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1. 在りし日の決意

(どうしよう、完全に出遅れたわ……)


腰に父の形見である剣を携えて一つに結いた赤毛の髪を揺らしながら、アンナは慣れ親しんだ冒険者ギルドへの道を全力で走っていた。


ギルドが開くのは朝の八時。割りの良い仕事はオープン直後に埋まってしまうし、それなりの仕事だって一時間もしたら売り切れてしまう。


それなのに、今の時刻は午前九時になろうかというところ。普段ならば八時前には到着しギルドが開くのを待っているのに、今朝は運が悪かったのだ。


月末である今日は、借りている家の家賃を支払いに大家であるグリニッジ婦人の元へ朝一で向かったのだが、一人暮らしである老齢の婦人はアンナの来訪を大変喜び、ここぞとばかりに一人では出来ない雑用を頼んだので、真面目なアンナは困ってる老人の頼みを無下に出来るはずもなく、婦人のお願いを全て聞いてあげていたらこんな時間になってしまったのだ。


(お願いっ、せめて何か一件でも仕事が残っていて……)


家賃の支払いとその他の色々な急な出費で、蓄えていたお金は底をついてしまっていた。それどころか今手持ちのお金さえ無いのだ。

だから今日は絶対にギルドの仕事をしなくてはならない。そうでないと、今夜は食事を抜かざるを得なくなってしまうのだ。

自分一人だけならそれでもいいが、弟のエヴァンにはそのようなひもじい思いをさせたくない。そのためにアンナは必死で走っていた。


動きやすい服装で髪を振り乱しながら全力疾走するその姿からは想像もできないが、かつてアンナは男爵家で何不自由なく暮らす可憐な令嬢であった。


全ては、五年前に一変した。


アンナは、両親が亡くなり保護者を失った自分と弟が命を狙われるようになったことで、男爵家での暮らしを捨てて領地から逃げ出し、平民に紛れて冒険者として生きていくことを選んだのである。


貴族の娘でありながら、平民のように働くことを余儀なくされた彼女であったが、幼い弟という守るべき対象と持ち前の責任感の強さのお陰で、挫ける事なく今日までやってこれたのだった。


在りし日のことを懐かしく思う時もあったし、自分の境遇を悲観する時もあったが、あの日から、冒険者としてこの五年間を死に物狂いで生きてきたのだ。


貴族の子として大人に庇護されて大切に育てられてきたアンナとエヴァンにとって、市政での暮らしは戸惑うことばかりであり、初めの一年は、本当に苦労した。


特に、一緒に逃げてきた弟のエヴァンは当初は急激に変わった環境に適応出来ず良く体調を崩しており、高い熱を出しては、硬いベッドの上でうなされている事が多かったので、アンナはそんな弟の汗を拭き、体をさすって手を握り、たった一人で献身的に看病したものだった。


当時アンナは、まだ十二歳の子供でしかなかったのに。


けれども、ここには弟が頼れる人は自分しかいないと分かっていたので、彼女は折れそうな心を必死で奮い立たせて、一人で懸命に弟を看病した。


(本来ならば、この子はこんな目に遭う筈なかったのに……)


汗を拭ってあげながら、アンナは弟の境遇を悲観した。ベッドに横たわる、両親も、住む家も、約束された将来も失った、まだたった七歳の弟が不憫で仕方がなかったのだ。


男爵家の嫡男として産まれた弟は、次期領主としての将来を約束されていた筈なのに、それが今、借家の硬いベッドの上でろくに医者に見せることも出来ずに高熱に苦しんでいるのだ。


熱に浮かされる幼い弟の額の汗を優しく拭いながら、アンナは何としてもこの子を守り、きちんとした教育を受けさせて、本来彼が歩むはずだった道に絶対に導こうと、人知れず決意を燃やした。


(これ以上この子を不幸にはさせない。不自由な思いはさせない。私がこの子を守るんだ。私しか居ないんだから……)


若干十二歳でそう決意し、そしてそれから五年が経った。


あの時の決意は今も変わらず、アンナは弟の庇護者としての責任を果たすことに懸命であった。


だから今日も、生活費を稼ぐ為に冒険者ギルドへと、急いだのだが、結局、ギルドに到着したのは九時を少し過ぎた頃だった。


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