ハッピーハロウィン!③ ☆
帰城後、アイリスはすぐに湯浴みをさせられ、髪も肌も徹底的に手入れをされた。王城の侍女たちの手際はすばらしく、ふだんであっても容赦がない――もとい、丁寧なのだが、こと他国の大使館での舞踏会となると気合いの入り方が違う。
しかも博識であり、ドレスを見せて事情を話すと「あぁ、あの仮装が有名な……」と、一様に納得された。
今日何度目かの(流石だな)を心中でこぼしたアイリスは、つい、しょんぼりとしてしまう。それを勘違いした専属侍女は慌てて話題を変えた。
「アイリス様。大丈夫ですわ。その、少ぅしばかり身ごろが大きいようですが、我々は針仕事も得意でございます。お化粧をなさっている間にあらかた詰めてしまいますからね」
「詰める……?」
はて、何のことかと首を捻りつつ浴槽から上がり、体を拭かれて部屋に戻ると、まるで結婚式のドレスの仮縫いを思わせる面々がずらりと並び、待ち受けていた。
アイリスは思わず尻込みをする。
「あ、あの」
「さぁ妃殿下。そちらにお立ちになって。仮留めだけさせてくださいませね」
「えっ? はい」
瞬く間に囲まれ、やれコルセットがまた要らないわ、などと嘆かれ、てきぱきと譲り受けたドレスを着せられる。
その段になってようやくわかった――胸が。
「あ」
記憶にある東公息女ミュゼルはふっくらとした体型をしており、それがとても魅力的で愛らしい。胸も腰も豊かだ。背丈はアイリスが勝るため、裾が短いのではと危ぶまれたが、もとより長い作りだった。低めのヒールを履けばいいだろう。
問題は。
「ううん。マントがあるので背中を縫い縮めるのは簡単ですが、お胸元が…………その、心配ですわね」
「…………そうよねぇ」
鏡のなかのアイリスは、心もとなげに眉をひそめた。いくら腰を細くするためのコルセットが不要とはいえ、このままでは胸のかたちを整えるための下着が見えかねない。かと言って、胸下や脇を縫い縮め過ぎてもバランスがおかしい。露出が多すぎる。
おまけに、手持ちのアクセサリーはどれもこの奇抜なドレスに合わない。飾り立てすぎてもかえってテーマにそぐわないだろう。万事休すかと危ぶまれたが。
「あ、待って。これを」
アイリスは、鏡台に置かれた白い包帯に気づき、ハッとした。仮縫いをされた状態でそれに手を伸ばし、専属侍女へと手渡す。
「アイリス様、これは?」
「東公都で、ルピナスが別れ際にくれたの。あのね……」
* * *
夕刻。舞踏会に向けて移動の時間が迫るなか、サジェスは今日の仕事のあらかたを終えて廊下を闊歩した。
オー・ランタンのハロウィンは、彼らの旧暦では一年の最後の日にあたる。また、かつては死者の魂が現世にやって来る日とも。
ゼローナでは、死者の魂は鳥に乗って故郷の空を渡ると言われている。よって、サジェスの仮装は鳥の翼を模した大ぶりなイヤーカフスのみ。
装いはシンプルで古風な式典服で、妻の髪に合わせた深い紫紺色。マントは昼間のドレスと揃えた黒。急拵えとはいえ、これならばさほど浮くこともないだろう――――昼間のドレス、と言えば。
(かなり大胆なデザインだったが……俺が見る分には良しとして。外ではショールを巻いてもらおう。うん、楽しみだ)
アイリスの部屋に着くと、彼女の専属侍女が笑顔で扉をひらく。サジェスは護衛騎士を通路で控えさせ、浮き立つ心で奥に進んだ。
すると、そこには。
「これは……これは。見違えたね、まさにハロウィンだ」
「殿下」
振り向いたアイリスと、自然に視線が結ばれる。
気のせいでなければ互いに見惚れている。夫婦となって一年なのに。サジェスは、その状況すらも楽しんだ。
アイリスの藍髪は宵時の空のようで、マントの黒とオレンジの装いはカボチャの騎士を束ねる異界の女王めいている。いっぽう、裾に向かってふわりと広がるラインは愛らしく、ドレスコードのひとつでもある菓子入り籠も相まってひたすら可愛い。
が、誤算があった。
「ところで包帯は?」
「弟がくれました。何でもオー・ランタンには、包帯でぐるぐる巻きになったお化けがいるそうで。首に巻くと魔除けになるよ、と」
「ふうん」
「それで、その……ミュゼル様のドレスに、わたくしの体型では色々と足りなくて。思い切って巻いてもらったのですわ。……………殿下? 近いです」
「近づいてるからね。よく見せて?」
「あっ、だめ! せっかく…………もう! サジェス殿
下!!」
――怒ると双子でそっくりだな、などと思いつつ、サジェスはぴっちり巻かれた包帯を器用に解いていった。首から胸まで隙間なく巻かれていたのを緩め、垂れた端を頭部へ。カチューシャのようにぐるぐる巻くと、それはそれで包帯お化けっぽさが増す。残った部分は無造作に垂らし、首すじと谷間が露わになるようにした。
もちろん『今』だけだ。逃げられないように片手をやんわりと掴み、晒された二箇所に唇を寄せる。必死に声を抑える様子が非常にけしからん。
サジェスは、それぞれきちんと痕が残ったのを確認してから、じわりと妻を壁際に追い詰めた。……否、アイリスがみずから退路を間違えた。
もう片方の手で壁を押さえたサジェスは、にっこりと妻の花の顔を覗き込む。
「感心しないね、アイリス。こうなるとは思わなかった?」
「思い、ません……! あんまりですわ、殿下」
「よしよし、ごめんね。目的は果たしたから隠しておこうか。髪はこのままがいいかな」
「もう、お好きになさって」
適度に巻かれた包帯で再びハロウィンの女王となったアイリスは、菓子の籠をサジェスから遠ざけ、つん、と顔を逸らした。
「先にいたずらをする悪いかたには、お菓子は差しあげません」
「……………………構わないよ?」
「えっ」
* * *
その後。
つつがなく舞踏会を終え、帰ってきた王太子夫妻は、結局は余人のいない場所で菓子を与えあった。(主に懇願のため、アイリスが与える羽目になった)
可憐な美貌の王太子妃は、それからしばらく、首元を隠したドレスしか着られなかったという。
〜追加エピソード/ハロウィン編 fin.〜