47 【幕間】キキョウの魔法講座
新年早々、晴天に恵まれている。
おととい年始の宴を終えたばかりのアクアジェイルはどこかふうわりと微睡み、昼どきの貴重な陽射しに包まれていた。
それはここ、北公私設兵団本部と隣り合う騎士団詰め所も同じで。
今期の騎士見習い三十余名の少年たちが講義室で机に向かうなか、広く取られた窓からはうらうらとやさしい日差しが届いている。
――これが、あと十日もすれば民間人は一歩も外を出歩けないような猛吹雪になるとは考えづらかった。それくらいに心地よい。
カッ、カカッ……と、リズミカルに跳ねるチョークの音。講師の男性魔法士は流れるような板書きを終え、カツン! とピリオドを打った。
やがておもむろに振り返ると、まだ初々しい顔立ちの多い騎士見習いたちを満遍なく流し見る。
「では、ここの上位属性の相関について。ランドルク君? 空いてる欄を埋めて説明を」
(あ)
――……先生、わざわざ寝てる奴を指さないでください、と、ルピナスは半目になった。顔が引き吊る。
窓際の席で机に突っ伏す少年は安らかな寝息をたて、ぴくりともしない。講師はにっこりと笑う。
「おや残念。ランドルク君は答えられないようなので、後日全員レポートの提出を――」
「!! ええぇーーーーっ!」
「ない! それはないです先生。救済! 救済措置!? 断固チャンスを求めます!」
「うーん、じゃあその後ろ……は、誰もいないから。ジェイド君? 代わりに答えて」
「はい」
位置的にそう来るだろうな、と予想していたルピナスは返事をして、落ち着いて席を立った。すたすたと教壇に向かう。
暗緑色の横長の黒板には、流暢な筆跡の問題文と二つの相反する魔法属性について簡単な図式が書かれていた。やや短くなった白いチョークを手にとり、淡々と語りはじめる。
「……炎属性と氷属性は相剋の関係にあります。どちらも使い手の適性によるところが大きく、訓練である程度使えるようになるものの、実戦で役に立つかは魔力と制御力、および精度次第でしょう。こちらの」
喋りながら、カカッ、と黒板を鳴らして図式の空欄を埋める。――『熱属性』『冷属性』。
「上位とされる魔法は、概念上存在しますが使い手の実例はほぼない。純粋な『熱』も『熱を奪う』ことも、ひとの身には余るからです。制御を誤れば生命を損ねるようなものを、人間は基本的に“能力”として授からない。ちなみに」
コンコン、と図式の下部をノックするように叩く。
「先生は省かれましたが、これらの下位に『火魔法』『水魔法』があると思われがちですね。厳密には、こちらは空気中の元素を魔力で変換する方法。大なり小なり、訓練次第で誰でも使えるようになります。――魔獣への攻撃の際に詠唱を行う方法は、複数術者が同じ魔法を同じタイミングで発動するため。よって、民間において技の名前を使ったり、それらしい詠唱をするのはちょっと恥ずかしい……と、先輩がたから教わりました。以上」
「はい、よく出来ました。戻ってよろしい」
お~~、と歓声が湧くなか、件のランドルクはようやく目をこすって起きていた。それに苦笑した講師が「レポートはランドルク君だけでいいですよ」と付け加え、講義室がどっ、と笑いに包まれる。
そこで時刻となり、講義は終わったが、ルピナスは去り際、講師に引き留められた。「ちょっと。ジェイド君」
「? はい」
「さっきの。すごく詳しく調べてたね。騎士の先輩に教えてもらった? 誰?」
「エヴァンス先輩に」
――当代きってのギフトの持ち主。また、器用なためあらゆる属性魔法も駆使できるキキョウの名を出され、講師は深く頷いた。
「なるほど。納得だ。しかし……失礼だが、君は魔力値がそんなにない。どちらかといえば剣技に長けると聞いた。なぜ?」
ことばを飾らない講師に、ルピナスはいっそ好感を抱く。に、と口の端を上げると不敵に微笑んだ。
「先生。私は、己に備わる力を磨いて一人前の騎士になりたいのはもちろん、最終的には母の爵位を継ぐに相応しい者になりたいんです。そのために魔法を学ぶことは必須ですし」
「ほおぉ……。大したものだなぁ、さすが」
「私を褒めても何にもなりませんよ」
「ははっ。そうかい? じゃあまた明日。呼び止めて悪かったね」
「いえ。失礼します」
朗らかに笑う講師に一礼し、にこやかに退室する。廊下はがらんとして、ほかの騎士見習いはすべて屋内修練場へと向かったのだと察した。
(やべ。急がないと)
早足で歩く。
が、脳内ではさっき講師に伝えたこと以外の、大切な理由が渦巻いていた。
――――アイリスが。
彼女がなぜ、幼いころから体が弱かったのか。なぜ、自分は平気なのか。ルピナスなりに長年調べていた。城の侍医は薬学は巧みだが、魔法学は別分野だ。しかも、およそ戦いや生活面で発達している。
けれど。もし、彼女の不調が目に見えない魔力のほつれなどによって生じたものだったら?
亡くなった父の死因は? 元々の体質は??
そうしてたどり着いた原因。可能性の一つだった。
キキョウは言っていた。
――“アイリス嬢も魔力値が低いと見られがちですが。そうではないかもしれません”と。
* * *
「低くない……。潜在的に高い魔力持ちってこと?」
「おそらく」
たまたま騎士寮に来ていたキキョウを捕まえ、さまざまに教えを乞うたあとだった。談話室で二人きり、備え付けのお茶を淹れての休憩中。たんなる世間話のような流れだった。
「……以前、あのかたの火傷を冷やすため、指先周りの空気中の水分のみ氷魔法をかけたんです。ゆるい結界魔法で包んで」
「器用だね」
「お陰さまで。――でも、妙に効きが良すぎました。あのかたは、体質としての冷え性だと勘違いなさっていますが、魔力適性が『冷属性』に近いのかも」
「! それって」
ぐるぐると、先ほど学んだばかりの属性と人体に適した魔力値の関係が頭のなかで回った。
考えたくもない仮定に行き着いてしまいそうになり、ぶんぶんと頭を横に振る。
「でも。最近は回復してる。ふつうに虚弱体質なだけで、それが改善されたってことも」
「もちろんです。ただ」
「……ただ?」
手のなかの器の温もりがありがたくなるほどの心細さ。
心持ち憂えるようにお茶の表面をなぞっていた視線は、次の瞬間、キキョウが漏らした言葉で上向いた。
「殿下が、街の市で見つけた不思議な宝石をアイリス嬢に贈っていました。ペンダントです。それが、日に日に蓄えた魔力を強めているんですよ。最初は強固なお守りかと思いましたが。逆なのかも」
「!! 逆?」
「ええ。先日、文で殿下にも知らせておきました。そういった魔法具のたぐいが、過去に周辺諸国で見られなかったか」
――あるいは、魔族領域の品である可能性も、と。