49 かすかな予兆
短めです。
ちり、と微弱な熱を感じた気がして、アイリスは視線を胸元に下ろした。
(…………殿下のペンダント?)
痛みに似た感覚は一瞬だけ。懐から鎖を手繰り寄せてトップの紫水晶を引き出すと、多面体のカッティングが揺れてみごとな輝きを見せる。
ゆらり、きらり。ゆら、きらり。
アイリスはしばし窓際の光にそれを当て、紫の煌めきをうっとりと楽しんだ。
* * *
新年三日目は雪になった。
それは珍しいものではなく、北部ではごくふつうのこと。
しんしんと、庭園の銀景色にあらたな白がかさなるのを、自室からぼうっと眺める。
手のひらほどの格子に区切られた硝子窓は結露で曇り、分厚い灰空をうっすらと映していた。背後では、ぱちぱちと薪が燃える音。
昼下がりではあるが、めっぽう冷えるので侍女がやって来て、暖炉に新たな薪をくべてくれている。
ほのかに清澄な雪明かりに、控えめで暖かな火明かり。
「では」と侍女が去ると、部屋は再びそれらのおだやかな光源と、静けさに包まれた。
(ううん……)
ひとしきりペンダントに癒されたアイリスは、意を決してくるりと振り返る。
当面の問題として、ちょっとばかり警戒心が疼く事案が発生していた。
――――なんと、こんな季節外れに茶会の招待を受けてしまった。
差出人はグレアルド侯爵令嬢ルシエラ。
昨日ばったり出会ってしまったが、正直、心証はことごとく良くない。
年始の宴でも距離感は微妙で、彼女の父とイゾルデが挨拶しているのを、それぞれ側に控えて見ていただけ。互いに『よい年を』という定型句しか交わさなかった。取り巻きの令嬢がたに至っては、最後までピリピリした空気を向けられていた。
出席か、辞退か。
本当なら、こんなことは親しい家族や頼れる友人に相談したいところなのだが……。
「困ったわ。母上たちは今朝から二泊三日で領内視察に廻っておいでだし」
悩める下がり眉で呟き、そっとテーブルに近づく。
封書を取り出し、端正な文字を目で追いつつ丹念に再読するが、とりたてて不審な点は見当たらなかった。そのことにもいちいち困る。
場所は公設市の近く。グレアルド商会が経営する貸し切りサロン“フェリーチェ”。
ルシエラ曰く、彼女も彼女の友人たちも夏の一件をひどく反省しており、今後は礼節をもってお付き合いをしたいなど、文面だけならこの上なく理性的な内容が綴られていた。
サジェスとのことを引き合いに自分を侮辱した点まで、きちんと謝罪していた。
会って、直接謝りたい、とも。
(指定日時は二日後、午後二時……。遅くとも明日の朝には返事をしないといけないわ)
ほとほと困り果てたアイリスは額に手をやり、再度アメシストを目の前で揺らした。
「ね。どうしたらいいかしら。お互い、ちゃんとものをわきまえた大人の淑女なら、こうまで言われては断ってはいけない気もするの」
…………。
……………………。
「なんてね。ふふっ」
もちろん石は無言。喋るわけがない。
気を取り直して苦笑したアイリスは石を服のなかに落とし込み、まずは本館へと向かうことにした。今日の体力向上メニューをこなすため、ダンスの練習でもしよう、と。
―――――――――――
だからその後、石がちかり、ちかりと瞬いたことに気づかなかった。
光が瞬いたのは一瞬。
アイリスは、ペンダントが知らせる予兆には気づかず、ひとまずの日常に没頭した。
このあと、サジェス王子です!
(明日には投稿できると思います。よろしくお願いします~)