60 サジェスの覚悟
巨大国家ゼローナに都は四つ。
北都アクエジェイル、東都エスティア、南都カレス。そして王の住まう首都。
中央の首都だけは名を持たず、ただ「王都」と呼び習わされていた。見晴らしの良い平地にあり、城は小高い丘にある。
魔族との戦も交流もない太平の千年余。人間たちは概ねおだやかな平和を享受している。
それでも数百年単位で周辺国との小競り合いは起こり、弱体化した国を併呑することもあった。最近は主に、海向こうの外つ国からの干渉が小うるさく……
「……――ということで。最終的な参加者はのべ百十二名。うち、茶会参加者は五十五名。いわゆる適齢期の未婚令嬢は四十七名です」
「ご苦労。けっこう集まったな」
「陛下のご威光かと」
「抜かせ」
春の気配深まる王城の一室。正確には国王執務室にて、国王オーディンが長子サジェスから最終報告を受けている。
オーディンは、やれやれと後ろ頭を掻いた。
「私というより、この国の体質だな。どの貴族もまずは王家の意向を優先させてくれる。ありがたいことだ」
「外つ国は何か?」
「いや。静観だな。ひっきりなしにあった姿絵付きの見合いの催促も止まった。表向きは『第三王子の成人の儀をかねて、国内貴族の息女らを集めて親睦を』……としか知らせてないんだが」
「いやそれ、かなり露骨でしょう」
「そうか」
ギッ、と皮張りの執務椅子が鳴る。
執務机に両肘をつき、指を組むオーディンは、傍目に寛ぎきっているように見えた。
「……」
サジェスは一瞬、憎まれ口を叩こうとしてやめた。
父は、こう見えて海千山千のつわものだ。
先の国王夫妻を早くに亡くしてからというもの、忠臣たちの支えを元に数年間、たった一人でゼローナを切り盛りした稀代の名君なのだ。
(たしか、上の弟の年でもう即位してたっけ)
――十七から。
さぞ、周辺国家から舐められたことだろう。よく問題もなく、互いに利のある小国から妃を迎えられたと思う。
サジェスはしみじみと嘆息した。
「陛下、俺が妃に迎えたい令嬢についてですが」
「! うん?」
オーディンがきらりと目を輝かせた。わくわくと続きを待っている。サジェスはつい、苦笑した。
「お察しの通り、北公家のアイリス嬢です。彼女は茶会だけ、と。なので、俺は今回の夜会を単なる接待ととらえます。ご了承を」
「ううむ……、いいだろう。だが婚約はどうする? もう口約束くらい済ませてるんだろう。申し訳ないが、今回の建前がお前たち三人の見合いである以上性急な発表は…………って、おい。どうした? 急に頭を抱えて」
「いえ。ちょっと頭痛が」
「そ、そうか。とにかく、あらかた采配は終えたろう。三日後にそなえて、今日は早く休むように」
「はい」
――――まずい。言えない。
具体的な婚約発表も何も、まだ本人から色好い返事をもらえていないなど。
(せっかく好機だったのに)
冬の間、折りをみて何度も北都へ秘密裏に翔んだ。そのたびに昏睡するアイリスを見るのは胸が痛んだ。
彼女と話ができたのは、先日の夜が久しぶりだったのだ。
彼女の守護幻獣が思わせぶりにまぼろしを飛ばして来たので、追いかけるように“転移”したわけだが。
「もう一度、話せるかな……」
「何が」
「こちらのことです。あ、陛下。ところで」
「?」
怪訝そうな父に、サジェスはもう一冊の報告書を手渡した。題目がない。
ぺらり、と表紙をめくったオーディンは、たちまち表情を引き締めた。
「! これか。どうだ進展は」
「は。例の薬物購入者たちの証言から販路の推定まで完了しています。現在は、販売元と思わしき邸宅を調査中。そろそろ結果が届く頃合いかと」
きびきびと内容を諳じる息子を、オーディンはしげしげと眺めた。それから順に頁をめくり、唸るように感心する。
「よく、短期間でここまで突き止めたな。城下や各地の街道整備まで任せたんだ。首が回らなかったろうに」
「ええ、我ながら大変頑張りました。ですから、褒美があってもいいと思うんです」
「褒美?」
――そう。
この父から回された仕事はすべて片付けた。
うんうんと頷くサジェスは爽やかに、本日、自分にとって一番の本題を突きつけた。
「夜会で少々荒療治をいたします。が、件の事案解決には不可欠ですので黙認を。母上を抑えておいてください。あのひとは、俺がよその令嬢をいじめていると勘違いなさいそうだから」
「……いじめるのか? よその令嬢を」
「喩えです父上」
「わかってる」
きしっ、と再び椅子を鳴らし、右側の肘置きに体重を預けて脚を組む。
オーディンは若干、眉を寄せた。
「私から見て、もし、お前が行き過ぎていると判じられれば、当然『待った』をかけるが。いいか? それで」
「もちろんです陛下。感謝します」
「はいはい。――で? なんだ。何が欲しい?」
「長期休暇を」
「は?」
座りながら、ずるっとバランスを崩しそうになったオーディンがすっとんきょうな声をあげた。
サジェスは固い意思をまなざしに込め、そのくせ柔和に微笑んでいる。
「ご許可を。どうせ、またすぐに俺を派遣されるんですから。――北都行きです。四の月から八の月まで。俺を自由にしてください」
「いや待て。自由って、お前」
ぱくぱく、とひらいた口を閉じ、オーディンがかろうじて突っ込む。
王太子がバカンスを申請など。前代未聞だった。
サジェスは深々と頭を下げた。
「必ず、俺が二十歳になる前に未来の王太子妃をお連れします。約束します」
――もし、できなければ。
陛下のお望みの娘をあてがわれても、個別で見合いでも、外つ国からの姿絵選びでも何でもいたしましょう、と、きっぱり言った。