7 女の戦い ☆
エヴァンス伯爵領は、北都と王都を結ぶ大街道を有する峠の一帯。広さはないものの、大ゼローナの北部を切り取るように走るガリュウ山脈の貴重な通り道とあっては、主要な公設市や交易所、宿場町も多い。
そのため、伯爵家の収入源は主に商人を対象とする通行料や生業税だった。そこまであこぎな税率ではないものの、塵も積もれば――という自明の理。
つまり、わずかな地税や多少の治水よりも、ひとの流れそのものを管理下に置くことに重きを置いている。それは、情報のような形のないものに対しても。
(……たしか公国時代、エヴァンス家はジェイド家の忠臣で、諜報を束ねる一族だったのよね。その功績で要地を下賜されたはず)
だからだろうか。エヴァンス伯爵邸は、峠町の本邸よりも北都別邸のほうが大きいと聞く。
王都風の白い石材で建造された屋敷は軽やかな印象で、赤い屋根が可愛らしい。
当代は、夫人の人柄もあってか様々な年代の女性が集まる交流の中心地。
――この時期もっとも華やぐサロンの主。
それが、ゼローナ王城にも出仕したことのある才女・エヴァンス伯爵夫人が持つ、もう一つの顔だった。
* * *
「まあ! アイリス様ようこそ。嬉しいですわ、生まれ変わった我が家にお迎えできて」
以前と変わらぬ正門をくぐり、執事の案内でエントランスを抜けると、真新しい壁紙があかるい印象の通路から、まっすぐに増築された部屋に通された。
くつろいだ空間だ。
窓という窓は開け放たれ、風にそよぐ透けるレースのカーテン。高い天井には空気を循環させる羽付き魔法具がくるくると回り、花の咲き乱れる中庭の木陰では、弦楽器を携えた楽人たちがしずかに音を奏でている。
いくらかの先客をみとめたアイリスは、やや緊張し、お手本のような淑女の礼で応えた。
「こちらこそ。お招きくださりありがとう存じます。エヴァンス伯爵夫人」
「まあぁ」
薄い緑のオーガンジーのドレスは風をはらんでふくらみ、なびいて重量のいっさいを感じさせない。その優雅さに、ほう、と夫人がため息をつく。
それからハッと思い出したように瞠目し、慈しむように目の前の公爵令嬢の肩を、ぽん、と叩いた。
「やあね、アイリス様ったら。あれほど『ミズホ』と呼んでくださいとお願いしていますのに」
「え……でも、今日は」
アイリスは言葉に詰まりながら、夫人の後ろにちらり、と視線を流した。
自分より年上らしい少女たちが五名いる。
落ち着いたアイボリーのソファーセットに向かい合って掛けており、皆、部屋の入り口に注意を払っているのはわかるのに、誰も何も言わない。
歓談が止んだわけではないのだが……
(どうしよう。いつも通りに振る舞って良いものかしら。でも、あんまり招待主から特別扱いを受けるのも)
――よくは、なさそう。
くよくよと考えた結果、それでも夫人の笑顔に根負けし、控えめに頬を緩める。
「はい。ミズホ様」
「そうそう。さぁこちらへ。先に到着していらっしゃる方々とお引き合わせしますからね」
――――――――
アイリスの紹介に、先客たちは全く動じなかった。というか、よそよそしい。
アイリスにとっては誰もが初対面なので、困ってしまう。
夫人からの説明を聞きつつ、なんとか顔と名前を一致させてゆく。
ソファーの真ん中に座る金髪の少女は十七歳。名をルシエラ・グレアルド。あとの四名も似たり寄ったりの年齢で、ルシエラにとっては分家筋の令嬢たちという。
それ以上は会話が続かず、ちょっとした威圧感が滲む。
――『あからさまに王子狙いだよ』
(でも。……だからって??)
三日前にルピナスが教えてくれた“日傘組”のこと。その因果関係に納得できず、胃がしくしくし始めたところだった。
朗らかなミズホが陶器の大皿をテーブルに乗せ、「さぁ召し上がれ」と焼き菓子を切り分けると、嘘のように空気がほぐれる。
やがてメイドの女性が現れ、ワゴン車から湯気のたつ紅茶を順に配っていった。
そうして、夫人と改装の出来映えや庭の見どころについて話していると、ふと、二人の令嬢が庭に降りたいとせがみ始めた。
ミズホは快諾し、場を中座する。
結い上げた栗色の髪と菫色のドレスがテラスから離れたとたん、残った少女たちはがらりと態度を変えた。
「アイリス嬢。単刀直入に申し上げますわ。サジェス殿下に、これ以上まとわりつかないでいただけないかしら」
「は?」
「しらばっくれないで。この間、わざとらしく差し入れなさっていたではありませんか」
「あれは……弟と第一隊の皆様に、と」
「――まぁまぁ、よしなさい。ネリィニ。ポーラ」
「ルシエラ様。でも」
優雅に小首を傾げながら、ルシエラが取り巻きの令嬢たちをたしなめる。どうも、彼女が一行のリーダー格らしい。
ほっとしたのも束の間、今度はルシエラ自身がうっとりと語り始めた。
「いいから。だって、先日の夜会は、とっても素敵だったわ。殿下から私にダンスを申し込んでくださって。エスコートのときなんて、可愛らしくはにかんでくださったのよ。――こう申し上げては失礼ですが、アイリス様は、まだ、お子様だったときの無邪気さで殿下に懐いておられるだけでは?」
「………………お子様、ですか」
「うふふ、そうよ。デビュタントもお済みではないもの」
クスクス、クスクスと申し合わせたように左右の少女たちも笑う。なぜ、こうまで言われねばならないのか。
さすがに悔しくなって、言い返してしまう。
「来月、十五です。デビュタントの予定です」
「あら。そうなの。でも、もし、できなかったら?」
「え?」
不穏さに思わず顔を上げる。そこで、ようやく自分が俯いていたのだと知った。膝の上で組んだ手のひらに、じっとりと汗をかいている。――くらくらする。気持ち悪い。
「とてもお体が弱くていらっしゃると聞いたわ。お可哀想に。……ね、デビュタントのとき、体調が優れなくて延期になった、なんてことになったらどうなるかしら。きっと、どちらからも求婚なんてされないわ。あぁ、お気の毒に」
「……!」
べつに。
だれかから結婚を申し込まれる夢があったわけじゃない。言われるまでもない。体が、ちゃんと大人になるまで保つかどうかもわからないのだ。ましてや。
(好きになったかたになんて、尚更……ッ!?)
――――好き、という単語を浮かべたとき、なぜサジェスの笑顔が浮かんだのか。心が痛んだのか。
わけのわからぬ羞恥と混乱、気分の悪さを抱え、アイリスは素早く立ち上がり、礼をとった。
「仲良くなれそうになくて、とても残念ですわ、皆様。せっかく、来月は弟のデビュタントも兼ねていましたのに」
「え」
「……あっ」
ご招待のリストから外さざるを得ませんわね、と言い残し、精一杯の余力を振り絞って退出した。