46 王子争奪戦
ゼローナには三名の王子がいる。
サジェスは年明けに誕生日を迎えたので、上から十九歳、十七歳、十四歳。
令嬢がたがダンスの相手をそっちのけに騒ぎだしたのは、彼ら全員が婚約者を定めていなかったからだ。
今回布告された茶会と夜会は、名目上は第三王子アストラッドの十五歳の誕生日を祝うため――つまり、そのお披露目だった。
が、問題はそうではなく。
「あのあとは本当に大変でしたのよ。アイリス様」
「そう……でしょうね。どうでしたか?」
――――――――
宴の二日後。
アイリスは単身、エヴァンス伯爵夫人に招かれてアクアジェイルの街へと降りていた。
いったんエヴァンス邸で歓談のあと伯爵家の護衛を伴い、ゆるい傾斜を下っている。
この辺りは貴族街と呼ばれる高台の一画で、大神殿の南側一帯を占める。なお、市や公共施設、職業組合といった機関はすべて北側に集中していた。
そのため平民や流れの冒険者は滅多に立ち寄らず、静かなものだった。しかも雪が積もっていない場所がある。
何でも、あらかじめ歩道と車道に雪が積もらないよう、備蓄した熱で道路を直接温めているらしい。――そんな大がかりな魔法具があることも、つい最近知った。
アイリスは、ほかは雪景色なのに地面だけが帯状に乾いているのを不思議な面持ちで見つめていたが、ふと夫人に切り出され、神妙に続きを待つ。
情報通と有名な彼女が被害を受けたのだとしたら、それは間違いなく早々に退散した自分たち母子のせいだ。
しゅん、と眉を寄せたアイリスに、ミズホは朗らかに笑って見せた。
「大丈夫ですのよ。『知っていたか』と問われても、知らぬ存ぜぬで通せますもの」
「でも。じっさいは、いつご存じでした?」
「去年。雪が降る少し前かしら」
「まぁ」
悪気なくお茶目に言ってのけるあたり、流石というべきか。
曰く、年始の宴は中締めのあとこそが良縁を求めての本番なのに、ちょっとした婚約破棄騒動まで見られたらしい。
「! そんなに??」
「そこまでですのよ。なかには、好き合って婚約した者同士まで引き離そうとする親もいて。アイリス様たちの、お早めの中座は賢明でしたわ。見ものを通り越して、目も当てられませんでした」
「責任は母にもありますのに……。申し訳ないです」
肩を落とす令嬢に、騒動の一部始終を見届けた夫人は年配者特有の笑みをこぼす。
「アイリス様はお優しい」
「エヴァンス夫人」
「ミズホ、と。――さ、着きましたわ。こちらですのよ。最近できたばかりの美容専門店。ぜひぜひ、アイリス様にはいま以上に輝いていただかねば」
「!! ミ、ミズホ様!?」
チリリン、と軽やかなドアベルを鳴らして二重の硝子扉を開ける。
なかは女性の好みそうな化粧水や香油、香水が壁際にずらりと並び、高価そうな花々で飾られている。いかにも貴族御用達店だった。
いらっしゃいませ、と対応した店員がすぐに女主人を奥から呼び、未だ事態を飲み込めていないアイリスをいそいそと連れ去る。
「え!? あの……?」
「どうぞ、ごゆっくり行ってらして。予約ならしておきましたから」
「!! ミズホ様っ」
ひらひらと手を振るご機嫌な夫人に見送られ、アイリスはその後、肌から髪から爪の先まで磨き抜かれ、果ては流行の下着類まであてがわれてしまった。
* * *
「――え? 今日はだめ?」
「はい。大変申し訳ありませんが。本日の施術はご予約のかたでいっぱいで……。表側の商品でしたらご試用いただけます。いかがでしょうか?」
午後。
令嬢二人連れの客が現れ、片方は落胆もあらわに呟いた。
濃い茶色の髪を耳の両側で巻いた、二十歳手前ほどの女性だ。少女っぽくもある。
少女は傍らの令嬢に、残念そうな視線を投げかけた。
「どうします? ルシエラ様」
「仕方ないわ。予約しなかった私たちがいけないもの。表の品でも見せてもらいましょう」
「畏まりまし――……あっ、お済みになりましたね。ただいま、午前からのお客様が」
「あら」
「!」
――――店の奥から優雅な話し声と足音が近づく。
どこもかしこも磨かれて新しい衣装に身を包み、つややかに潤う果実よりも瑞々しい少女が現れた。右側を女主人に。左側をエヴァンス伯爵夫人に付き従われている。
藍色の真っ直ぐな髪が、卵形のちいさな顔の横でしゃらりと揺れる。本人は恥ずかしそうで、ちっとも居丈高なところはないのだが、いかんせん気圧されるほど目映かった。
う、とポーラが呻くと、アイリスが意表を突かれたようにこちらに気づく。驚いた顔まで光をまとうようにうつくしかった。
「貴女は……ロードメリア家のポーラ嬢? それに」
「ごきげんよう。奇遇ですわね、アイリス様」
「ごきげんよう。ルシエラ様」
「…………」
礼を交わし合う二人を前に、ポーラは唇を噛んで、そっとルシエラの後ろへと下がった。
――グレアルド邸では、なんだかんだと侍女としての務めを自覚せざるを得ない。こうして、威光あふれる上位貴族の令嬢らの挨拶に加わるのは憚られた。
すぐにエヴァンス伯爵夫人が二人の間に入る。
「失礼。ルシエラ様もこちらをご利用なのですね。私たちはこれにてお暇しますわ。ごゆっくりなさいませ」
「ありがとうございます」
話している間に準備は出来ていたのだろう。店の外には馬車が控えており、店員によってコートを着せられたアイリスは「では」と、一瞬、痛みをこらえるような表情で去っていった。
ふう、と、無意識に詰めていた息を吐く。
そんなポーラに、ルシエラは同情めいたまなざしとなった。
「ルシエラ様?」
「かわいそうなポーラ。そもそもの発端はあのかたなのよね」
「あのかた……?」
鸚鵡返しで首を傾げる友人に、ルシエラはちょっとだけ迷うそぶりを見せる。
やがて、側にいた店員に美容施術のメニューを持ってきてほしいと頼むと、快諾した彼女が奥へ消えた隙に、すばやくポーラに囁いた。
「一昨日の宴で噂を聞いたの。ジオ殿の不正のこと。最初に騎士団の帳簿を調べたのは、アイリス様だったのですって」
「……え……? そんな。ふつう、一介の令嬢がするものでは」
「そうね。でも、少しでもお元気なうちに、ご公務に関わらせたかった公爵様の親心では、と聞いたわ」
蒼白になるポーラの手を、視線を落としたルシエラがそっと握る。
「皆、とても褒めそやしていたわ。その上あんなにもお綺麗で。きっと、お妃様に選ばれるのはあのかたね。……わたし、殿下を忘れようと思うの。お父様にも言われているし」
今月、本格的に天候が荒れてしまう前に、アイリス様を仲直りの茶会にお招きするわ、と、微笑んだ。