48 いとしの姫に捧げた涙石は
「殿下。決済をお願いいたします」
「こちらは参加令嬢の身上書綴りです」
「わかった。その辺に置いてくれ」
「「はっ」」
((……その辺…………。どこ??))
年明け三日めのゼローナ王城。
祝いの空気はすっかり拭い去られ、どこも人手は足りない。繁忙所はここに限ったことではないが。
昼前、王太子執務室を訪れた文官二名は顔を見合わせ、おおいに戸惑った。
* * *
昨年の秋、正式に立太子した第一王子サジェスは、ふだんから忙しい人物ではある。
若く有能で仕事が早い。
それを見越した国王オーディンが、片腕育成とばかりにどんどん容赦のない量を回して来るからだ。
それでも、ここまで部屋が埋もれてしまうほど――補助台やら、中央の大きな資料机にまで書類が積まれることはなかった。
おかしなことに、いつもなら複数名控えているはずの侍従や補佐官の姿もない。何か、のっぴきならない事情で身動きとれなくなった王太子に代わり、細かな案件で出払っているのか……。
官吏の一人は、おそるおそる執務机の辺りに声をかけた。
「あの、殿下?」
「なんだ」
「差し出がましいようですが、資料机がいっぱいです。よろしければ、裁可の期限の早いものから順に我々で調べて整理いたしますが」
「ああ…………。あ、いや。待ってくれ」
ひょい、と頭をあげたサジェスが書籍の搭の横から顔を出す。
若干疲れを滲ませた声で呻いていたが、わずかに黙考したあと、きっぱりと答えた。
「整理は要らない。このままで。危なっかしく見えるかもしれないが、いちおう全案件と各期限は把握してる。ご苦労だった。下がっていい」
「は」
それならば、と納得の色を見せた文官たちが去り、サジェスは気分転換に大きく伸びをした。パキ、と首が盛大に鳴る。一体どれだけ同じ姿勢でいたというのか。時計を見て、再度うぐぐ、と呻くはめになる。
――――手がかりがない。
正直、突っ伏したい気分だった。
年の暮れにキキョウから文が届き、すぐにそちらを最優先事項とした。
破綻しない程度に従来の仕事も進めているが、これ以上滞らせるのも良くない。
「魔法具……呪具、か」
ぽつり、と呟く。
ペンダントを見つけたのは偶然だった。古来、うつくしい宝石には自然の魔力が宿ると信じられている。あの紫の涙石にも相応の力を感じた。
石の波動は眠るようにおだやかで、澄んでいた。
直感で彼女に与えたのは掘り出し物だと思ったからだし、離れていても石の色で自分を思い出して欲しかったからでもある。
おかげで、先日は羞恥で頬を染めるアイリスを見られたのだから値段以上の価値があった。
本人の“いのち”の波長も安定していたし、守り石として機能したなら万々歳だ。
そう感じていたのに。
「くそっ。たしかに昔、魔族領と戦争してたときは、向こうの魔王がいくつも呪具を身に付けてたって記述があるのに。肝心の効用がわからん。人間が身に付けていいものかも」
トントン、と、机を指で叩く。
広げた歴史書には当時の魔王の絵姿が残されていた。指輪、耳飾り、首飾り――おびただしいほどの宝石で彩られている。
記載では、魔王が前線で魔力をふるうたびに雷が起こり、竜巻がゼローナの軍勢を襲ったという。果ては真夏に大粒の雹まで降らせたというのだから恐ろしい。無論、ふつうに火炎魔法も使ったらしいが……。よく、当時の人間たちは生き残り、持ちこたえられたものだ。
諦め顔で椅子にもたれて頁をいじっていると、ふと、違和感を感じた。
(?)
誤って書いた記述をむりやり消したのか、うっすらと筆跡が残っている。掠れて退色が激しいが、斜めから傾けてみると辛うじて一部が読み取れた。
「『宝石』『ない』……『力を蓄え、取り出す』……!!! これか!?」
思わず喜色でほころんだ顔は次の瞬間、なんとも微妙なものとなった。
「『幻獣』…………? 何だそりゃ」
魔獣でもなく、おとぎ話の精霊獣でもない。
およそ初めて目にする生き物の名に、サジェスは腕組みをした。
瞑目して、うん、と頷く。
「よし。掟破りだが非常事態だ。今夜は翔ぼう」
――善は急げ。
サジェスは、溜まりに溜まった仕事を端から猛然と片付けていった。