50 真夜中の逢瀬
獣、というと、ふつうは四足歩行で言葉を解さない生き物を指す。
獣たち独自の、種族単位での意志疎通手段はあるのかもしれないが、少なくとも人間にはわからない。
そういう意味で、容姿が独特で住む領域が異なる魔族といえど、ゼローナの民は決して彼らを魔獣扱いなどしたりはしない。厳密に区別している。
よって、人間側の国に生息する数多の獣。
魔族側の領域から生まれでる魔獣。
おとぎ話の妖精に近い、神秘の精霊獣。
けもの、といえばこの三つだ。だから――
「……だから? こうして、ペンダントの石が四つめの『幻獣』かもしれないと、わたくしに知らせるためだけに皆が寝静まったあと、人目を忍んで来てくださったのですか?」
「そう」
「もう……。なんて、困った殿下!」
「君が困った顔を見られて嬉しい」
「そうではなくて」
時間帯は定かではないが、深夜だ。
やさしく語りかけられて、贈り物の宝石が正確には宝石ではないようだと聞いた。(※かなり夢うつつだったので、あとでもう一度訊こうと思う)
遅ればせながら現状把握につとめた。
寝台の上で、仰向けに寝ている。
サジェスは昔、本人曰く『寄り道転移』で良くしていたように寝台の端に腰かけ、上半身をひねってこちらを見ている。すごく嬉しそうだ。
起きるに起きられない……。
アイリスは抗議を諦め、溜め息をついた。
「いけませんよ、殿下。あと少しでどなたかをご婚約者になさるのでしょう?」
「どうしてそうなる」
一転、やや不穏な気配。
む、と眉をしかめたサジェスは腕を伸ばし、扇のように広がるアイリスの髪を一房、指で掬った。もう片方の手で体重を支えながら距離を縮めるものだから、寝台がわずかに軋み、どきりとする。
枕元のランプに照らされ、どこか危険なまなざしのサジェスが見えた。胸が早鐘を打ち始める――!
「でっ、ですから。こういう、誤解を招く訪問はお控えください。せめて昼間で」
「昼は忙しい」
「じゃあ……、寝る前?」
「!!」
何となく、防衛のために手近にあったクッションを抱えている。
その状態でこてん、と首を傾げると、サジェスは非常にショックを受けたような顔をした。さっきまでの危うい空気もどこへやら、口元を隠してわなないている。
やがて横を向き、ぼそり、と呟いた。
「罪だな。危険だ。さっさと今夜の用件を伝えよう。いま、軽く自我が飛びそうになった」
――――……自我。
(たとえは物騒だけれど。それはつまり、眠くて意識が……ということよね)
アイリスは頷き、さらにクッションをつよく抱きしめる。申し訳なさそうに謝罪した。
「さぞかしお疲れなんですね。すみません、わたくしなどのために」
「君のための労など惜しくない。それだけはわかってほしい。で、本題だけど」
「はい。……あっ!?」
「失礼。やっぱりか」
難なくアイリスの腕をどかしたサジェスは器用に指を沿わせ、クッションと首の隙間から鎖を探り当てた。するりと引き出す。
「!??」
「魔王の呪具とは違うかな……石が小さい。絵姿のは、どれも大きかった」
「まおう」
一瞬、耳を疑う。
その様子にサジェスも微妙な表情をした。
「当代じゃない。千年前の魔王だよ。彼が前線に赴くときは、これよりも大粒の宝石をじゃらじゃら飾って激烈な魔法をふるってたらしい。うちの古書では『宝石』『ない』『幻獣』と、断片しか読み取れなかった。残念ながら消されたようだ」
「消された……? なぜでしょう」
「さぁ。不確かだったからかな。それとも、明記して、それこそ『便利な石』として民が魔族領まで探しに行くのを止めるためだったのかもしれない」
「便利…………。あ、殿下が最初に言っておられた『魔力を引き出して使うための呪具』。そういうことですか」
「――うん。見せてくれてありがとう」
「いえ。どういたしまして」
サジェスは丁寧にペンダントのトップをアイリスの鎖骨の中央付近に戻す。もの思わしげに石を見つめていた。
それから、自分を。
視線がかさなったことで、覚醒した意識はじょじょに緊張してゆく。
「サジェス……殿下?」
「俺は……よくわからない、不確かなものかもしれないが、そいつに嫌な波長は感じないんだ。こうして君が少しずつ健やかになっているのは、君の努力もあるが石の影響があるのは間違いない。だからそのまま。……身に付けていてほしい。いい?」
「!!」
ことばを、失った。
真摯な紫色の瞳は、アイリスにとっては彼に会えない間、ずっと支えになってくれた石の色よりも心を騒がせるもので。
ずっと、ずっと求めていたものだった。
ばくばくと鳴る鼓動を悟られたくなくて、布団を被って隠れたいのに、サジェスが乗っているから引き上げられない。
(どうしよう)
絶望的に耳まで赤くなるのを感じながら、切なげに細められる、大好きなひとの瞳に見入る。見とれてしまう。
――石の、比じゃない。このまま死んでもいい。
「アイリス」
柔らかな声が降って、しぜんと目を閉じた。けれど…………。
((!!!))
キィ、と扉をひらいて光がこぼれる。
夜廻りの侍女が遠慮がちにこちらを伺う気配がした。
「……お嬢様? 大丈夫でしょうか。話し声がしたような」
「だ、大丈夫よ。ごめんなさい。寝言かしら」
「? 左様でしたか。申し訳ありません。朝までまだ間がございます。お休みなさいませ」
「ええ。お休みなさい」
光が遠ざかり、扉が閉まる。
ふたたび、部屋を照らすのは枕元のランプだけ。来たときと同じように、音もなく彼は翔んで行ってしまった。
動悸の余韻を服の上から押さえつつ、アイリスは、はっとする。
(! しまったわ。明日の茶会のこと、相談すればよかった)
――でも、勇気をたくさんもらえた気がする。立ち向かえそうな気も。
アイリスは、噛みしめるように瞳を閉じた。
可能ならば。
想われることに報いられる、自分でありたい。
「…………がんばってみますね。殿下」
今度は侍女に聞こえないよう、そっと囁いた。