66 かさねる面影
「――それにしても。公衆の面前でそれは」
「きついと思うか? アイリス殿」
「いえ、心情的には」
「だろうな」
その日。
茶会では三公家の息女と、夜会からはなぜか北部の令嬢がたに国王夫妻から声がかかり、皮肉にもルシエラを含む九名は一夜、王城に留まることになった。
当然グレアルド侯爵令嬢が何かしらの嫌疑をかけられているのは明白であり、滞在先が取調室というのも穏やかではない。
とはいえ、当主への尋問もまだなことから、夜会参加者への詳しい事情説明は省かれた。念のため、見聞きしたことを憶測混じりに勝手に言いふらされぬよう、厳重な箝口令が敷かれたという。
(気の毒だなー、夜会の令嬢たち)
三公家の息女に当てられた部屋と、北部令嬢らにあてがわれた部屋は棟が異なる。
前者は特別な来賓用の建物。後者は舞踏用ホールに隣接した一般貴族用ゲストルームであり、見るものが見れば、どちらが真の王子妃候補なのかは一目瞭然だった。
夕食後、「様子を見に」と客室を訪れたサジェスと扉の前で立ち話に興じながら、ルピナスは嘆息した。
自分は、三公女のなかでは唯一の成人。
うっかり『王太子を夜間に部屋に招き入れた』などと噂が立っても宜しくないのでは、と、アクアジェイルから同行した侍女が機転を利かせてのことだった。(※侍女はルピナスに肩掛けを渡し、さっさと部屋に下がっている。衛兵はサジェスが下がらせた)
――――三公女には王妃みずからの声かけがあった。
では、なぜ北部令嬢たちは、王からの声がかりがあった?
また、ルシエラを王城で拘束した理由とは。
(わかんないな……、くそっ)
考えても埒が明かないな、と早々に見切りをつけたルピナスは小首を傾げ、通路の灯火を背後に受けながらサジェスに問うた。
「温情……。それって、魔薬の常用者だったからですよね。中毒とか?」
「正解。加えてあの令嬢、調査によれば“支配の右目”と“服従の左目”を、ずっと一緒に服用していたんだ」
「? すると、どうなるんです?」
「極端な話、己の命令に自分自身も縛られる。一種の視野狭窄だな。おそらく、本人の言う俺への思慕もそうなんだろう。まやかしだ」
「……そんな……」
少年にしてはやや高め。
少女にしては低く落ち着いた声のルピナスが『彼女』に似た顔を歪める。
――けれど。
声はもちろん、醸す雰囲気も何もかも違う。
(アイリスに逢いたいな)と、いまほど強く感じたことはない。
サジェスはほんのりと苦く微笑んだ。
「ルシエラ殿には我々の管理下で、きちんと治療を受けさせる必要があった。
でも、病んでいるのは心であって体じゃない。医務室ではなく、行き先を『取調室』にしたことに他意はない」
「じゃあ……ほかのグレアルド一門の令嬢は? ルシエラ嬢の断罪の前に隔離したんですよね。そのまま別個で逗留をすすめたと。なぜ?」
「彼女たちも似た理由だな。中毒の程度と暗示の深さを調べないと、おちおち親元にも帰せない。とりあえず明日は、予定していた親睦行事の神殿視察にかこつけて“浄化”魔法を受けさせるが」
「なるほどね。うーん……」
「どうした?」
納得の台詞のわりに、腑に落ちない表情。
サジェスが怪訝そうに瞳を瞬く。
ルピナスは、やれやれと頭を振って両手を腰に当てた。少し、不貞腐れている。
「殿下は何だかんだ言って、ちゃんと王太子ですね。その年で、陛下の補佐も完璧にこなして。単独で違法薬剤の密売ルートなんかも摘発して、こうして解決してる。――……私は、当主命令で姉の身代わりになっただけで。やってることは平和そのものだ。たいした働きはしていない」
「そうか? 本当に?」
夜らしく、通路の灯りはさほど明るくない。照らされた足元がさらに翳った気がして、ルピナスは視線を上げた。
(っ……)
突拍子もなく目が合う。
それは、完璧超人な王太子というよりは、気心知れた兄のようで、ひどく温かみのあるまなざしだった。思わず息を詰める。
「殿下」
「お前は、精一杯がんばってるよ。イゾルデ殿も、さぞ助けられてることだろう。もちろんアイリスも」
「!」
思いもかけないところで家族の名を出され、とっさに何も言い返せない。
瞳を大きくみひらき、唇を引き結んだルピナスの頭に、ぽん、と大きな手が置かれる。
からかうような乱暴さはどこにもなかった。
純粋な労いだった。
「大丈夫。言っとくが、明日は今日より激務だぞ。同席する北部令嬢にも警戒は必要なんだが、真に注意すべきは、うちの妹だ」
「へ? なんで」
あやうく感動しかけていた心の波が急速に鎮まり、すっとんきょうな声音で尋ねる。
年相応な北公子息殿の反応に、サジェスはことのほか悪戯に片目を瞑った。
「どうしても、だ。それとなく東公家と南公家の姫も引っ張って、あいつとは距離を置くように導くといい。あいつ……ロザリンドは、ちょっと変わっててな」
「はい?」
――――ロザリンド。
アストラッド王子の一つ上の第一王女の名前だ。
ルピナスは、いっそう首を傾げた。
王女は、茶会には来なかった。
絵姿でしか知らないが、見た目の派手さはこの王太子と並ぶものがあるはず。その王女殿下が、なぜ。
「???」
すっかり考え事に没頭したルピナスの肩に手を乗せ、くるりと方向転換させたサジェスは、ぐいぐいとその背を押した。
「ほら寝ろ。いいから。明日になったらわかる」
「いや。そーいうのは余計気になるんですが………………あっ!? そう言えば昼間、妃殿下も仰っていました。たしか、ほとほと手を焼いておられると」
「そうそう。そういうこと」
「!! ~~『そう』って何ですか。つまり??」
体半分を室内に押し込まれつつ、しぶとく抗って詳細を聞き出そうとする少年を、サジェスは力業でねじこんだ。
「おやすみ」
「ま、ちょっ……、殿下ーーーぁっ!」
バタン、と扉を閉めてさっさと踵を返す。
あとは、有能そうな侍女殿が何とかしてくれるだろう。足早に通路を歩き、館内の見廻りをしていた衛兵に戻って良し、と伝える。
「さてと……。北都長期滞在をもぎ取るためだ。俺も、きりきり寝るか」
名実ともに第一の実家である王城は、同じ能力者が多すぎる。
かえって気配が気になりすぎて、定めである以上に軽々しく自室までは“翔ぶ”気になれないのだった。