な兵士。それを一瞥した、玉座に腰掛けるアムリタは、片手でその三人に何でもないから出ていけと言わんばかりに手を振り、それを見た三人は深く頭を下げながら静かに退室していった。パタンと扉が閉まった音が玉座の間に木霊すると、暫く動かなかったグリムが声を荒げた。
「何故です!人間は我ら魔族の仇敵、既に準備も万全、今すぐに滅ぼしてやりましょう!!」
それを聞いたアムリタは、やはり呆れたようにため息を吐くかのように口を開く。
「グリムよ、人間であれ我ら魔族であれ、いつかは死ぬのだ。戦って無駄に寿命を短くして何になる?」
まるでやる気のないアムリタの返答に青筋を浮かべ、叫ぶようにグリムは言う。
「嘗て『戦神』とも謳われた魔王が何を言うか!貴様が仕掛けた戦争で、数多の人間と魔族を死の底へ落した事は、誰もが知る事実!それを忘れた訳ではない筈だ!良くもそんな戯言を吐けるものだ、魔王から臆病者にでも成り下がったのか!?」
遂には立ち上がり、無手だった筈のその手に、炎を纏った三つ又の槍を構えその切っ先をアムリタへ向ける。その行動に眉を顰めたアムリタが、死んだように暗かった紅い瞳の色に僅かに光を灯し、静かに声を出した。
「___我が行った戦争は大義あってのもの「大儀だとッ!?笑わせるな、戦争の口実を作っただけだろう!」
アムリタの声を遮り話を一蹴する。その態度に遂に限界が来たのかアムリタの瞳が熱を帯び、紅玉の様な色を取り戻す。刹那に玉座の間の空気が変化する。熱くそして重い空気に。その状態の変化を直ぐに察知したグリムは「しまった。」とばかりに顔色が焦燥の色に変わる。
「貴様の様な小僧が考える幼稚な侵略戦争ではないわッ!」
瞬間、パンパンに膨れた風船が弾ける様にアムリタを中心に、見えない力が解放された。その衝撃は壁に取り付けられた筈の燭台を破壊し台座を失った蠟燭は衝撃で火を失い落下する、黒曜石づくりの部屋そのものに罅を入れ入口の重厚な扉は吹き飛び、グリムが手にしていた筈の炎の槍は砂が風によって舞う様に消え去り、グリム自身は衝撃による謎の力によって顔から床に叩き付けられ、まるで押し潰されているかのように床に張り付いた。
「グッッ……!!」
顔面を黒曜石の床に叩き付けられた為か鼻が折れ、額から血を流すグリムだが、衝撃が治まって尚、グリムに圧し掛かる謎の力は消えることなく、グリムに一切の行動を封じている。あまりの衝撃音に、退室した筈の漆黒のドレスを着た長い黒髪の美女が、吹き飛ばされた扉の端から顔を覗かせその中の惨劇を目の当たりにし悲鳴をあげる。
「グリムッ!!___キャァッ!」
長い黒髪の美女は、倒れ伏すグリムに駆け寄ろうと部屋に足を踏み入れた途端__グリムと全く同じ謎の力によって床に叩き付けられ、動きを封じられる。その美女の悲鳴を聞いた途端、倒れ伏していたグリムの表情に焦りの色が現れ、声にならないうめき声と悲痛な叫びと共に、絞り出すかのように叫んだ。
「アムリタ様ッ!申し訳ございませんッ!!怒りに任せたご無礼をッ!どうかお許し下さいッッ!!」
グリムの叫びを聞いたアムリタはまるで面白くない劇でも見せられたかのように不機嫌な表情に変わり、聞こえる程大きな舌打ちをすると、玉座に頬杖をつき足を組んだ、その瞬間玉座の間の熱く重い空気が晴れ、同時に美女とグリムを封じ込めていた謎の力が解かれ、二人はその場で姿勢を整え頭を床にしっかりと付け平伏する。
「ご慈悲に感謝いたします。」
平伏した満身創痍のグリムと黒髪の美女を交互に見据えると、興味を失ったかのようにアムリタの瞳は暗く濁り、やがてどちらでもない明後日の方向に視線を向け吐き捨てるように言葉を送った。
「もういい。兎に角、人間族領への侵略は無しだ。ただし、攻められた時には追い返す程度で迎撃しても構わん。__分かったら、失せろ。第9代目『魔王』ファランド・グリム・ドワフール。その伴侶、エメル・イーナ・ドワフール。」
「「!!……はっ!失礼します。」」
二人は立ち上がり、逃げ去る様に早足で扉の無くなった入口から退出する。その足取りは恐怖で僅かに震えていた。
周囲に気配が消えたことを確認し、アムリタは独り言ちた。
「はぁ……やはり、クソ餓鬼を魔王にするべきでは無かったか、血の気が多いし面倒くさい……あぁ、つまらん。」
嘗て、幾千もの戦争において不敗。___完全無敗と謳われた魔王がいた。
その王は魔族に偉大なる勝利と広大な領地を与えた後に、歴史から姿を消した。
誰かが言った。
かの王は生きていると。
誰かが謳った。
かの王は『不滅』であると。
魔族の子らは謡う。
かの王は『戦神』であるが故に『不滅』であると。
『魔王』ティー・ターン・アムリタは魔族に繁栄を齎した、偉大なる『魔王』であると。魔族の民は皆、口を揃えて言うだろう。
『戦神』と呼ばれる。全ての魔族を統べた『不滅』の魔王。
第8代目『魔王』ティー・ターン・アムリタ____彼はかつて、そう呼ばれていた。
***
我は、ティー・ターン・アムリタ。第8代目の元『魔王』所謂前任者というやつじゃ。かれこれ300年は生きておる『不老』の男じゃ。民はよく我の事を童歌などで『戦神』だの『不滅』だの仰々しく謡っておるが、何てことはない、我は元より民と同じ魔族。勿論、首を斬られれば死ぬし、心臓を抉られても死ぬ。ただの偶然で『不老』とかいう称号を手に入れてしまっただけの小さな存在じゃ。今はこうして『魔王』の座を先ほどのクソ餓鬼に譲り、お目付け役的なポジションでひっそりと生きておる。本来ならば300年前に死ぬべき筈の存在である我が、今を生きていることが烏滸がましいのでな。民とて、我の存在など信じてはおらんだろう。それでよい、時代は移り変わるものである。そろそろ、あのクソ餓鬼に『魔王』の実権の全てを託そうと思っていた矢先にあの調子だ。
全く、血の気が多すぎて敵わん。
アレとて我が見出した『魔王』に相応しい男よ。しかしながら、まだ青い。大局を見極められないクソ餓鬼では、直ぐに滅ぼされてしまう。
我ら魔族は、人間族という、我ら魔族とは似て非なる、膂力や魔力は非力でいるが知恵が回り結束力が強い人間族と長きにわたる戦争を繰り返している。我ら魔族は人間族と違い力も魔力も精強で生まれつき生命の上位種たる存在と教育を受けている。魔族には姿形がまるで違う種が幾つも居るが、人間族にはその姿形の差異はあまりない、精々肌の色や体格が違うくらいの誤差だ。その人間族と我ら魔族はどういう因果か、何千年と長きに渡り、無駄な戦争を続けてきた。
我が、『魔王』に即位した頃は、我ら魔族が滅亡寸前まで人間族の手によって落とされようとしていたが、何とか持ちこたえ、今の世まで300年弱の平穏が続いていた。この均衡を崩しては絶対にならん。あのクソ餓鬼は人間族との戦争を、知識でしか知らん、否。今を生きる全ての魔族は人間族との戦争など経験したことなどない。知っているのは我、ただ一人。『不老』であるが故の生き証人。
人間族との戦争は絶対に起こしてはならない。
我ら魔族は確かに、彼らより力があり、魔力もあり、魔法も扱える。だがそれ以上に慢心しておる。誰もが魔族最強を信じて疑わない。300年前に我ら魔族は人間族に滅ぼさかけた事実も知らない。無知は罪であり、知らないという事が、どれ程恐ろしい事なのかを、我は知っている。否、経験してきた。
『魔王』ファランド・グリム・ドワフールが、今の認識を変えない限り魔族が滅亡するのは明白なのだ。
だからこそ、こうして心を鬼にしてまで、分からせているというのに、何故折れん。メンタルだけは『魔王』クラスじゃな。関心関心……って、違う。実力も才能も全てが抜きん出た天才、それに魔族の殆どを率いるカリスマ性。その能力は正に『魔王』。故にあのクソ餓鬼は『魔王』なのだ。___しかし、それでは足りん。その程度の『魔王』ならば幾らでも生まれ、滅ぼされる。過去7代に渡る『魔王』達も、その殆どが慢心して死んだ。あのクソ餓鬼も今、先人たちと同じ道を進もうとしている、いや、既に進んでいるのかもしれない。だとすれば、止めなくてはならないが、しかし____
生の理から逸脱した我が、本当に介入していいものなのだろうか。本来なら我は存在そのものが有り得ない、生きていてはいけない存在。何かの使命があるわけでもない。我はなぜ生きている?なぜ我だけ生きているのだ?
当時を知る家臣は居ない。当時を知る友はいない。いや、そもそも友達など初めから居ない。
読書と実験の日々だった。読書で得た知識は我の欲を満たし、実験は我に生き甲斐を与えてくれた。
ある時、父が討たれた事を知った。
そこからだった、我が『魔王』への道を歩み始めたのは……
幾度となく死地を潜り、様々な実験の日々と並行した。それが壊れたのはいつだったか_____
***
《エラーが発生しました。》
《称号『不老』Lv.0000 を獲得しました。》
《称号『呪縛』Lv.0000 を獲得しました。》
《対象に『呪縛』が付与されました。》
「__なに?」
そのきっかけは何だったのか、未だに理解できていない。称号という能力に興味を抱きその研究を行っていた時だったか、唐突に感情の無い女の声が頭の中に響いたのを覚えている。
《『不老の呪縛』『永久の呪縛』『称号の呪縛』『拘束の呪縛』が付与されました。》
呪縛
これがもう、非常に厄介なものであった。
『不老の呪縛』は老いることの無い呪い。
『永久の呪縛』は永久に不幸が起こり続ける呪い。
『称号の呪縛』は手に入れた称号を二度と解除する事が出来ない呪い。
『拘束の呪縛』は呪縛を得た地点から一定範囲でしか行動出来ない呪い。
これらの呪縛を解くことは出来ない。通常の呪縛、呪いであれば解呪の術さえあれば簡単に解くことは可能なのだが、我には、『不老』Lv.0000の称号と同時に得た、称号『呪縛』Lv.0000というステータスによって、呪縛の解除を無効化されてしまう。『称号の呪縛』が称号『呪縛』Lv.0000を縛り、称号『呪縛』Lv.0000が『称号の呪縛』を縛る。完全に付け入る隙がないステータスの布陣。
かれこれ、100年は研究したが、どうにも希望が見えない。
称号『不老』Lv.0000を手に入れてからは、怒涛の日々だった。数多の戦場を駆け巡り、新たな力を身に着け、気づけば我は『魔王』へと至っていた。
死と隣り合わせの日々を生き、今日を共にした仲間が明日には見るに堪えない肉片に変わる。それでも我は生きながらえた。否、人一倍、生きる事への執着があったのだろう。未練があったのだろう。
そんなものは、今はない。
いつ死んでもかまわないと思っている。理由など上げたらキリがないが単純に、飽きたのだ。
『拘束の呪縛』で我はこの地から離れる事が出来ない。研究も探求心も湧かない。もう何も面白くないと思えてしまった。何もないというのは失うよりも辛い。なら一層の事死んで転生にでも期待するべきであろう。
我が命を絶てば、あのクソ餓鬼が真っ先に人間族を滅ぼしに掛かるだろうが。それも、時の流れ時代の流れじゃ。最悪、『勇者』の称号を持つ者が召喚されるかも知れんが、我は知らん。
勝手に魔族でも人間族でも滅んでしまえ。
座りなれた玉座から立ち上がる。我が魔力の波動でボロボロになったこの玉座の間、今後2度と戻ることはないだろう。魔法を使いこの部屋の全てを修復する。誰も居ない我が居城もこれでお別れじゃな。死に場所はどこがいいか____やはり昔見たあの美しい海を前に死ぬのも一興か。体内で魔法を起動させる準備をする。魔力が体内を循環し、現象を作成する。魔法の準備は万全、魔力は余るほどにある。何も問題ないの。では。
「『転移』」
言葉と共にアムリタの濁った眼が光りを取り戻し空気が変わった。瞼がパチリと瞬き、その瞬間に姿が消えた。
***
ふむ、相変わらず美しい景色だ。
眼前に広がるのは透き通るほど美しい海。白い砂浜にさざ波。誰一人いないこの美しい自然の海。
せめてこの美しい海の前で死のう。自害する為の魔法の準備をする。何がいいか、頭上から岩石を落として押しつぶそう。そんでもって派手に爆発させるのも悪くない。魔法の仕様に若干の変更を加える。よし、いつでも発動できる。
そんな時、嘗て聞いたあの無感情な女のような声が頭の中に響いた。
《エラーが発生しました。『永久の呪縛』の付与が確認されました。『拘束の呪縛』が弱体化しました。》
なぬっ!?
システムに仕掛けていた通知が、聞き捨てならない発言をした。
『拘束の呪縛』の弱体化じゃと!?____命を絶つのは辞めだ!『永久の呪縛』を手に入れた者に!会いに行こう!今すぐに!仲良くならねばならん!!
幸いにもシステムからの逆探知により、対象の地点は特定した。我の転移は万能だ。地点の情報さえあればこの世界のどこへでも行ける。そして『拘束の呪縛』が弱体化したことにより、行動可能範囲が広がったような気がする、勘にはなるが転移も可能な気がする!!行くぞ!!
「『転移』!」
***
目の前には見慣れない黒のローブを着た人間か?魔力の量は、並みの魔族すら超えるとんでもない莫大な魔力を内包した人間。その片手には真っ黒に焦げた何かの肉。おいしいのかの?
いいや、違う。そうじゃ無い。まずは此奴が『永久の呪縛』に縛られた者か聞かねばならん。
な、なるべくフレンドリーに話しかけねば、嫌われるかもしれん……。
そ、そう言えば、グリム以外の奴と話すのは何年振りじゃ?
呼吸を整え、言葉を発するために小さく息を吸う。
「お前っ_が、『永久の呪縛』に縛られた者か?」
やってしもうたァァァァァァーーー!!!!!
フレンドリーじゃ無いぞ!我!何を偉そうに言っておるのじゃ!!こんな事言われたら、我だったら真っ先にぶん殴っておるわ!!我の馬鹿ッ!あとちょっと噛んだしッ!
「あ、違います。」
「え?」
_____違うの?
次回は明日投稿します。