45 布告と激震
おだやかに浮き立つ気持ちで、楽しく一曲を躍り終えたところだった。次の曲が始まる前に弟と礼を交わし、連れだってホールの端へと移動する。
知らず、息が漏れる。
夏のデビュタントは諸事情あって、かろうじてのお披露目しか出来なかった。それでも、秋から冬にかけてはそれなりに社交ができたような気がする。
――体調が崩れないって、すばらしい。
アイリスは、あらためて健康のありがたみを知った。
* * *
慣例として年始の宴が終わると、どの貴族家もぱたりと夜会をやめる。
ゼローナ北部の気候上、一の月半ばから二の月終わりまでは冬将軍が猛威を振るいやすいからだ。
間断なく荒れ狂うブリザード。それに伴う関所の機能凍結。国境沿いでは冬型魔獣も頻出するという三重苦。
よって、北公領騎士団としては気の抜けない日々が続く。可能な限りの街道確保に加え、冬期常駐隊を砦に派遣するほどだ。
――まだ見習いのルピナスが後者に駆り出されることはないだろうが、数百を越える魔獣の大量発生ともなれば、母が陣頭指揮にあたらねばならない。そんなことは過去に何度もあったらしい。
アイリスにとって、秋から冬にかけての社交は、こういった北部の「ふつう」を学ぶ機会でもあった。
周囲から心配された無茶な求婚などはなく、むしろ、人脈を構築する上で実り多い時期だったとさえ言える。
…………心残りがあるとすれば、想像以上に同年代の令嬢からは敬遠されていたことくらいで――
(ん? あれ?)
しみじみと物思いに耽っていると、ふと、ルピナスが出口に向かっていることに気づいた。
そういえばダンスの直前、『寝るなら踊ってから』(※意訳)と言われたような……。
アイリスは、遠慮がちにルピナスの袖を引いてみる。
「待って。わたくし、本当に下がっていいの? 主催家側の娘なのに」
「おっと」
問われたルピナスは立ち止まり、ちょっとびっくりしていたが、すぐにやさしく目を細めた。
「うん、いいと思う。最低限の挨拶回りは済んでるし。あのひとも、こういうのを長引かせるのは好まないから。ほら」
「あ」
指を差されて振り向くと、ホール奥の大階段の先で女王のように佇むイゾルデが見えた。
公爵位。将軍位。
ほか、いくつもの爵位を示す勲章を飾る紫紺のドレスに、豪奢な毛皮のマント。
最後の女大公がゼローナの国王から贈られた飾環を戴くイゾルデは、齢四十を越えてなおうつくしい。
ホールで二曲めを待っていた人びとは静まり返り、おとなしく壇上を仰ぎ見た。
それが主催者による中締めの挨拶だと、誰もが熟知していた。
――――――――
イゾルデは官吏が運んできた文書用のトレイから、一枚の紙を取り出した。
儀礼用に清書されたクリーム色の大きな紙だ。
いつもとは違う成りゆきに列席の貴族がざわめく。
イゾルデの声は、そのなかを凜と響き渡った。
「皆。年も改まったことですし、これにて宴は中締めとしましょう。妾を含め、下がりたい者は中座して寝床へ向かうもよし。残って賑わいを享受するもよし。―― 幸い今宵は星月夜。道に困ることもありますまい。ゲストルームもありますから、遠慮なくどうぞ。
ですが、今年は国王陛下より布告を賜っています。よくお聞きなさい」
「「!!」」
――――やはり、と、若干の緊張が漂う。
ふだん中央とのやり取りがない北部貴族といえど、王の名がもたらす影響は強い。
場に満ちる静寂とは裏腹に、イゾルデは淡々と述べた。
「“親愛なる諸侯。貴殿らには、来る早春の佳き日に我が城でおこなう一斉茶会および夜会への招待状を送付する。対象者は婚約者のない未婚の令嬢。どうか折り合いを付け、各々の参加を呼びかけるものとする”。以上」
「「「!!!!」」」
「うわあ……」
「(母上!? いま、このタイミングでそれを!??)」
のんびりと呟いたのはルピナス。
アイリスは震え上がった。
たしかに、これならば貴族の大半に通達が行き届く。かなりの手間が省けるが……。
くらり、と、体調とは関係のない目眩がした。
せめて事前に教えてほしかった。
ホール全体を驚きが走り抜ける。
どよめきが『ざわめき』を軽く凌駕する。
それをさして気にも留めず、イゾルデが奥の出入り口から中座する。一切の質問を受け付けないスタイルだった。
「……まずいな」
「ルピナス?」
呟きから一転。油断のない物腰でルピナスが囁く。
「アイリス、早々に出よう。このままじゃ私たちが質問攻めに会う」
「え、ええ。そうね」
「お二方。退出なさるんですね? 付き添います」
「! キキョウ様」
「うん。よろしく」
そっと声をかけられて、慌てて出入り口を見ると、いつの間にかキキョウが立っていた。
二人で足早に近づく。
「ダンスのお相手は?」
「離脱は得意です」
「……なるほど?」
煙に巻かれてしまった。
わかったような、わからないような。
怪訝そうに首を傾げるアイリスに、キキョウは苦笑ぎみに告げる。
「と、いうのは冗談で。皆さん現金なものです。王子様がたの見合いだと察したとたん、こちらには目もくれなくなりました」
――いまごろ、どなたも作戦会議でしょうね、と、他人事のように嘯いて扉を開けた。