67 神殿の浄化、王女の洗礼 ☆
大茶会と大夜会の翌日。
三人の王子と一人の王女、それに「ぜひ王子たちと親睦を」と滞在をすすめられた令嬢らは、そろって城下の神殿を詣でていた。引率は王妃セネレだ。
本日、まるっと地を出して騎士装束をまとうルピナスは、それでも『女騎士でもあらせられるアイリス嬢』と周囲から見られることに驚きを隠せなかった。
が、それよりも。
「え? 南公息女のヨルナ殿は、今日の公務は欠席ですか」
「えぇ。そうらしいですわ。残念です。わたくし、王子様がたよりもヨルナ様のほうが好みなのに」
「――――……え?」
「ん?」
「あ。いえ、何でも」
ほんわか、おっとりした口調に物腰。ややぽっちゃりとした、甘めの顔立ち。
ピンクブロンドの巻き毛に蜂蜜色の瞳は文句なくうつくしい。
十四歳だという東公息女のミュゼルは、これはこれで強烈な個性を感じさせた。
ルピナスは、考えごとをする体で馬車から降りたあと立ち止まる。すると。
ドンッ
(!?)
「あぁら。失礼、アイリス様。いらっしゃるとは思わなくて」
「そうそう。まさかそんな勇ましい装いもなさるなんて、存じ上げませんでしたわ」
「弟君の変装みたいですこと」
「!!!」
「まあっ!」
ぎくりとするルピナスに代わり、ミュゼルが声を荒げる。
遠い公爵家の令嬢とまで揉める気はないのか、五名の北部令嬢たちはくすくすと笑いながら神殿の庭を歩き、少し前に向かった王妃たちのあとに続いた。
先ほど、神殿の神官様から祝福をかねてと“浄化”魔法を施されているはずなのだが。
(意地の悪さは、素ってことか)
先行きの大変な姉を思い、微妙な顔になる。
すると、ぷんすかと怒りながら、ミュゼルがこちらを振り向いた。
「アイリス様! なぜ、あぁまで言わせておくのです? 彼女たちは礼儀作法も貴族階級の意味も、何もわかっておりませんわ」
「ええと。まぁ、あの手の輩は相手にすると面倒ですし。その……忠告を受けました。サジェス殿下から」
「王太子殿下から?」
こてん、と小首を傾げるミュゼルに笑んでから、ルピナスは前方の華やかな集団をちらりと見遣った。
「今日は、あの令嬢たちと王女殿下とは、距離を置いたほうが安全らしいですよ」
神殿視察の一行として、移動の先頭は王族。次いでグレアルド侯爵家に連なる一門の令嬢たち。やや間を空けて、自分たち。それぞれの護衛騎士が数名いるので、完全にはぐれることも見失うこともない。
『アイリス』とミュゼルは時おり護衛騎士から遅れぬよう声をかけられながら、神殿の敷地内にある孤児院へと向かった。
引率の王妃曰く、「こちらでの奉仕活動を通じて、王子や王女と親睦を深めてほしい」と伝えられていた。
親睦云々はともかく、内容はとくに問題はない。高位貴族としてもごくふつうに行う、日常的な公務のはずだった。
* * *
状況が一変したのは、孤児院に到着した王妃が院長室へ挨拶に行ってからだった。
さすがは王都お抱えの中央神殿。付属の孤児院は規模も大きく、設備も整っている。
子どもたちも王族の訪問には慣れているらしく、愛らしい笑顔ですんなりと迎えてくれた。三々五々、お気に入りの王子や王女を取り囲み、遊び場へと連れてゆく。
そんななか、ルピナスは、つんつん、と内気そうな女の子に袖を引かれた。
「……ねえ、格好いい女騎士さま? それとも騎士さま? いっしょに、ご本、読んで?」
「ふふ、どっちかな。こっちのお姫様も一緒でいい?」
「いいよ。こっち! たくさんあるの」
「わっ、待って」
栗色のお下げ髪にそばかすの幼女はとたんに表情を明るくし、ルピナスとミュゼルを孤児院の二階へ案内した。
そこにはすでに、子どもたちに群がられた状態のサジェスがいた。窓際のカーペットにじかに座り、膝の上から肩の上までよじ登らせている。満員御礼だ。
ぴん、と察しがつく。
「貴方が、この子を?」
「いいや? アイリス殿。その子が、そわそわと貴女のことを見てたから。俺は、『優しいかただから、行っておいで』と言っただけだよ」
「それはどうも」
ねぇ、読んでーー! という複数(※増えた)の幼い声に引き戻され、ルピナスは別の本棚の一画に、ミュゼルともども連れ込まれた。
騒ぎが起きたのは、その少しあとだった。
「……ん? 外?」
「何かしら。ちょっとおかしいですわね。あれ、叫び声ではありませんこと?」
「ですね。見てきましょう」
幼女たちを引き連れたまま、窓際へと移動する。そこには、まだ言葉を話せないらしい男の子を抱っこするサジェスも立っていた。
ルピナスは、きりっと騎士見習いモードに変わり、すばやく王太子に近づく。
「殿下。何ごとですか」
「あぁうん。始まったね。あれだよ、あれ」
「あらあら、何てこと!!」
先に声を上げたのは、身軽に窓に張りついたミュゼルだった。
サジェス越しに目を凝らしたルピナスにも見えた。
ちょっとどころではない、ある意味悲惨な状況だった。
どうやら令嬢たちは、庭の花で花飾りを作りたい年長の少女たちに捕まっていたらしい。
が、その近くには、見るからに小さな荒くれと思わしき少年集団を従えたロザリンド王女。
気のせいでなければ、彼女の指示で次々と少年たちが令嬢たちにカエルを投げつけたり、泥遊び用の砂場へと引きずり込んでいる。
彼女たちはフル盛装のデイドレスなのに。
ルピナスは、ぎょっとした。
「殿下。あれ、まずくないですか。明らかに泣いてるかたが――サングレア伯爵の令嬢かな。うわ、髪まで」
「カエル…………どこから、あんなに見つけて来たのかしら。凄まじいですわ」
「本当だね、ミュゼル殿」
「! 殿下っ!」
ちょっとずれた見解の東公息女に紳士的に頷くサジェスに、ルピナスは遠慮なく詰め寄った。
「仲裁を! いくらなんでもひどすぎます。こんなところ、王妃様がご覧になったら……」
「あ、院長様と妃殿下ですわ」
「えっ」
あわてて視線を戻すと、すっかり恐縮した様子の院長と、しずかな怒りのオーラに身を包んだセネレ王妃が見えた。
王妃は令嬢たちにまず謝罪に向かい、さんざんな目に遭っていた彼女たちも、かろうじて礼をもって応えている。
トール王子やアストラッド王子も駆けつけ、苦心して王女を諭しているようだった。
事態は、ひとまずの収束を見せていたが。
(これは……)
とんだ視察になってしまった。
すぐに帰城となるだろう。
呆れたように溜め息を一つ。ルピナスは、じろりとサジェスを睨む。
「殿下。いくら、彼女たちが冬の一件でお咎めなしだったからと……やり過ぎではありませんか? あれも貴方のお指図ですか」
「まさか! 神にかけて違うぞ。ロザリンドは元々、あぁなんだ。手に負えない」
まったく離れようとしない男の子を片手で抱えたまま、サジェスは空いた手でかちりと鍵を外し、窓を押し開ける。
風に乗って外の喧騒が届く。
その中心には反省の色が微塵もない、焔色の髪そのままの気性を伺わせる苛烈さで、王女ロザリンドが立っていた。
サジェスといくらか問答のあと、彼女は高らかに宣言をした。
「――認めない。誰であれ、兄様たちやアーシュの妃なんか、金輪際、認めないわ!!」