52 招かれた席で(後)
ポーラは服装こそ貴族令嬢らしいものだったが、手には新しい紅茶のポット。後ろには替えのカップ一式が乗ったトレイを持つメイドを連れている。
(?)
アイリスは違和感に眉を寄せた。ぱち、と目をしばたいた。
本来なら、彼女はルシエラの友人の一人として、最初からこの席に座っていても良いはず。
アイリスは、思いきって声をかけることにした。
「ポーラ嬢……? そういえば、先日もご挨拶はできませんでしたね。ごきげんよう」
――嫌われているのは知っている。
彼女の家が没落一歩手前なのも、元はといえば自分が前子爵の犯罪行為を暴くきっかけを作ってしまったからだ。
とはいえ、それは正されて然るべきことで、こちらが一方的に負い目に感じる必要はないのだが……。
ポーラの視線に刺々しさが。口元に皮肉な笑みが浮かんだのは、そのときだった。
「ごきげんよう、アイリス様。わざわざありがとうございます。でも、私はいまはグレアルド侯爵家で務める身ですので」
「え?」
「ポーラ。そんなこと、気にしなくとも良いのに……! 都合上、貴女は我が家の侍女として迎えたけれど、大切なお友だちよ。メイドの真似事なんかしなくてもいいわ」
「ですが」
「ね?」
「……はい」
ルシエラは席を立ち、ポーラからポットを預かると、空いていた自分の右斜めの椅子に彼女を座らせた。
――お久しぶり、元気だったの? など、取り巻き令嬢たちは話が弾んでいる。その間にルシエラが紅茶を注いでいる。今度は、ふつうの香りがした。
焼き菓子や果物のデザートも運ばれ、卓上はひとまずの華やかさで満ちた。
アイリスは菓子類に手を付けず、紅茶を一口だけ飲んだ。
* * *
「――では、皆様そろって王城にゆかれるのですね」
「半分は物見遊山ですわ。きっと、サジェス殿下のお相手は決まっていますもの」
「! そんな、ことは……」
困った。場は春に行われる王都の一斉夜会や茶会を話題に盛り上がり、かろうじてアイリスも会話に加われていた。
が、こればっかりは二日前の夜の記憶がつよく、一概に『ない』とも言えない。
アイリスは言葉に詰まり、無意識に胸元に手を添えた。
俯いてもわかる。周囲からの視線が刺さる。痛い。――――……ものすごく、怖いんですけど!?!?
令嬢がたは、居心地の悪そうなアイリスに若干溜飲を下したように、とたんにきゃあきゃあと騒ぎ始めた。
「まぁまぁ、ルシエラ様。まだ分かりませんわ」
「そうです。お相手がおありなら、サジェス殿下が夜会に出席なさるわけがありませんもの」
「私たち、皆で応援していますから」
「どうしましょう。下の王子さまからも見初められては」
「もう……。貴女たちときたら」
呆れた様子のルシエラが、失礼、と席を立つ。すると、ほかの令嬢たちもぞろぞろとあとに続いた。
(?)
アイリスと、意外にもポーラだけがぽつん、と取り残される。
ポーラは座ったまま彼女らに軽く会釈をしており、これが予定調和なのだと暗に示している。
それでも落ち着かないものを感じとり、アイリスはやや腰を浮かせてルシエラを呼んだ。
場合によっては退席を願おうと思った。
「あっ、あの」
「申し訳ありません、アイリス様。お時間をくださいね。じつは、先に皆でお土産用にケーキを焼いておりましたの。ちょっと見て参りますわ」
「はぁ」
――なるほど。
どうやら、サジェスが甘いものが好きだと全員が把握済みなのか、このカフェでは客も使える厨房を完備しているようだった。
彼女たちが別室にゆくと、不思議な圧が解かれたようでもあり、新たな圧にさらされているようでもあり。
アイリスは、彼女たちが戻ったら絶対に退席しようと心に決めた。
もうじき、茶会開始から一時間が経とうとしていた。
「そろそろ時間だな。行ってみる、か……!?」
店の外で馬車の番をしていた御者は、突然の悲鳴や物音、見たことのない現象に驚き、度肝を抜かれた。
見ると、着の身着のままの令嬢たちや使用人、店の者と思わしき人びとがほうほうの体で“フェリーチェ”から駆けてくる。
御者は、主家の令嬢を探したが見当たらなかった。さあっと青ざめる。
(いない!? どこ、に……!??)
助けて、誰か見廻りの騎士を、などと物騒な叫びが飛び交うなか、雪が積もる屋根を突き破り、天を突いてなおメキメキと巨大化する怪異が目を奪った。
――――氷。
青白く透明な、屹立する氷柱が幾本も生えている。恐ろしいほどの冷気が店の方角から押し寄せる。白くたなびいて、可視できるほどだ。
はっ、と気づくと、それは木々を伝い、敷地を隔てる柵にまでおよんでいた。足元がパキパキと氷ってゆく。そこで、執事めいた格好の男に、ぐいっと肩を引かれた。
「危ないぞあんた! 下がれ!」
「しかしっ……、アイリス様は!? まだ、なかにいらっしゃるんじゃないのか!!?」
「わからんっ。そうかも」
「そんな」
ぶるぶると足元から立ち上る震えが恐れか、怒りかはわからなかったが、馬の嘶きに我に返り、慌てて結わえてあった綱を外しに戻った。
馬車を移動させると、蹄や車輪が音をたてて地面の氷を割ってゆく。
間一髪。危なかった。
だが。
アイリスの安否確認とともに、ことの次第を至急公爵に知らせる必要があった。騎士団長や魔法士長にも。
イゾルデは二日前から公務で不在だが、彼女が率いる視察団は夕刻にも北都に帰るはず。
(何てことだ……! アイリス様っ、どうか、どうかご無事で……!!)
身を切られる思いで御者は馬車を駆り、公邸までの街道を猛スピードで引き返した。
魔法の手練れたちの大半が視察団に同行している。
北公家の留守を預かる老家令と、公邸敷地内にある騎士団本部への報告こそが急務。
この場における最善手なのだと、必死に言い聞かせた。
【本文訂正のお知らせ】
すみません、イゾルデたちの視察団が出立したのは新年三日。
この事件は五日の出来事なので「二日前」のまちがいです。
失礼しました~。