9 ねじれた親子
帰邸後、グレアルド侯爵家と四つの分家に関する招待取り消しの要望は、公爵であるイゾルデ自身によって、思いのほか簡単に受理された。
* * *
「――よろしいのですか?」
母が部屋を訪れたのは、執事に言付けを頼んでみずからの搭に戻り、体を締めつけない楽な衣服に着替え終えたところだった。
結い上げていた髪をほどき、側付きの侍女にブラシで梳いてもらっている。
アイリスは、丸椅子に腰かけたまま、鏡に映る母親に上目遣いで問いかけた。
イゾルデは、不安げに眉を寄せるアイリスに、こともなげに微笑んで見せる。
「いいのよ。わざわざミズホの茶会で尻尾を出すなんて。父親よりも可愛いのね。子どものほうは」
「子ども……」
ぽかん、と口がひらいてしまう。
さんざん『デビュタント前の半人前だから』と揶揄された。
その乙女たちが、母の手にかかると赤ちゃん扱いなのだ。つまり。
「最初から、そのおつもりで?」
「そう。ミズホと共謀して、近頃勝手をする家の令嬢を集めてもらったのよ。警告を兼ねて、釘を刺したくて」
――曰く、広大な領地で豊潤な農地や潤沢な資金を有する商会主のグレアルド家は、強引な手段で賄いを駆使し、騎士団内における兵糧担当事務官まで買収しているらしい。
「そんな。わたくし、てっきりお言葉どおりルピナスに相応しいかたがいるかと……。とても気を張っていましたのに」
憤慨して見せると、ふふんと鼻で笑われる。
「あら、元気になったこと。やっぱりサジェス殿下が絡むと違うわね、あなた。ひょっとして、もう婚約でも申し込まれてる?」
「!! 違っ……、母上!?」
「きゃっ。お嬢様、もう少しじっとなさって。髪が絡まってしまいます」
「ご、ごめんなさい」
勢い余って体ごと振り返ってしまい、アイリスは侍女に嗜められて、しゅん、と前を向いた。背後からくすくすと笑い声がする。
ふう、と溜め息をついた。
――――誰からも、婚約など。
こうして年々、少しずつ動けるようにはなっている。数日のうち、数時間なら社交も可能なのだと証明できた。けれども、それはジェイド家のため。引いては次代を継ぐ弟のため。
健康とは言いがたいこんな体では、到底どこの家からも望まれないだろう。
その点、彼女たちは。
(……ルシエラ様。あのかた、『殿下からダンスに誘ってくださった』って……)
つきん、と痛む胸を押さえ、たびたび自分に向けられていたサジェスの笑顔を思い出す。
四年前も、それからも。ほんの少し前も。
あれは、みんな嘘だったのだろうか? いや、そもそもそんな対象とはなり得ない。
ぐるぐると巡る思考にとっぷりと暮れるアイリスに、イゾルデは苦笑する。
少し休みなさい、心配はいらない、と濃紺のドレスの裾を翻し、颯爽と退室した。
* * *
いっぽう。
その日の夕方までに届けられた招待取り消しという異例の扱いに、グレアルド侯爵は荒れに荒れた。
侯爵自身はほぼ領地に戻らず、ほとんどをアクアジェイルの商会本部を兼ねる自宅で過ごしている。ゆえに知らせは速やかに耳に入った。
侯爵は、いらいらと室内を歩き回りながら、呼びつけた娘のルシエラから事情を聞いている。目に入る花器を叩き落としたい衝動を必死に堪えていた。
「それでは、お前はこの通達にまったく心当たりがないと?」
「えぇ。もちろんですお父様。わたし、精一杯アイリス様と仲良くしようと努力しました。なのに、行き違いがあって」
「…………行き違い?」
険しく睨まれても、怯えるふうもなくルシエラは眉をひそめた。それは、さも落ち着いて淑女らしく、思案深げに父親の目に映った。
「ほかの子たちです。彼女たちったら、ふだんから盲目的に殿下をお慕いしているんですもの。殿下と旧知のアイリス様に嫉妬しておいでだったのよ。お可哀想に、よって集って……」
「なんてことだ」
ルシエラを入り口に立たせたまま、自身は額に手を当ててどさりとソファーに腰を下ろす。侯爵は苦々しく呻いた。
「とばっちりじゃないか。何とかイゾルデ殿に釈明を」
「……やはり、ジェイド公爵家主催の夜会から弾かれるのは痛手ですか?」
「当たり前だ。うちは、ジェイド公爵管轄の北公領騎士団経由で、王都にも品を卸しているんだから」
「北の特産品ですね。辺境の魔獣から得られる素材でしょうか」
「あぁ。防具や武器の強化素材やら、その……ちょっとした薬剤なんかを」
「薬」
おっとりと聞き返すルシエラに、父侯爵は口をつぐんだ。
視線を泳がせて一旦目を閉じると、重々しく息を吐き出す。
「お前が知る必要はない」
「……わかりました」
すい、とドレスをつまみ、礼をとるルシエラは令嬢のお手本のようで、まさに未来の王妃のよう。
サジェスがだめなら、ほかの王子でもいい。
そうでなければ北方の要石であるジェイド公爵家に――と、ずっと算段をつけていたのに。
口惜しさに歯噛みしていると、「そうですわ、お父様」と、おだやかな声で愛娘が話しかけて来た。ふと顔を上げる。
「何だね」
「こうしては、いかがかしら。せっかくの夜会に参加できないのは残念ですけど、なにか理由を付けて先に辞退を申し出ていたことにするの」
「――は?」
穴が開くほどまじまじと見つめられ、それでもルシエラは動じず、小首を傾げた。
「たとえば、親戚から養子をとることを諦めたお父様が、商売のことを一人娘のわたしに教えるために、王都までの商談の旅に伴うとか。色々あると思うのですわ。外聞を悪くせず、此度の不参加を『仕方がないもの』と周囲に印象づけるためには」
「うむぅ……」
眉間を深くして顎髭をしごく父に、ルシエラは完璧な微笑で言い添えた。
「それで、噂が下火になったころ、改めて我が家でアイリス様をお茶会にお招きすれば良いのではないでしょうか」
「まぁ、たしかにそれなら、うちがジェイド家に睨まれたようには映らんが……。分家の跳ねっ返りどもは抑えられるのか? 今度、問題があれば揉み消せんぞ」
「大丈夫です」
――跳ねっ返り。
――揉み消す。
過去、派閥を形成していた彼女たちの過激な言動は、これまで幾度となくうやむやにされてきた。すべて本家であるグレアルド侯爵家の采配だ。それを恩に着て、彼女らの親はいっそう父に従わざるを得ない。歪なからくり。
お任せを、とルシエラは断言した。
「あの子たちは、いっせいに夏風邪をひいたことにでもすれば良いのではないかしら。わたし、時間をかけて、ちゃんと言い含めますわ」