44 新年の小手調べ ☆
アクアジェイルの旧城とも呼ばれる尖塔群。そのなかで、もっとも広く大きいのが舞踏の塔だ。
暦は十二の月を終えると、また一の月へ。
ふたたび新たな年を迎えられる喜びを。親しいひとと共に、健やかにあれるよう。人びとは春分と秋分、それに大朔日をはっきりとした祝祭日と認識している。
それは貴族も平民も同じ。
ちいさな子どもたちは目をこすりつつ、できるだけ夜更かししようとするのが世の常で……。
――シャアアァァン!
「乾杯! 善き一年を」
「善き一年を!!」
高らかにシンバルが打ち鳴らされ、新年の到来を勢いよく知らせる。
全員、塔の大時計の短針と長針がかさなる一分前から黙祷を捧げていた。
そのさなかで開眼した女公爵、イゾルデ・ジェイドの一声に続き、北方貴族らの雄々しい唱和が谺する。吹き抜けの天井と床に音楽めいた反響をもたらす。
ホールのそこかしこでシャンパングラスが掲げられ、やや遅れて「かんぱーい」と、可愛らしい声も聞こえた。
果実水のグラスを無邪気に打ち合わせるのは、およそ八歳から十四歳の子どもたちだ。
この日、精一杯にお洒落をしたちいさな紳士淑女らは、それらしい仕草で音頭を合わせたあと、そろって澄まし顔でグラスを傾ける。
――いつだって、彼らにとって大人の真似事は楽しい。
このあとはそれぞれの付き人らに襟首を掴まれ、各自健やかな就寝をとるよう無理やり連れ去られるのだが(※比喩)
くすり、と笑みをもらしたルピナスは、不思議そうに瞬く姉の視線に気づき、そちらを流し見た。
「何? アイリス」
「んん。楽しそうだな、と……。知らなかったわ。今日って、あんなにちいさな子たちでも参加できたのね。宴の開始前からけっこう、やんちゃだったけれど。毎年?」
「……あぁ、うん。そうそう。年末年始限定で風物詩みたいなものかな。北都なら昔から。ほかの城じゃ、どうかは知らないけど」
記憶を巡らせ、質問に答えながら妙に納得した。飲み終えたグラスはさりげなく通りがかった給仕の青年へと渡す。アイリスの分も。
――――彼女は生まれてこのかた、新年の宴に参加したことがない。
だから、知らないのだ。
一年のなかでも特別な、深夜の甘い飲み物や菓子にお喋り。親の目を盗んで伝統的に行われる、塔のなかをあちこち探検するスリルも。
(なんか……アイリスにとっては去年の夏から全部、まっさらなデビュタントだったんだなぁ)
しみじみと感慨深く眺めていると、とたんに困ったように首を傾げられる。
「ええと。わたくし、おかしなことを言ったかしら」
「大丈夫。平気だよ。それより」
「……うん?」
とろん、と重たげな瞼をしている。
察するに、お子様以上に眠いのかもしれない。酒を飲んだせいもあるだろう。
ルピナスは、ぼんやりと頬に手を当てる姉に、正式にダンスを乞う所作をした。
「姉上。そろそろお休みかと思われますが。せっかくの祝いの夜ですので一曲、私と踊っていただけますか」
でないと、遠い南の城にお住まいの殿下が目くじらを立てるほど、このあと、貴女をダンスに誘いたがる輩でいっぱいになりますから、と。
「まぁ」
びっくりしたように瞳をみひらいたアイリスは、その場にいた誰よりもうつくしく、華やかに微笑んで見せた。
「よろしくてよ。ルピナス様」
くすくす、くすくすと楽しげに笑う花の顔に今宵、病の影はない。
じつはルピナスだけでなく、イゾルデも。列席する北都諸侯らも、皆しあわせそうに見入っている。
じっさい、ルピナスが冗談めかして告げたように、騎士よろしく彼女にぴったりと付き添う自分や手堅いキキョウ・エヴァンスが離れる隙を狙う男は、一人二人ではないのだ。
面白くなさそうな令嬢たちも、居なくはないが――……
(“日傘組”。やっぱ群れてんな。あいつら)
ほっそりとした姉の手をとり、エスコートする傍ら、ちらりとホールの一角に視線を凝らす。
柱よりも手前の場所で、日傘はなくともやたらと目立つ一団がいた。見ようによっては綺麗どころにも映る。着飾った令嬢たちだ。
すぐにキキョウを探してウィンクを送ると、悪友――もとい友人らを引き連れ、一斉に彼女らにダンスを申し込みに行ってくれた。英雄か。
たちまち霧散する、ちくちくと尖った気配に、ほっと息を吐く。
「ほんと。今年こそ、絶対殿下と婚約してね、アイリス」
「さらっと、おそろしいことを言わないでね。ルピナス」
二人そっくりな笑顔で交わす、慶事と凶事の応酬。すれすれのあやうさ。
今年最初の小手調べは、真実の相手が不在なこともあり、勝ちとも負けとも取りづらい。
「踊ろっか」
「はい」
――――――――
やがて一礼。
すべり出す爪先、ホールドを組んだ双子を合図に、楽団は滑らかなワルツを奏で始めた。