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35. 深い傷跡

「ルーフェス……」


優しい声に自分の名を呼ばれて、ルーフェスは眠りから覚醒した。見るとベッドの横にはアンナとエヴァンが控えている。


「起こしてごめんなさいね。」

「いや、問題ないよ……。それより、ジェフには会えた?」

ルーフェスはお使いを頼んでいたエヴァンがそこに帰ってきているのを確認すると、その成果について訊ねたのだった。


「会えたけど……あの人一体何者?!何あの貫禄、只の庭師じゃないでしょう?!」


庭師とだけ聞いていたエヴァンが訪ねたジェフと言う男性は、老齢にも関わらず上背のあるがっしりとした体つきで、顔には深い斬り傷の跡が残っており、目つきも鋭くなんとも近寄り難い風貌をしていたのだった。


「あぁ。ジェフは昔凄腕の冒険者だったって聞いてるよ。一人で高難易度の討伐依頼を颯爽と達成するようなね。彼、凄みがあるよね。でも良い人だから怖くないよ。」

痛み止めが効いてきたのか、ルーフェスは先程よりも大分話しやすそうで、口が回っていた。


「確かに、話してみたらそんなに怖くは無かった。貴方のことを凄く心配していたよ。けどね、事前に言っておいてよね。俺の想像する一般的な庭師とはかけ離れ過ぎてたから本当に貴方の伝言先がこの人でいいのか戸惑ったわっ!!」

「そっか、ごめんね。でも彼でちゃんと合ってるよ。」

「でしょうね。それで事情を説明したらこれ渡されたよ。」


そう言って、エヴァンは先程テーブルに広げた荷物をルーフェスにも見せたのだった。


「着替えと傷薬。それから伝言を預かってる。動けるようになったら直ぐに帰ってくるようにって。……それまでは、こっちで何とかするって言ってたよ。」


その言葉を聞くと、ルーフェスは表情を僅かに曇らせたが、誰にも気づかれぬ間にいつもの柔らかい笑みを作って自分の為に一仕事を終えてくれた少年を労ったのだった。

「届けてくれて有難う、エヴァン。とても助かったよ。」


それからルーフェスは荷物を受け取ると、その中から紫の小瓶を手に取って、まじまじと見つめた。


「これはジェフが昔冒険者をやっていた頃のとっておきだね。前にも一回使ってもらった事あるけども、もう残り少ないのにコレを出してくるなんて……早く帰らないとな……」


ルーフェスは独り言のように小さな声で呟くと、手にしていた紫の小瓶の栓を開け、口をつけようとした。

しかしその瞬間、それを静止しようとする声が上がったのだった。


「まって、それ飲むつもりなの?!」

思いもよらない声がかかり、ルーフェスとアンナは声の主の方を見た。傷薬を飲もうとするルーフェスの行動をエヴァンが静止したのだった。


「えっ、そうだけど?一体どうしたの?」

ルーフェスもアンナも、エヴァンからの急な静止に戸惑っている。


傷薬の使い方は、患部に直接塗布する外的使用と、口から飲む内服の二通りあるが、一般的には内服する方が、高い回復効果を得られると言われているので傷薬を飲むと言う行動を止める理由が二人には分からなかったのだが、それでもエヴァンは信じられないと言った目でルーフェスを見ている。


「え、本当に?だってそれジェフって人が現役の冒険者だった頃の代物何でしょう?何年前……いや、何十年前の物なの?飲んで大丈夫?腐ってない?」


傷薬に馴染みのないエヴァンにとっては、何十年も前に作られたであろう代物を、躊躇いもなく口に付ける事がありえなかったのだ。


彼の指摘に、ルーフェスとアンナは思わず顔を見合わせた。冒険者の仕事をしていると怪我も多いので、今まで何度か傷薬を飲んだ事があるが、いつ作られた薬かまで気にした事はなかったからだ。


ルーフェスは早く傷を治すには内服するものだと思い込んでいたが、エヴァンの指摘を受けて考えを改めた。何十年も前に作られたであろう代物を口にするのは流石に躊躇ってしまったのだ。


「アンナ……悪いけど、背中の傷に塗ってくれないかな……?その……傷口はかなり見た目が不快だと思うけど……」


彼は手にしていた小瓶をアンナに渡して、申し訳なさそうに依頼をする。


「大丈夫よ、やるわ。そろそろ包帯も変えた方がいいと思ってたしね。」

小瓶を受け取ると、アンナは快く引き受けた。昨日一度傷口は見ているので、傷の見た目がどれだけ酷いものかは覚悟は出来ている。


それから、はたと気づいて弟の方を見た。


「エヴァンは傷口とか見慣れてないだろうから向こうへ行ってて良いわよ。」

この中々刺激が強すぎる傷跡を弟には見せたくないという姉心から、アンナはエヴァンに部屋を出るように勧めたのだが、エヴァンは首を横に振って、その提案を断ったのだった。

「ううん。ここに居るよ。」

興味本位なのか、もっと別の感情なのか。自分でも分からないが、エヴァンはこの場に留まることを選択したのだ。


ルーフェスの身体の向きをうつ伏せに変えると、アンナは彼の包帯を解き、傷に当てていた布にそっと手をかけた。


血が滲んだ当て布をゆっくりと外すと、左肩から背中に広がる四本の凄惨な爪痕は、縫ったところが赤黒く盛り上がっている。


アンナは傷薬の瓶を傾けて、適量を手のひらにとると、彼の背中の傷にそっと触れた。


「痛っ!!!」

少し触れただけなのに、ルーフェスが大きな声を上げたので、驚いたアンナは咄嗟に手を引っ込めた。


薬が染みたと言うよりは、傷に触れられた事で身体の中を痛みが走り、思わずルーフェスは声をあげてしまったのだ。


「痛かった?痛いよね?ごめんね、もっとゆっくり塗るわ。」

「いや……どうせ痛いんだから、一思いに一気に塗ってくれないか……」

うつ伏せである為、ルーフェスの表情は見えないが、その声からは緊張が伝わってきた。


「……分かったわ。」

せめて苦痛な時間は最小限に止めようと、どんなにルーフェスが声をあげても戸惑わないで一気に最後まで塗る覚悟を決めて、アンナは傷口への薬の塗布を再開した。


「ぐっ………ゔ、ゔぅ……」


ルーフェスはシーツを強く握りしめて、傷口に触れられる度に走る激痛に歯を食いしばって耐えたのだった。




「塗り終わったわ。後は残りを当て布に染み込ませて貼っておいたわ。」

「……ありがとう……」

包帯を巻き直して貰うと、ルーフェスは再び仰向けに横たわった。

心なしか、薬を塗る前より少しぐったりしている様にも見えた。


この二人の一連のやりとりを、エヴァンはただ固まって見ていた。


傷口の凄惨さもさることながら、目の前で人が呻く所なども見たことがなく、彼には中々ショックが大きかったのだ。


(姉さんは、今までこのような危険と隣り合わせだったのか……)


一歩間違っていたら今ここで怪我をしているのは姉の方だったかもしれない。そう考えると、怖くてたまらなくなっていた。


「さぁ、もう暫く眠った方が良いわ。私たちは席を外すからゆっくり休んでね。」

「ありがとう、そうさてもらうよ。」


アンナはルーフェスに休む様にと勧めると、横たわった彼の布団を掛け直してから、エヴァンを連れて部屋を後にした。


そして一人部屋に残されたルーフェスは、ドアが閉まるのを見届けるとゆっくりと目を閉じて、再び深い眠りへと落ちていったのだった。

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