72 公私二案
サジェス VS イゾルデです。
中盤の固そうなところは、流し見でどうぞ。
ほとほとと扉が叩かれる。
与えられた居室の長椅子に転がり、いささかだらしのない格好で王都から持参した仕事の束に目を通していたサジェスは、「どうした」と問いかけた。
すぐに侍従から返事がある。
「ジェイド公爵がお見えです。よろしいでしょうか」
「宜しいも何も」
よいしょ、と反動を付けて半身を起こす。立ち上がり、乱れていた上衣を軽く直しながら前髪をかきあげる。
歩きつつ紫の視線を流し、気だるげな声で応じた。
「イゾルデ殿なら問答無用に『いつでもどうぞ』だ。こちらで良いのなら、お通ししろ」
「は」
取り次ぎの侍従が通路をしずかに戻ってゆく。
サジェスはその間、部屋のなかに控えていた別の侍従に目配せをし、飲み物の支度をさせた。
ほどなく女公爵イゾルデ・ジェイドが現れ、一礼して入室する。
気のせいではなく、ぴん、と空気が張り詰めた。
「このたびは魔族使節団との会談、誠にお疲れさまでした。お休みのところを大変申し訳ありません。夜までに少々お話したいことがありまして」
「構いません。別件というと……グレアルドかな? どうぞ。掛けてください」
「ありがとうございます」
指し示されたソファーセットへと移動し、優雅な所作で腰を下ろす彼女はとても貴婦人らしかった。
――……ひとたび戦装束をまとえば苛烈な将軍閣下となるのが、今でも信じがたいほど。(※演習では何度も確認済み)
イゾルデは侍従に目を留めると、す、と片手を挙げた。
「飲み物は結構。長居はいたしません。用件は二つだけですから」
「人払いを?」
「できれば」
「了解です」
今度はサジェスが手を振り、彼らを退室させる。広い客室はたちまちがらんとした。
イゾルデは居住まいを正し、すぐに語り始める。
「ルシエラ嬢が留守の間に、グレアルド邸に潜らせた者が証拠を押さえました。裏帳簿の控えを。国境で得た違法な魔獣素材を外つ国へと流し、加工した薬剤を合法と偽って大量入荷。末端の人間を使って売りさばいたようですね。ぼろ儲けの痕跡がいくつも――これで、あの当主もおしまいです。通達はいつ?」
「! それは。できればすぐ、と言いたいところですが……。予定外なことに、外交使節団を率いて早急に魔族領まで行かねばならなくなりました。いまは、王都の父からの書状待ちです。
俺がグレアルド侯爵に申し渡すのは爵位の剥奪と、娘のルシエラ嬢の身柄を中央神殿預かりとする旨だけで…………あぁ、あとは領地の削減か。商会はどうします? 潰しますか」
淡々と両者、何の資料もなく北方の大貴族のスキャンダルについて論を交わす。
そこで、イゾルデは溜め息をついた。痛し痒し、という風情で頬に手を当てる。
「グレアルド商会に関してはお待ちを。正規の穀物も大量に扱っておりますから、市場が混乱しますの。従って、伯爵なみの領地しかなくなる侯爵家の新しい跡取りに商会の改革などを任せたいかと」
「? 居ましたか? 適任が」
「ええ。旧ロードメリア子爵子息。現在のロードメリア男爵ですわ。去年までは商会の表の経営に携わっていました。真面目な若者で、一連のしわ寄せに対しても表面上は文句一つこぼさず、地道に領地経営に取り組んでおります。血筋としても現グレアルド侯爵の遠縁ですし、妥当かと」
「ふむ……」
サジェスは、無意識にオーディンそっくりの熟考の姿勢――眉間にしわを寄せ、口元に指をあてがう形――のまま、唸った。
やがて「よし」と呟く。
肩を下ろし、目線をイゾルデへと向けた。
「わかりました。他ならぬ『北公』殿のお見立てだ。そのように。おそらく二、三日はまだ公邸に留まります。その間に侯爵を喚問できますか」
「御意に」
ほか、利権に関わった一門の当主らや一部官吏もまとめて罰金。細部はイゾルデ側で煮詰める方向で固まる。
ふと、サジェスは訊いた。
「もう一つは? アイリスのことですか」
イゾルデが、おや、と眉を上げる。
「驚きました。殿下から切り出されてしまうとは」
「彼女のことは、いつだって心に留めていますからね」
「殿下の御心には、感謝しかありませんわ」
ふふ、と微笑んだ両者はまだ為政者の表情。
けれど、先に母親の顔になったのはイゾルデだった。
「――殿下も今年、十九になられました。さすがにいつまでも婚約者がいないのは問題でしょう。……あの子は……医師からの見立てでは、このままでは跡継ぎも危うい。貴方は、それで良いのですか? ならば、妾は家長としてあの子に婚約を命ずることはできます。それこそ、いつでも」
「イゾルデ殿」
はた、と真顔になったサジェスが数度、瞬きをする。「待て。そのことなら、俺のほうこそ言わねばならないことが」
「? 何です、今更。ひょっとして、もうお手付きになさいましたか?」
「~~!? 違うっ。そうではなく」
瞬間、『お手付き』の意味を拡大解釈して頷きそうになったが、厳密にはセーフだと思い直してサジェスは冷や汗を拭った。
真摯に、想いびとの母親を見つめる。
「……魔族領からの使節団に、魔王が。ユウェン殿がいましたね。身分を偽って」
「ええ」
怪訝そうにイゾルデは首を傾げる。
長年、なかば婿のように思える青年をしげしげと眺めた。
「彼は、世の魔力の流れはすべて視えるそうです。王都の宴でルピナスが男だと、父に告げたのも彼でした」
「! それは」
何ごとかに気づいたイゾルデが身を乗り出す。こく、とサジェスは頷いた。
「彼ならば、わかるかも知れません。我々では曖昧な予測しか立てられない彼女の体質の謎も。具体的な治療方法も」
(成り行きとはいえ、幻獣のあるじとなった。そのことの善し悪しも、はっきりさせないと)
――――当主命令は気持ちだけで。
どうか公然と二人で話す時間を貰えないだろうか、と伝えた。