58 二人のアイリス(前)
「自分の才能がこわい」
「やあね、何言ってるの。…………うん。まぁ、否めないけど」
「だろ?」
翌日。
王城行きが決まったルピナスのため、離れの塔は久々に華やいだ。
元々、塔はいつ体調を崩してもおかしくないアイリスのためだけに生活居住空間を備えている。
昔は丸ごと大公の個人的な書斎であったり、恋人との逢い引き用だったり、隠居した世代が寛ぐために使用した。つまり、根底に「本館からの隔離」がある。
よって、アイリスに仕える者たちにも当然本館とは異なる慎重さや、主の変調に敏感であることを第一に求められた。
年頃の若い令嬢を心ゆくまで飾りたい――そんな欲求を満たす手段を封じられた侍女らが、今回どれだけ嬉々と腕をふるったことか。
アイリスは、しみじみと姿見に映るルピナスと自分に見入った。
* * *
結論からいうと、ルピナスは女の子に見えた。が、予想以上に似ていない。
ほっそりとした印象の色白なアイリスは、同じ顔でもジェイド家らしいパーツの全てが『可憐』の極致にあった。
なお、本人にそんな自覚はなく、短時間でも床上げを本日の目標としており、ルピナスの変身に合わせて寝間着から普段着に着替えている。(※これだけでも体力は相当使う)
梳けずった藍色の髪はつややかに垂らしただけで、ハイウェストの切り替えが愛らしい踝丈のワンピースはクリーム色。胸元と袖を飾るミントグリーンのリボンがアクセントのおとなしいデザインだ。
いっぽう、ルピナスは連日の訓練でそこそこ日焼けしている。筋肉がつきにくい体質や成長期なこともあり、すらりと伸びた四肢と動きの機敏さ、顔だちの凛々しさがなぜか『男装の麗人』を彷彿とさせた。
そのため、アイリス付きの侍女たちは奮戦した。とても頑張った。
嫌がるルピナスを浴室に連れて行き、体は無理でも顔ならいいだろうと念入りな手入れを施し、ついでに手にも美容パックをさせた。
すると不思議。
たいへん不機嫌な様子の(すでに)美少女が仕上がっており、微妙な体格差をカバーするため、比較的ゆとりのあるデザインのデイドレスをあてがわれた。当然のようにコルセットで締め上げられている。
さすがにこれには寝台の柱にしがみついて悲鳴をあげていたが、侍女たちは容赦なかった。涙目のルピナスが、側で見守る姉に「アイリス。いつも、こんなことを……?」と尋ねるさまもやや倒錯的で、申し訳ないが色っぽいだけ。
余談だが、頬を染める侍女が続出するなか、アイリスだけは純粋に弟を心配しつつ、色気もいっさい感じない様子で「いいえ。わたくしはその……ぺたんこだから」の一言で場を和ませていた。
そうして出来上がった令嬢ルピナスは、どちらかといえば母のイゾルデに印象が似ていた。ぴんと伸びた背筋は体幹のあらわれ。口数少なく、きびきびとした動作が『武人肌のしっかりした少女』を感じさせる。
こうなると、アイリスの好みもあって首もとを覆い隠すハイネックのデザインは奏効した。髪と瞳の色に合わせてグレーがかった柔らかな色みのペールブルーの生地に、白のレースが飾られたシンプルさが似合っている。
アイリスは、ほう、と溜め息をついた。
「良かったわ。わたくし、体を締め付けるドレスが好きじゃなくて。新しく仕立てた衣装はぜんぶ、問題なく着られそうね」
「……私は……問題だらけだと思う。正直きついよ。もれなくコルセット着用が義務づけられるんだよ?」
「んんん……それは」
「大丈夫ですわ若様! ご心配なく!」
「たまたま、うちのお嬢様が奇跡的にコルセット要らずなだけで、世のご令嬢がたは皆さま付けておいでです」
「そうです、そうです。それに、私どもと致しましては、こちらの夜会用ドレスもぜひお試しいただきたく……!」
「えっ、ごめん。それは嫌だ」
「「「ええぇ~~」」」
じつに息の合うブーイングだった。
ぴら、と三人目の侍女が広げたドレスはいかにも流行にのっとった形で、胸元を楚々と目立たせるもの。コルセットはもう一段階引き絞らねばならないだろう。胸はいったい、どうしろと言うのか。
腰から下にたっぷりと布地を用いた贅沢な一品でもあったことから、歩きにくそうだと直観したルピナスは即断した。
心底残念そうな侍女たちを、くすくすと笑うアイリスが嗜める。
「だめよ。ルピナスをいじめないで。それに、殿下も配慮してくださったわ。『夜会はいい。茶会にしろ』って、そういうことでしょう?」
「どうだかね……」
苦々しい面持ちの弟に小首を傾げるアイリス。若い侍女たちは波が引くように「畏まりました、お嬢様」と、大人しくなった。
ちょうどそこで本館の侍女長が現れ、パンパン、と手を打ち鳴らす。
「お疲れさまです、若様。お嬢様。――さぁ、あなたたち! 次は模擬茶会の特訓よ。階下のサロンの準備を」
「「「はいっ」」」
「サロン?」
「えぇ、お嬢様」
寝室はまだ衣装が散乱した状態だったが、どうやら移動の必要がありそうだった。