68 澄みわたる嵐の予感
「公爵様。王城から小型竜が参りました。こちらが文です」
「ありがとう」
「! ……お仕事でしょうか。それとも、ルピナスに何か……?」
春、昼下がり。
北都もようやく日差しにうららかさが混じるようになった四の月半ば。
一頭の小型竜に持たせるには最大限だろう分量の書簡を、イゾルデが執務室で仕分けている。計五本。補佐官には現在、食休みとして休憩を与えている。
床上げして以降、少しずつ体を慣れさせるためにもアイリスは日中、調子が良ければ母の仕事を手伝うようになっていた。
――主に侍従たちが行うような簡単な書類整理や、黙々と勤務する母の傍らで刺繍をしているだけだったが。(※後者は単なる嗜みであり、仕事ではない)
邪魔だろうか、しかし知りたい……と、ありありと顔に書いてある娘が立ち上がろうとするのを、イゾルデは片手で制した。
「べつに、外さなくともいいわ。こちらに来なさい。極秘文書が来る時期でもないから」
「それは。つまり、時期によってはあるわけですね。極秘文書が……」
「いやぁね。そこは聞き流すところよ。さ、おいで。筒から取り出して、宛名ごとに仕分けするだけだから」
「はい」
立ち上がったアイリスは扉ではなく、母の執務机へ。
左側に置かれた補助椅子に腰かけた。
言われたとおり、カチ、と金具を外し、筒状に丸められた紙片を取り出してゆく。
差出人と宛名は外側に記入されている。
アイリスはそのうち、二つ目の書簡を開けたときに目をみひらき、声をもらした。
「あっ」
「あら」
眉を上げたイゾルデがすべてを見透かした微笑を浮かべる。
「サジェス殿ね。貸してくれる? 一応、妾が確認してから。そのあとで読ませてあげるわ。貴女にはこれかしら」
「ルピナスの文……!! あぁ、良かった。そろそろ帰るのでしょうか」
「――ではないかしらね。頃合い的に。さ、どうぞ?」
「ありがとうございます!」
感極まったように喜ぶアイリスを傍目に、イゾルデはちらり、といくつかの可能性を想定した。
(まぁ。最悪ということはないわよね。よく頑張ったこと)
……。
…………、………………。
沈黙が満ちる数分後。
母娘は同時に固まり、片方は机に突っ伏した。
* * *
ルピナスからの文は淡々とした挨拶から始まったが、二言目には「ごめん。バレた」と書いてあり、アイリスの度肝を抜いた。
そこから付け加えられた、帰還についても。
「どうしましょう、母上。ルピナスは正体がバレたそうです。お咎めはないようですが、国王陛下から帰還を促され、なぜか東公息女と南公息女と、第三王子殿下を伴われると」
ぐるぐると頭が回る。
ひょっとして、今度はわたくしが男装をしなければいけないのでは……などと堂々巡りの思索の沼を霧散させたのは、次のイゾルデの発言だった。
「それね。サジェス殿が引率されるようよ」
「えっ!?」
ぱくぱくと開いた口が閉まらない。
動転著しい娘に、イゾルデはふう、と嘆息してから安心させるように微笑んだ。
「殿下からの文は、もう少し詳細が載ってたわね。読む?」
「は、はい」
どきどきする。
諸々のことが重なったショックより、近いうちにまたお会いできることに頬が緩みそうになる。
――約束は、守ってくださったのかしら。
あぁでも、そもそもこんな体では。
けれど、沈みそうになる気持ちを掬い上げるように鮮烈に、アイリスの目に飛び込んだのは、すっきりとしたサジェスの筆跡だった。
書き連ねられた出来事は、かなり衝撃的なことばかりだった。
「ルシエラ様を王城で拘留……。魔獣素材からの違法薬剤を王家と来賓に盛ろうとした、罪……?」
読み上げる声がだんだん小さくなる。これは、ふつうには喋れない。
イゾルデは重々しく頷いた。
「現行犯ね。薬に関しては父親のグレアルド侯爵も常用させられていたようよ。グレアルド商会が魔獣素材や精製薬の流通に一枚噛んでた証拠も押さえられたし。殿下の北都訪問は、その沙汰も兼ねられているわ」
「沙汰……」
ごく、と唾を飲む。
ロードメリア子爵家どころではない大貴族への処罰となれば、いかほどか。
文面からは温情もあると匂わせられていたが、それもまた気を揉むところだった。
イゾルデは指を伸ばし、とん、と広げられたサジェスの文の後半を差す。「読んだ?」
「あっ、お待ちください。『さらにこのたび、魔族領に潜伏する反ゼローナ国派により、王女と南公息女の誘拐事件が発生。すでに解決済み。犯人の取り扱いも協議完了』…………ま、魔王と!???」
「信じがたいことね。我が息子の女装を王家の方々に晒してしまったことなど、霞のようだわ」
「~~は、母上。それは」
青ざめたアイリスに、イゾルデがぽんぽん、と肩を叩く。
「大丈夫よ。あの子の正体は、同行の皆さん全員、ご存じみたいだから。ただ、対外的なことや道中の人目もあるから、出迎えまでは『アイリス』を貫いてもらうわ。それは念頭に置いて。貴女は、許しがあるまで塔からは出ないように」
「……はい」
そう。現在、北都ではルピナスが風邪で寝込んでいることになっている。
(はやく、元に戻りたいだろうな……)
きゅ、と握りしめた手を胸元に引き寄せ、アイリスは頷いた。
「ルピナスが戻ったら、そこで入れ替わりも完了ですね。わたくし、すぐにあの子が王都で見聞きしたことを覚えます――対外的にも」
「ふふ、そうね。そうして頂戴」
届いた書簡は、あとはすべて国王陛下からジェイド公爵宛。あるいは法務官からの覚え書きだった。
「忙しくなるわ……」
「お察しします」
縮こまりそうになる背に、窓越しにやわらかな木漏れ日。あたたかさに、すう、と視線が上がる。
(わたくしも。何か、お手伝いできればいいのに……)
見上げる空は天色。
薄く菫を含む、澄んだ淡い青だった。
この部分が急展開で申し訳ありません(*_*;
王女誘拐事件のくだりは、同シリーズ作品『もしも、いちどだけ猫になれるなら~』※長タイトルのため、以下略
の、第二章「動き出す歯車」が相当します。
https://ncode.syosetu.com/n3403gr/
未読でも差し支えない流れになるよう心がけますが、つたない筆運びとなったことを、ひたすらお詫び申し上げます……。