PART.1 こうして僕は死んでいく:後編
事故現場に再び辿り着いた。街灯が点滅し、冬の風が僕のずぶ濡れのコートを冷やす。
ガタガタと震えながら僕は事故現場の道路の端に花束をそっと置き、ガチガチと煩い歯が鳴る音を聞き流しながら亡くなった方へ祈りをささげた。
誰もいない。そんな夜。寒すぎて体の感覚が無くなっていくようだ。体の震えによって熱が生成されても気化熱がすべてを攫っていく。全身がバキバキとひび割れるように痛い。頭が痛くて涙が出そうだ。
「えっ?なんか熱い…。」
体は震えているのに体が熱い。そんな状況で思い出した。
南極なんかで遭難した人が死ぬ時、ほぼほぼ半裸や全裸の死体が見つかるそうだ。で、それがなぜかを調べると寒さが一定値を超えると体が異常な熱を放出するため熱く感じる。しかし、それは最終手段のようなモノだから上を脱いだり薄着になったりするのは論外だ。凍え死にたいのかと言える所業らしい。
暑さによる苦しみと震えが止まらない体に四苦八苦しながら僕はコートが乾くのを待った。
「そうだ、火事。」
家が燃えていたことを思い出した。あっちはとても暑かった。だから、コートを温めれば行けるのではないかと。
家に出来るだけ熱が逃げないように肩を抱きしめながら家に向かう。
僕のそんな安直な考えは消火されているという、事実がすべてを否定してしまったが、壁は風よけになるはず。なぜ僕は火事の時にコートを濡らしたんだろうと後悔を始めた。自分の身体能力を理解していれば、コートを濡らす必要性なんてなかったんじゃないか。
そうして、ボロボロになった家に入り、未だに熱くなっているはずの金属を探す。コートを風呂場で絞り、服も物色するがほとんどが燃えてしまっていた。何枚かボロボロでもかろうじて切ることが出来る服が見つかったため、追加で着込んで体温が逃げないようにする。
「あ、あった。」
偶然、コンロの中に入っていた金属が熱かった。綺麗に掃除しておいてよかったとここまで切実に思ったことはない。
「ああ、あったかい…。」
コート越しに抱きしめると湯たんぽみたいに温かかった。でも、次の問題がある。
「食事が…。」
家にある食材は生野菜がある程度、後はアルミホイルがある。肉はまだ大丈夫なはずだ。一応これでも密閉してあるし、冷凍保存していた。まだまだ凍っている。冷凍庫の中にあったものが溶けていなかったのが幸いだ。台所の被害が余りなかった…とは言えないが、詳しいことを考える暇はない。
「火を点けるのは…。危ないな。ガスが充満している可能性もある。」
家事があってガス管に傷がついていたら火を点けた時点で終了だ。まずは今日は家の屋根が抜けないように見張っている必要がある。そうだ、真空パック?の中に調味料と肉を漬け込んでおこう。醤油と塩、砂糖を少々。そうした方が長持ちするはずだ。塩分は濃い目で。水道が動くことは確認した。今出るうちにペットボトルのゴミ(洗浄済み)に水を詰め込む。台所を見渡すと中華鍋が立てかけてあるのを発見した。
そう言えば、どっかの人が太陽光を反射させて料理できるっての教えてくれたな。夏じゃないとできなさそうだけど、一応アルミホイルがあるんだ。明日雨が降らなかったらやってみよう。
「とは言え…。母さん、どこにいるんだろう…。」
「私は知ってるわよ。」
唐突に女性の声が聞こえた。ぞっとするほど暗く、寒気のするような声。でも、聞き覚えがある声。
「母さん!」
「はぁ…。なんで死んでくれなかったのかしら。」
「え?」
しかし、感動の再開とは思えないような言葉が待っていた。
「私が再婚する時、あんたが邪魔なのよ。だから保険金がかかったあんたが死ねばお金も手に入るし排除できるし得できるのよ。」
「育てたのも保険金目当て?」
「ええ。あの男が死んでから、私は何も出来なかった。あんたは血がつながった子供だからまだ情があったのよ。そう簡単には殺せない。でもね?火事に見せかけて殺してしまえばそんなことはないと思ったのよ。でもあんたは…。」
そう言うと僕の首から形見の指輪を取り、
カラン…ドンッ!
靴で踏みつぶした。退けた足から指輪の破片が零れ落ちる。
「あっ!」
「こんなゴミを取って、良く生きてたわね!私が直接的に殺したら犯罪になる。証拠が残るし。でも、焼け死んだらそんなの関係ないじゃない!」
「…そんなの、おかしいよ。今まで僕をだましてたの!?」
「…ええ。」
「じゃあ、あのハンバーグ作ってっていう願いも!全部が嘘だったの!?」
「…嘘よ。」
「じゃあ、なんで今そんな悲しそうな顔をしてるの!」
「…ッ!?」
「愛情が無いなら僕を殺せるはずだ!そこの中華鍋を振りかぶれば僕を殺せるはずだ!包丁を使えば僕を殺せるはずだ!」
「黙りなさい!」
「いいや黙らない!母さんなんか大嫌いだ!裏切って、心配させて!」
僕は母さんにタックルしてお金を持って、そして指輪の破片を握りしめて家を出る。
夜風は冷たく、再び寒さに襲われる。貴重な食料も置いてきてしまった。今の時間に精肉店に行ってももうやっていないだろう。なら、学校はどうだろう。
僕は震えるを抱きしめて、動きの鈍くなった体で学校を目指して歩き始めた。
それは僕にとっては途轍もなく長い旅路だった。電車も終電が出てしまい、歩いていくしかない。一度、自分の足だけで学校に行ったことがある。しかし、それでもかなり長い時間がかかった。走れれば楽なのだが、走れば風によって体温を奪われる。歩いていくしかないのだ。汗をかいてしまっては余計冷える。そして、…死ぬ。
ずぶ濡れのコートは風呂場で絞ったことで大分マシになっていたが、一番良かったのはある程度燃えていたとはいえ服を何枚も着込んだことだろう。寒気が酷いが、先ほどよりは寒くない。
いくら絞ったとはいえ、コートだ。水は未だ滴っていて、気化熱は相変わらず寒い。
酷い寒気を訴える体を押さえつけ、学校へと向かう。筆記用具含めすべてが無くなってしまったのだ。どうにかして入手する必要がある。指輪の破片をポケットに放り込み、反対のポケットから軍手を取り出して手に嵌める。
「冷た!?」
冷え切ってしまっていた。けれど、時機に暖かくなる。それを願いながら僕は先に進む。火事の時、あまりの熱でズボンが乾いてきていたのが幸いしていたのか、足が余り濡れていない。上半身はコートの所為でダメだが、あの時コートをこうしていなければ下手したら死んでいたかもしれないのだ。過去の最善策が未来の失策なんてよくあることだが、この時点では大分致命傷だ。
寒さがピークに達し、体が動かなくなってきた。学校まであと五分ほどだろう。
「(学校に付けば、用務員さんがいる。助けてくれるはず…。)」
声にならない声を上げながら、最後の希望を持ってひたすら歩く。
学校が見える。明かりがついている。
(やった!あと少しで温かいお湯がもらえる!)
今欲しいものが頭に浮かぶ。何個も何個もとはいかず、ただひたすら温かいお湯が欲しかった。
体が冷え切っていて、震えが収まらない。
「(あれ?…何で目がぼんやりして、温かいんだ?)」
涙が流れていることも気付かず、僕は学校へと歩く。
そして、用務員さんに声をかけようとしたところでその時は訪れた。
「(ダメだ。あとちょっとだったのにぃ…。)」
寒さで体が先にやられた。一歩も歩けない程に疲弊し、酷い眠気に襲われる。体のあちこちが割れそうなほど痛いのに眠気がする。
声が出せない。
瞼が重い。
お腹が空いた。
喉が渇いた。
寒い。
痛い。
そんなことが今の状況を表す言葉だろう。そして、助けを求める言葉が出ることすらなく、僕は目を閉じる。
健也の一筋の涙は冬の夜風が乾かし、彼の『助けて』という心の叫びは誰にも届かず、ひっそりと、そして寂し気に意識を失った。