43 手を差しのべる者
伯爵以上は上位貴族。子爵以下は下位貴族。とはいえ、各々の当主の才覚と手腕次第で家格とは別の「裕福さ」が決まる。
父は子爵ではあったが、グレアルド商会の幹部を務め、小規模ながら良い荘園も持っていた。ちいさな伯爵ほどの羽振りはあったと、今更ながら思う。
――ロードメリア子爵令嬢。
華やかな夜会で。糖蜜菓子のような茶会で。
目まぐるしく招かれては、そう呼ばれていた。
現在は所領を持たぬ、ただの男爵の妹。家格はかろうじて平民ではないという程度。
おまけに父が犯した罪への償い金のせいで家計は火の車。
そこへ、なおも貴族としての体面を保とうとした、隠居したはずの祖父母が勝手に事業を起こして失敗。多額の負債を抱えてしまう。
新当主となった兄は激怒した。
腐っても貴族。
そのステイタスさえあれば、自分が花街に売られることで一気に返済できるとも聞いたので、勇気を奮って提案してみたのだが。
『馬鹿を言え』
兄は、そんな必要はないとの一点張りだった。
これ以上家名を貶めることはしたくないと。
たしかに、父は違法薬剤で魔力強化した叔父を騎士団に潜り込ませ、長年盗みを働かせた。
調達した違法触媒は、みずからの商用ルートで売りさばいていたのだ。それも理解している。
が、ジオが姪にあたる自分にもおこぼれを流していたことに、家族は誰一人気づかなかった。
処分もままならず、持て余しぎみに隠し持ってはいるが……。
兄は祖父母と絶縁した。
唯一残された財産である本邸で、無気力となった母を説得しながら各方面への信頼回復に日夜奔走している。
妹を安易に売り払ったりしなかったことへは感謝しかないものの、力になれず歯痒くもある。
しかも、売られる以外では唯一役に立てる機会だった、アルバ伯との縁談まで消えてしまった。
先方からの一方的な破棄で、持参金目当てと言われたも同然なタイミングに、知らせを受けたときは二重で屈辱を味わったものだ。
その場での通達。
いわゆる、当主命令だった。
――……すまないポーラ。でも、グレアルド侯爵はお前を下女としてではなく、愛娘のルシエラ殿の専属侍女として召し抱えたいとのことだったから。
(ルシエラ様の侍女。私が??)
招かれた大きな館の玄関前に佇み、ためらいがちに顎を引く。うろうろとしたため、靴の踵がむだに鳴った。階段下から扉の前まで雪は綺麗に掃き出されている。従者もなく、ここまで一人で来たのは初めてだった。
扉にはめ込まれた鏡硝子の装飾に、訪問者の顔がうっすらと映る。
街娘のような地味な出で立ち。所持品は身の回りの荷物を詰めた黒い鞄が一つだけ。
召し使いとまでは言わなくとも。
――――これが、いまの自分。行くしかない。
ごくり、と唾を飲む。
意を決してノッカーを二度、打ち付けた。
子爵令嬢だったころに何度も顔を合わせた執事の対応に、ぎこちない礼をとる。
「ごきげんよう。このたびは侯爵様よりのお声がかり、誠にありがとうございます。ロードメリア男爵が妹、ポーラにございます」
* * *
「いらっしゃい、ポーラ。待ちかねていたのよ。外は寒かったでしょう? さぁ、こちらへ」
「は、はい」
すぐにルシエラの私室に通され、ごく普通に歓待される。
暖かな暖炉前のテーブル席に掛けながら、ポーラは目を白黒させた。
上着はすでに、入室とともにメイドの少女によって恭しく取り下げられている。
てっきり、すぐに侍女長のところに案内されて、お仕着せを支給されるのだと思っていたのに。予想外の流れに疑問が尽きない。
「???」
なかなか腑に落ちない表情のポーラに、ルシエラは天女のように微笑んだ。当然のように正面の席に座り、手ずからティーポットを傾けている。
「あ、あの」
「ねぇ、ポーラ。わたし、たくさんいるお友だちのなかでも貴女だけを『一番』と考えているの。そんな貴女のお家の窮状を、みすみす放っておくと思って?」
「それは……いえ、もったいないことです。今回は、兄からは侯爵様のご厚意により、就職先としてこちらを斡旋していただいたと」
「まあ! いかにも愚直な殿方同士らしいわ。味気ないことね。――さぁどうぞ、温かいうちに召し上がれ」
「ありがとうございます」
いま一つ理解が及ばないが、とりあえず親戚付き合いが長いこともあり、ポーラはおずおずと紅茶のカップを手に取った。
馥郁と漂う香りに目を細める旧友を、ルシエラは包み込むようなまなざしで見守っている。
やがて頃合いを計り、そっと声をかけた。
「――あのね。貴女には侍女というより、普段はわたしの補助や話し相手になってもらいたいの。服装もごく普通の令嬢らしく。ごくごく簡単な身の回りのお世話だけしてもらえたらいいわ。部屋も使用人の棟ではなく、本館の二つ隣に用意させたから。専任のメイドも付けるわ。できるだけ自由に過ごしてちょうだい」
「そんな!? それでは……侍女というのは?」
ぱち、と目を瞬いたポーラが慌ててカップを受け皿に戻す。勢い余って派手に器を鳴らす不作法を、ルシエラはあえて見逃した。
「そうでも言わなければ、貴女にお給金を支払えないもの。ごめんなさいね? 回りくどくって。……お願いよ、ポーラ。夏の一件で、悲しいけれどサジェス殿下との縁談もうやむやになってしまって……。いままで父の仕事を学ぶ傍ら、ずっと寂しかったわ。どうかこれからは貴女の望む限り側にいて。わたしを、支えてほしいの」