64 刻一刻
「そこっ、手が空いてるんなら配膳台片付けて。グラス並べるのを手伝ってくれ。ベリー酒とトレイも出して。盛り付ける果物も」
「はい!」
白い帽子を被った男の指示に、下働きの若者はきびきびと返事をした。すぐに周囲を見回し、的確に台を片付けてゆく。
城下から臨時で雇い入れた青年だ。ほか、そんな者が何人も立ち働いている。
王城に厨房はいくつもあるが、ここ、来客用の飲み物とデザートを担当する部所もごった返していた。
昼間の茶会で使用した陶器のポットやカップなどを丁寧に片付けて間もなく、今度は夜会。
細かな担当は分担制ではあったが、統括者となると目の回る忙しさだ。きちんと采配しなければ、たちまち大渋滞を引き起こしてしまう。
が、不平や不満をこぼす輩はいない。
特別給金もさることながら、ふだん滅多にお目にかかれない地方の令嬢がたを給仕の合間に見られるのは楽しかったし、そのいずれかが王子と婚約するのだと思えば、まるで未来のご夫妻の仲を取り持てたようで誇らしい。
何だかんだ言って、王族に関わる仕事はどんな末端にいたるまでも、やりがいのあるものだった。働く面々の顔を見れば一目瞭然だ。
そんななか、メイドのお仕着せをまとった冬からの新入り女性がやってくる。手には乾杯用のミニグラスを詰めた箱。もうそんな頃合いか、と責任者の男性は壁時計を確認した。
――午後六時。
夜会の開催は七時。王の挨拶のあと、全員が乾杯をする手筈だ。
「おい、あんた。それ、もう順に注いでいってくれ。ワゴンは樽の横にある。運びやすいように並べていくといい」
「畏まりました」
しずしずと半地下のワインセラーへと降りてゆく女性に、(やたらと行儀いい、仕事ぶりのいい新人が多いんだよなぁ……)と、ぶつぶつとこぼし、男は目の前のミニケーキ用ソースの最終調整にかかった。
* * *
午後七時。
大時計の分針が真上を指し、荘厳な鐘が鳴り渡る。
定刻通りに大夜会が始まり、国王夫妻と三人の王子、一人の王女がホールに現れた。場はいっきに緊張一色となる。
淑女の礼で脇に退き、彼らが上座に移動するまで、ルシエラは淡々と考えを巡らせていた。
一門の令嬢たちには、わざわざ命令するまでもなかったかもしれない。
彼女たちはすっかり萎縮し、前をゆく王族がたの輝かしさに打たれたように大人しくなっている。
しん、と静かなホールに、ゆったりとした靴音と衣擦れの音だけが響く。
先導の近衛騎士団長のあとに、端麗な長衣とたっぷりとした毛皮に縁取られた真紅のマントをなびかせる国王オーディン。ほっそりとした王妃セネレをエスコートしており、夫妻の後ろにはサジェスが。そのあとで二人の金髪の王子たちが続く。きょう成人を迎えたばかりの第三王子は、姉王女の手を引いていた。
ルシエラは、右手の中指に嵌めた指輪に、こっそりと意識を集中させた。
――――“支配の右目”。
媚薬の成功効率の鍵を握る、とても重要な薬だ。文字通りラミアの右目からしか採れない、超稀少品の違法薬剤。それが、仕掛けを施した指輪のなかに入っている。
いまごろ、とっくに厨房に潜入させた自分の侍女が、全員に配る乾杯用の酒樽に“服従の左目”を混入しているはず。
あとは、乾杯の前に自分用のグラスにだけ、指輪の粉を入れればいい。それであらかたは掌握できる。
一度の服用で、一晩ならばかなりの高確率で魅了できる。
残念ながらサジェスは魔力値が高すぎて、まったく効かなかったが……。
だから、きょうはかなり高濃度の薬を用意した。ひょっとしたら……? と、心が踊る。
絶対に、射止めてみせる。
「面を上げなさい。皆。遠方よりご苦労だった」
朗々と国王の声が響いて、ゆるゆると姿勢を戻す。
(サジェス殿下とそっくり。……いいえ、あのかただけが陛下に似ておいでなのね)
――一瞬。目が合った気がしてどきりとする。
そうこうする間に挨拶はさらさらと済まされ、給仕の者が乾杯用のミニグラスを配りに来た。
慣例通り、赤ワイン。
すばやく指輪の内側の蓋をひらき、中身の粉末を落とす。何ごともなかったように蓋を閉じる。
やがて乾杯の音頭とともに、ほんのわずかな量だったそれを飲み干した。
周囲の誰もが空いたグラスをトレイに戻している。国王とその家族も。
(やったわ……! これで、サジェス殿下が)
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ルシエラはワインの香気に酔いながら、うっとりと微笑んだ。
本日、もう一話投稿します。