8 出会いと約束
サジェスと初めて会ったのは四年前。公邸の外れ。
来客とはもっとも縁遠いはずの離れの塔――自分の部屋だった。
当時はとくに、冬を越せるかどうか危ぶまれていた。
暦は三の月に変わったものの、いっこうに緩まぬ寒気に母や弟は気を揉んでいたという。
病名などは、はっきりとわからない。
重い風邪のような症状で、むりに動くと咳こんでしまう。
よって、しずかに身を横たえながら、ただ昼夜が過ぎるのをじっと待つ日々だった。
* * *
(……?)
物音に気がついて目が覚めた。
かすむ目に映る、部屋の中央。暗がりにひとがいる。
「だれ。誰かいるの」
「!! うわっ!?」
寝台からの呼びかけに、そのひとは弾かれるようにこちらを振り返った。
光源は天窓の月明かりだけ。暗い色のチュニックと膝上のブーツが照らされている。上半身は見えなかった。
声から察するに、やや年長の少年と思われた。逃げるでもなく、ゆったりとこちらに歩み寄る姿は見慣れた侍女でもなく、ましてや弟でもない。
少年は観念したように呟いた。
「しまったな。ここが無人じゃなかったなんて……“灯火”」
「!」
ぼう、と少年の手のひらから光の球体があらわれた。
“ライト”は、名の通り初歩的な灯りの魔法。アイリスも元気なときならば指先にともせる。ほの白く優しい光だ。
互いの容姿が浮かび上がる。
少年は、訝しそうに眉をひそめた。
「……ルピナス? 違うな。だれだ」
「わたくし、は」
アイリスは、上体を起こすのを半ば諦めながら、それでも声だけはきちんと出そうと試みた。
「わたくしはアイリス。ルピナスの双子の姉です」
「『アイリス』。……! すまない、貴女がそうだったのか。邪魔をした。すぐに――」
「待って」
「?」
カッ、と硬質な靴音がする。
少年は、慌てて踵を返そうとして若干つんのめっていた。
まさか、臥せっているらしい相手から呼び止められるとは思わなかったのだろう。特徴的な焔色のくせっ毛を肩先で揺らし、『何だ』と言わんばかりにアイリスを見つめている。
(変なかた)
急に可笑しくなって、アイリスは浅い息の合間に微笑んだ。
「名乗……らずに、行く、おつもりですか? ひと気はなくとも、ここはゼローナの北公家息女が居室。いまは、夜更けなのでしょう? ぜひ、このような不躾な訪問を受けた理由をお聞かせ…………けほっ、けほん!!」
「お、おいっ。大丈夫か」
苦しく咳き込んでいると、びっくりするほど素早く肩を支えられ、やさしく背中を撫でられた。
寝間着ごしの手のひらは、すでに子どもとは言いがたく、剣を持つひとのそれらしく厚みがあって固い。けれど、老医師の手より触れかたが繊細で温かかった。
やがて、不思議なことに、いつも以上に短い時間で発作が収まった。
それでも乱れた息を整え、涙目で仰向けに見上げると、そのひとは、心配そうな顔をにわかに赤くしていた。
こく、と唾を飲んでからもう一度問う。
――というより、確認をした。
「あなたは、サジェス第一王子殿下ですね」
「あぁ。…………うん、なんだ。知ってたのか」
「はい。存じ上げておりました」
公務の一環で、ゼローナの未来の王太子が北都に滞在していること。
二年の任期を、ジェイド公爵邸を拠点に過ごすこと。
それらを、侍女たちが非常に興味深そうに話していたことを伝え、ふふっと笑った。
「まさか、こんな形で王家の能力――世にも稀な転移魔法を目にできるなんて。でも、なぜ?」
「えっ。それは……その、だな」
壁際にあった椅子を枕元まで引っ張り、いつのまにか腰かけて語らう王子の図。
有り体に言って見慣れない。ロマンチックな意味合いは全くないが、ある意味夢のようでもある。
少々非常識な形態ではあるが、久しぶりに客人と話せたり、息が楽になったのが嬉しくて、アイリスはにこにこと言葉を待っている。
サジェスは、照れくさそうに自身の頬を掻いた。
「きのう、アクアジェイルに着いたのが夕暮れどきで。街全体のアクア輝石がすばらしく綺麗だったんだ。それで、夜明けもうつくしいんじゃないかと思って」
「お部屋を抜けられたのですか?」
「うん」
「失礼。それなら、わざわざこのような塔にお越しにならなくとも。城壁の物見台ですとか、母や騎士団長に話を通されればよろしいのに」
「それじゃつまらないだろう」
「えっ」
歯切れのよい即答。
耳を疑った。王子の話しぶりは変わらず真面目なのだが。
ぱち、ぱち、と、遠慮なく瞬いて凝視する少女から隠れるように顔を赤らめたサジェスが、ぼすん、と掛け布団に突っ伏す。
「殿下」
ここで寝られては、ちょっと……と、思いきって王子の髪に触れる。
ぴく、と派手な色合いの頭が反応し、そのまま動かなくなった。アイリスは本格的に困り始めた。
「殿下。お休みになるなら、ちゃんとお部屋にお戻りを」
「……また、来てもいいか?」
「はい?」
聞き返すと、布団に突っ伏したまま顔の向きを変えたサジェスの紫の瞳が、こちらに流された。
なぜだろう。ちょっと、怖い。
けれど、いやではない。
目を逸らせず、胸がどきどきするのを感じながら「是」と、あのときは応えてしまった。