76 捕獲
わけもわからないうちに身ぐるみを剥がされ、浴槽に沈められた。ほどよく熱い湯に色とりどりの花びらが浮かんでいる。
ざあっ、と頭からも湯をかけられ、さすがに目が醒めた。
アイリスはおそるおそる、腕まくりをしてやる気に満ちた侍女たちに問いかけた。
「あの。なぜ、お見合いをすれば即婚約が整うと思うの? しかも、なぜ突然?? 母上のご命令?」
「少なくとも私どもは、公爵様のご指示で動いておりますが。塔も館もお二人の噂で持ちきりですわ。ええ、何人たりとも邪魔は入らせませんので、お嬢様はごゆっくりと殿下の求婚をお受けくださいませ」
「……」
口をつぐんで、なすがままになる。
経験上、こういうときの彼女たちが容赦ないのは知っていた。反論しても諭しても無駄だ。
――アクアはどこへ行ったのかしら。あの子もそろそろお風呂に入れたほうがいいのに、と、気の毒に、主と同じ扱いをされそうな猫を、そっと思いやる。
(あの子、氷の幻獣なのに……。お風呂は大丈夫なのかしら)
いまさらな心配だし、心が追いつかないための現実逃避なのだと、頭のなかのどこかではわかっていた。
* * *
アクアは透けた体で宙を飛ぶ。まぼろしの翼が風を切る。
幻獣体の自分は基本的に人間には見つからない。ごく稀に、サジェスのように魔力が桁外れに大きい存在にのみ見えるようだったが、北都では誰にも見とがめられなかった。だから、飛ぶ。
(まったく……! あの、あほ王子。しっかりしろよな!? 一晩中寝られやしなかったよ。現し世の体は、ふつうに眠りたくなるのに。大迷惑!!)
――アクアは、アイリスを気に入っている。
偶然得られた極上の「冬の気=凍気」の持ち主である以上に、側にいると心地よい。面白い。適度に構ってもらえてうれしい。
それを魔族や人間は『好き』というのだと、何となく理解していた。だから、余計に放っておけない。
《えーと、あの一番高い青い塔だっけ。きらきらの。“能力”持ちはすぐわかるな。波動が目立つ》
いったん公邸の上空まで飛び上がり、ある程度高度を確保してからの俯瞰。アクアは、すぐに目的地に目星を付けた。突っ込むべき波動の所在地も。すわ、突入と身構えた。その時――
「……お前もな。幻獣族の雛。いや、ほぼほぼ猫だから……仔、というべきか?」
《!!! ぎにゃんッッ!?!?》
金縛りに遭ったように体が、宙に縫い止められた。動かない。声は肉声で後ろから聞こえた。振り返りたいのに、振り返れない……!!
焦ったアクアは“心話”なのに猫っぽい叫びをあげてしまった。
若干恥ずかしくなりつつ、急速に相手の正体を突き止める。
これ。
この気配。
声なんかも違うけど間違いない。こいつは……!
《ままま魔王っ!? な、何しに来た。まさか、また『幻獣狩り』でもしてるのか!? 僕はあんたのせいで、ほとんどすっからかんなんだからな。宝石になんか、ならないんだからな!!》
「ほう」
いつの間にか首根っこを掴まれている。ぞんざいにぶら下げられ、反抗もままならないままに顔を覗き込まれた。
それは、つまり、相手の顔もガン見できるということで。
《…………、ふえっ?》
べつの意味で固まる。
同じように宙に浮いている。なのに、生身。
それでも幻獣体の自分に干渉できるほどの膨大なちからの持ち主。あるいは“魔”そのもの。
薄闇色の肌は、黎明の光に照らされてもなお、夜を感じさせる。信じられないほどにきめ細やかな肌。表情はとてつもなくつっけんどんで、愛想はないが凄まじく整った顔立ちをしている。
外見年齢は人間だと、アイリスより若いだろうか。短く整えられた黒髪。長めの前髪が風に靡く。
彼は、右手にアクア。左手を腰に当て、悠々と呟いた。
「幻獣狩りということは…………戦狂いだった先代の犠牲者か。すまなかったな。だが」
《!!!》
す、と細められた紅玉色の瞳に同色の瞳孔。
禍々しさを通り越して神々しさすら感じる、威厳。存在感。
(~~っ、何だこれ。何なんだこいつ――……え、待て。『先代』??)
逆立っていた毛が、ふにゃふにゃと萎える。代わりに、ぶるぶると四肢が震えだした。
やっと気づいたか、と当代の魔王ユウェンが呆れながら息を吐く。
やがて、近所のいたずら者を懲らしめるような軽さで告げた。
「お前。型破りにも、弱い人間に『契約』を結ばせたな? 加減も弁えずに力を吸い取るんじゃない。愚か者め」
《!! ひえぇぇぇぇ!!! な、なんでわかるんだよ、そんなの!?》
一転、じたばたと暴れる翼の生えた猫を、ユウェンは鬱陶しそうに遠ざけた。首は掴んだままだ。じとり、と睨む。
少年らしからぬ凄味に、アクアはまたしても硬直した。
「しょうがないだろ。視えるんだから……」
少年魔王は、やや投げやりな口ぶりに「そう言えば」と、いかにもどうでも良さそうに付け加えた。ぽいっ、とアクアを放り投げる。
が、視線で射すくめて逃がさない。ひた、と見据え、平淡な声で問い詰めた。
「……お前たちの掟でいうならば、守護すべき契約者をほったらかして何処へ行こうとした? あっちには、特別なギフト持ちのこの国の王族が、いるようだが」