PART.1 こうして僕は死んでいく:前編
何気ない日々。
それは誰にでもいえる至高の日と言えるだろう。恐らく、十中八九の人間がそんな日常を望むに違いない。
オタクが家でアニメや漫画を見ることに一日を費やしたり、恋人持ちの陽キャが休日いちゃついたりデートしたりするのも、結局は何気ない日々に一つのアクセントが付いた程度のものだ。
僕、影山健也の日常もそんなものであった。
高校一年で彼女無し、特筆するような特技もルックスも趣味も持ち合わせていない。所謂モブというモノだ。
そんな僕にも大切な家族はいるわけで。僕の家族は小さい頃亡くなった父さんの形見の指輪と母さん。兄弟や姉妹には恵まれておらず、母さんは再婚せず、一人会社勤めで僕をここまで育ててくれた。今考えると感謝しかない。
で、何故家族のことを取り上げたのかというと、
「ケンちゃん、実は母さん、再婚することにしたの。」
そう。母さんの和美が再婚することになったのだ。勿論、僕はやっと母さんが頼れる人を見つけられたのだと喜んだ。
正月明けの嬉しい知らせだ。今日は赤飯かな?と僕は夕飯のことを自然と考える。
「で…ごめんなさい。」
「ん?」
「再婚するにあたって母さんはあっちの家に行くから、ケンちゃんにはここにいて欲しいのよ。」
「ん~、まあ、母さんにも何か考えがあるんだよね?分かったよ。でも、たまには帰ってきてね?」
「分かってるわよ。じゃあ、三日後にはあっちに行くから。それまではずっと家にいていいって言われてるのよ。」
「ん~っと?会社が休みをくれた?ってこと?」
「そうね。引っ越し準備期間ってところでね。」
母さんはこのあたりでは有名な会社の部長だ。女性蔑視なんかが横行していた会社で能力だけで上まで這い上がっていった人間で、人間として僕は尊敬している。
「今日の夕飯は何がいい?」
「ん~、今日はハンバーグがいいな!母さんのハンバーグ、とても美味しいから!」
「ふふ、分かったわ。じゃあ、これからお肉とお野菜を買ってくるわね。あ、留守番お願いね?」
「任せてよ。留守番歴これで何年目だと思ってるの?」
「それもそうね。じゃあ、行ってきます。」
「行ってら~。」
そう言って母さんは近所のスーパーに買い物へ出かけた。
元公務員、現部長がそう簡単に襲われるなんてことはないだろうが、母さんは僕と違ってルックスがいい。四十半ばに入ろうとしているのに、未だに二十代と勘違いされることがあるほどだ。
そうしている間に、僕は課題を終わらせておくことにした。
一時間後…。
母さんはまだ帰らない。まあ、母さんは買い物が遅いからまだある方だ。僕が大好きなドクペを買ってくれているのかも。
一時間半後…。
母さんはまだ帰らない。いつもよりも遅いと感じ始めた。ひょっとしたら、肉か野菜かが売り切れて別の店に探しに行っているのかもしれないと思った。
二時間後…。
母さんはまだ帰らない。小さな違和感が、大きな不安へと変化した。僕はスマホを取り出し、近所で事故が起きたかどうかを調べ始めた。
二時間十分後…。
約三十分前、近所で車五台を巻き込む交通事故があったことが判明した。母の言いつけを破り、僕は家の戸締りをして、ボロボロになったコートを羽織りながら事故現場へと走った。時速十七㎞程で一階も減速も休憩もせず三時間以上走れる僕にとって、事故現場へとつくことは容易であった。
目の前の惨状は悲惨そのものだった。血痕が残っている。目の前には救急車が止まっており、誰かが担架に運ばれている。
「あれ?影山さんちの長男じゃない?どうしたの?」
近所の奈良さんが問いかけてくる。
「買い物に行った母さんが帰ってこなくて。おかしいと思ってネットで事故の有無を調べたんです。そうしたら、近所でこんなにも大きな事故があるじゃないですか…。母さんが巻き込まれたら、そう思ったら心配になってしまって。」
「そうなの…とはいえ、多分和美さんは無事だと思うわ。さっき精肉店に行っているのを見たから。」
「そうですか…。情報感謝します。一度走っていってきます。」
「行ってらっしゃい。」
精肉店に行ったという奈良さんの情報の元、僕は精肉店へ走る。
「あれ?ケン坊じゃないか。どうしたんだ?そんなに急いで。」
「はぁ…はぁ…ここに、母さん…来、ません、でしたか?」
「え?来てないけど。」
「本、とうで、すか?…はぁ…。」
「ああ。まさか、何かあったのか?」
「はい。実は…。」
僕は精肉店の店主に事情を説明した。
「母親が事故に遭ったかもしれず、近所の人の証言を元にこっちに走ってきたと。」
「そうなります。」
「う~ん、そうなると俺じゃ手助けできなさそうだな。」
「すみません、店に駆け込んできて、さらにはお茶までもらってしまって。」
「いや良いよ。別にあんたんちはお得意様なんだからよ。茶の金は要らんから早く母親を探してこい。」
「ありがとうございます。では、行ってきます。」
「当てはあるのか?」
「…ありません。でも、探せる場所は探さないと。」
「分かった。スマホはあるか?」
「え?あ、あります。」
店主はそういうと僕に小さなメモ用紙を一枚手渡した。
「見つかったら俺があんたに電話する。電話番号はあんたの母親から聞いてるから、この電話番号からかかってきたら出てくれ。」
「分かりました。では…。」
「気を付けてな!」
店を出て、当てもなく僕は町中を全力で走り続けた。母さんが近所で行ったことのある店を、記憶にある限り全部を行って確認した。
でも、母さんは見つからなかった。
母さんが家を出て六時間が経過した。すっかり日は暮れ、すでに辺りを包む闇が視界を遮っていた。流石にこれ以上の捜索は不可能だと判断し、僕は家に帰る。
…のだが、精肉店の店主から僕に連絡が入った。
『おい!』
「どうしたんですか!」
『お前んちが火事になってる!』
「何で!?」
『そんなの俺が知りたいくらいだ!ちゃんと電機系統はオフにしておいたか?』
「いつも通りやってましたよ!ガスが出ることも無いようにチェックしましたし、電気だって消してから来ましたし!」
『なら、誰かが放火したというのが有力だな。一応確認はしておけ!』
「分かりました。今帰宅中だったのでそのまま確認してきます。」
『気を付けろ!アニキの形見の指輪、家にあるんだろ?』
「…!?何故それを?」
『いつもつけてるペンダントがなかったからな。普通そう考える。とにかく、じゃあな!』
「ああ、ちょっ…。はぁ、店主は言いたいこと言ってすぐ電話切るんだから。」
アニキというのは僕の父さんのことだ。高校時代の同級生だったらしく、父さんは滅茶苦茶モテるワイルド系だったらしい。アニキという呼び名は喧嘩が強かった父さんのことを慕う言葉だったらしい。
(事故が遭った、家に放火された、なんか嫌な繋がりがある。母さんも見つからないし、どうなっているんだ?)
不安が現実に変わっていく。絶望感を覚えながら僕は家に走る。
「何で…。って、さっき言ってたよな。」
家を赤い火が燃やしていく様が分かる。木造ではなく、コンクリートが主になっている家が真っ黒になってしまっている。一度はすでに消火が済んでいたようで、消防隊員はすでに撤退していた。先程まで消防車の音が聞こえていたのに今は聞こえない。そう考えるのがベストだろう。
おかしい。まだ、家は燃えてるのに。だが、それ以上に大切なことがある。
「形見!」
決してなくしてはいけない大切なものが家にはあるのだ。
家の横にある水道で水…基お湯を頭にかぶり、全身を濡らす。そして、コートを脱ぎ水道水に浸けておく。万が一自分に着火した際、これで消火しようという戦法だ。
燃えているとはいえ、偶然外に出してあった軍手をはめて柱を昇ればあまり熱くない。まあ、所々燃えていて非常に暑いが。
シャッターと窓が開いていた。誰かが侵入したのかもしれないが、僕には関係ない。形見が取れればそれでいい。
窓から侵入した僕は自分の机から形見を取り出す。あとは自分のお金を少々。ポケットにねじ込んで柱を伝って急いで降りる。
形見の指輪は黒く煤が付いていたがお金を入れていた箱は表面が熱くなっていただけで中身は無事だった。
「五万二千九百二十四円。そこそこの時間は生きれるかな?」
そんなことを呟きながら、ずぶ濡れのコートを着て、フードをかぶり、お金の入った箱と形見の指輪を持って事故現場へと向かった。
事故現場はすでに何もなく、血痕や壊れた自動車すらなくなっていた。スマホは家に突入した際に壊れてしまったし(まあ、データは学校においてあるパソコンに移してあるから平気だけど)、連絡手段がなくなってしまった。
事故現場を後にし、花屋に訪れた。
「あら、こんな夜にいらっしゃい。えっと、濡れてるけど、大丈夫?」
「はい。ちょっと燃えた家にものを取りに行ったので。」
「ああ、そう、大変だったわね。えっと、今日は何用で?」
「お供え物用の花はありますか?」
「はい。…ちょっと嫌な話だけど、もしかして、誰か亡くなった?」
「分かりません。母さんが帰ってきてなくて。今日は事故や火事がたくさんあったので。」
「でも、この時にお供え物は不吉よねぇ。事故に遭った人は一番前の車の人以外みんな死んじゃったらしいけど、そのお供えって感じかしら。」
「そのつもりです。」
「じゃあこれ。二千五百円よ。」
「…大分詐欺みたいに安いんですが、量に比べて。」
「みんな花を買わなかったのよ。だからその分。みんなの分供えてあげて?」
「はい。」
家が燃え、母さんは行方不明。今日の食べ物も寝る場所もない。そんな僕の、真夜中の街の探索が始まる。