36. いつもどおりの食卓
「アンナっ!大丈夫なの?!!」
夕刻を過ぎ夜に差しかかった頃、夕ご飯の支度をエヴァンと二人でしていると、エミリアがそう言って勢いよく飛び込んできたので、アンナは驚いてもう少しで手に持っていたスープの入った鍋を落としてしまうところだった。
「エミリア?一体どうしたの??」
彼女が何をそんなに慌てているのかが分からなかったので、その狼狽ぶりにアンナが戸惑っていると、エミリアは、来て早々アンナの肩や腕、頬などをさすっては、彼女がどこも怪我をしていないかを確かめたのだった。
「良かった。うちの劇団の子が、昨日血塗れでフラフラと歩くアンナを見たって言うから怪我したんじゃないかと心配しちゃったわ。きっと何か見間違えたのね。」
「あっ……それは多分、私で合ってる……」
アンナは落ち着くようにとエミリアを椅子に座らせると、昨日の出来事、そして今自分の部屋で怪我をしたルーフェスが眠っている事を、掻い摘んで彼女にも説明したのだった。
「ねぇ、それじゃあ例の彼が今二階に居るってことよね?」
「そうだけど……」
その返答にエミリアが目を輝かせたので、アンナは嫌な予感しかしなかった。
「成程。それなら私もちょっとご挨拶してこようかしら。彼のこと見てみたいし。」
不敵に笑ってエミリア立ち上がろうとするので、アンナは慌てて彼女を止めた。
「駄目よエミリア。寝てるんだから起こさないで!」
そんなアンナの必死な様子が可笑しくって、エミリアは思わず吹き出しながら言った。
「ふふ、冗談よ冗談。怪我人にそんな不粋な真似しないわ。」
そう言って楽しそうに笑うエミリアだったが、彼女との付き合いの長いアンナは、エミリアならやりかねないと思ったので、口には出さなかったが物言いたげな目を向けたのだった。
「ところでエミリアは夕飯は済んでいるの?私たちはこれからなんだけど、一緒に食べていく?」
「有難う、お言葉に甘えて頂くわ。」
アンナの申し出を有り難く受け入れると、エミリアも食器を並べたりして食事の準備を手伝った。
あり合わせの野菜と卵、それから干し肉を煮戻して、塩をベースにいくつかの香辛料で味を整えたコンソメスープと、日持ちする様にと作られた硬いパン。これらが並んだ食卓を三人で囲んだ。
「それで、エヴァンは会って少しは会話したんでしょう?そのルーフェスって人、どう見えた?」
アンナ特製の温かいスープを飲みながら、エミリアは向かいに座るエヴァンに問いかけた。どうしてもルーフェスという人物像が気になるのだ。
問いかけられたエヴァンは、スープを飲む手を止めて、少し考えるような素振りを見せて勿体ぶりながら答えた。
「……滅茶苦茶痛そうだなって思ったよ。」
「いや……、多分そうなんだろうけど、私が聞いてるのはそうじゃなくてね……」
思っていたのと違う回答に、呆気に取られたエミリアを見て、エヴァンは悪戯っぽくニヤリと笑った。
「悪い人では無さそう。穏やかそうだし、姉さんを庇ってあんな大怪我を負うんだ、良い人だと思うよ。ただ……」
エヴァンは、昼間ジェフに会いにクライトゥール公爵家を訪れた時のことを思い出してそこで言い淀んだ。
姉にも、ルーフェスにも言っていない事があったのだった。
「ただ……?」
後に続く言葉を促されて、ハッとした。
「……ううん。何でもない。」
これはまだ言えないことだと判断し、エヴァンは黙ってスープを口にした。
「さては、アンナが取られて寂しいか。」
エミリアの突飛な解釈に、エヴァンは思わず飲んでいたスープを吹き出しそうになった。
「違う!そんなんじゃないよ!!」
「ふふ、エヴァンも可愛い所あるわねぇ。」
「だから違うって!!」
ムキになって否定するも、エミリアは揶揄って取り合わない。
目の前で繰り広げられるエミリアとエヴァンの他愛のないやりとりを眺めて、アンナは次第に心が和やかになっていった。
昨日から続く緊迫した状況から、やっと日常に戻って来れたようで、いつもの変わらないそんな二人のやり取りを穏やかな気持ちで見守ったのだった。




