54 姫君を救いだすのは
「――あやういですね。新たな冷気は発生していないようですが。それはそれで、別の危険が生じます。壊しかたによっては、脆くなった箇所が」
「倒壊ですか」
「はい」
右に騎士団長。左に魔法士長を従え、将軍である女公爵イゾルデが中央に佇む。装束といい面持ちといい、まるで戦争時における陣営のようだった。
魔法士の長は平民出身の初老の男で、名をマルス。
巧みな制御であらゆる属性魔法を使いこなす万能術者で、今年、長年の魔獣討伐の功績を認められて準男爵位と家名を賜ったばかり。人格者と評判のおだやかな瞳も、いまは険しい。
現場に詰める騎士や魔法士は、ほか十五名。加えて軍医に看護官が四名。みな、固唾を飲んで歪な氷の要塞と化した“フェリーチェ”を見守っていた。
* * *
日没より少し前。雪はやみ、辺りは急速に闇に沈んでゆく。
公邸から小型竜がいくつかの地点に飛ばされたとき、視察団は日程最後の町まで迫っていたが、その郭壁よりも内側に入ることはなかった。
ことの緊急性を鑑みた町の長により、伝書を携えた兵が門で一行を待ち構え、すぐに内容を知らしめたからだ。
イゾルデたちはそのまま北都へと向かった。
――正確には、文官といくらかの護衛騎士を残して視察と陳情受付を任せ、可能な限りの全速力で戻ったことになる。
到着後は野次馬を解散させ、周辺部一帯を立ち入り禁止区域とした。付近の住民にも一晩、徹底的に自宅から出ないよう周知した。
ふつうなら氷を融かすか破砕して、さっさと救護班を突入させたいのに、氷の張りかたがアンバランスで見るからに脆く崩れそうなため、そうも行かない。
歯痒さに、いっそうしずかに殺気立つイゾルデは、後ろの副官に問いかけた。
「セザン。状況を」
「はっ。当時カフェに居合わせたのは店員十六名、令嬢八名の計二十四名。このうち、アイリス嬢およびポーラ・ロードメリア嬢の二名が行方不明です」
「ロードメリア。新男爵の妹ね」
「はい」
副官は書類をめくり、眼鏡を直した。
「その男爵が、広場の臨時本部まで来ています。閣下に面会を希望していますが。通しますか」
「いいえ。そのまま本部か邸で待て、と」
「はっ」
セザンは一礼し、踵を返した。
周辺の封鎖を担った、本日の警ら班が詰める臨時本部まで戻ったのだろう。
最寄りの広場に夜営用の大天幕を張っている。
夕方、妹を心配して駆けつけたロードメリア男爵はそこにいる。――気持ちは痛いほどわかる。
(アイリス。なぜ)
ルピナスは、ひっそりと唇を噛んだ。
なぜ、グレアルド侯爵一派の茶会に参加したのか。
一体、何が起きたのか。
訊きたいことは山ほどあったが、それらはすべて本人が無事であればこそ。
帰還してそろそろ一時間経つ。
母も騎士団長も、ほかの精鋭らも意見を出し尽くしての膠着状態に見えた。
いまは、各邸に戻っているはずの令嬢たちに聞き取りをすべく人員を向かわせているが、なかなか戻ってこない。
店員もグレアルド家の使用人で固められており、かの侯爵家が率先してだんまりを決め込んでいる。
――――限りなく黒。まっっっくろだ。
(くそったれ。奴ら、春の夜会前に回復したアイリスを潰したかったんだ。決まってる……!)
事態の真っ暗さに泣きたくなる。
だが泣けない。泣くわけにいかない。
考えろ、私には力がない。
けど、何かあるはず。
打開策は……キキョウは? 彼の障壁魔法があれば。
期待を込めて隣を見ると、ちょうど参謀長のロランドも同じことをキキョウに尋ねていた。
「キキョウ、君なら出来ないか。たとえば魔法で入り口から氷を融かして、屋根が崩れそうになったら防ぐような」
「ロランド殿……それが」
キキョウは、くるしそうに答えた。
一つ、彼の魔力は純粋な重量に対して弱く、広範囲の防御は不可能。ピンポイントも絶対とは言いがたい。
一つ、守るべきアイリスとポーラがどこにいるかわからない。
店の見取り図もない。万事休す――
……が。
(待てよ)
ちらり、と過去の映像が記憶を掠めた。昨秋の、あの夜。
本館から護りの塔まで、わずかだが同行した。サジェスは何と言っていた?
たしか。
――“誰にも言うなよ。俺は、アイリスの気配だけはわかる。ある程度近くにいれば”
(!!!! そ れ だ !!)
「あっ……、でも」
「どうしました? ルピナス」
怪訝そうにイゾルデが振り向く。つられて全員が北公子息を見つめた。
ごくり、とルピナスの喉が上下する。
「母上。こうなったら、サジェス殿下に助力を願えないでしょうか。あのかたなら、アイリスとポーラ嬢を救えます。王家の能力で」
「それは……無理よ、ルピナス。建物を透かし見ることなど誰にもできません。王太子殿下を危険に晒すわけにはいかないわ。ましてや、ここから王城までは小型竜でも一昼夜かかる。すぐに転移していただいたとしても、保証が」
「それでも!! 殿下は言っていました。『アイリスの気配だけは、近くにいればわかる』と」
「! 初耳よ。いつから?」
「わかりません。でも、だからこそあのかたはアイリスを…………その、アイリスだけを自分のところに“転移”させることが…………!? っ、痛ぇっ!!」
「――まったく。ほいほい口達者に。あれほど『言うな』と、念押ししたのに」
「殿下っ!? なぜ」
「どうやって来たんですかっ」
「というか、なんで来て早々ひとの頭を叩くんです……!!? この暴君!!」
「煩いなぁ。いまはそれどころじゃないだろ」
幻ではない。サジェスが。
こつぜんと現れ、篝火の明かりを受けて立っていた。
波打つ紅髪がオレンジ色の炎の照り返しを映す。
冬服ではあるものの、ここでは薄着すぎた。それがいかにも取るものもとりあえず、焦って翔んできたように見える。
じっさい、そうなのだろう。
宝石めいた煌めきを宿す紫の瞳が、ひたと前を見据える。やがて鋭く細められた。
「いた。行ってくる」
告げると同時にかき消えた。