40 初めての手紙
各地方貴族の領地概況は北と東、南の三公が定期的に取りまとめをしている。
よって、竜便による王城への奏上は年に三度。四の月、八の月、十二の月。日に定めはない。
とりたてて王の裁可を仰がねばならない緊急事態でもない限り、例外はない。
ないのだが。
「サジェス。お前に文だ。北公イゾルデ殿のご息女から」
「……! はい」
国王執務室の補助机を占拠しての勤務中。
休憩から戻った父・オーディンは心なし、にやにやとしていた。
――……これは、あれだ。ようやく獲物の尻尾を掴んだぞ、と、ほくそ笑む狩猟者の顔に違いない。
(しまった。気取られたな)
内心、小躍りしたいほど嬉しいのをむりやり捩じ伏せて鉄面皮を貫く。
何しろ、アイリスから手紙をもらうのは初めてだった。
隠していたのは、北に入り浸る理由を彼女のせいと思われたくはなかったからなのだが。
サジェスは平静を装い、円柱形の竜便に収めるためにきっちりと巻かれた筒状の文を受けとった。
すると、シャラ、と何かが筒のなかで鳴る。
(!!? まさか。プ レ ゼ ン ト だと!?)
困った。
とにかく開けたい。すぐに確認したいという気持ちが荒ぶり、表情を変えずにいるのに更に苦心する。
「――ありがとうございます。では、俺も少し休憩を」
「おっと。ここでは見んのか?」
「ご覧になりたいのですか?」
「いや別に」
「それは結構」
つん、と。けんもほろろに言い放ったのに、オーディンはほくほく顔を崩さなかった。
例年のこととはいえ、年末の忙しさは各所、時間が足りないほど。
些事に潤いを求める心理は理解できるが、正直、息子の恋路にそれを見いださないで欲しい。
サジェスは立ち上がり、やや残念なものを見るまなざしで、世間では名君と名高い国王陛下を眺める。
背は同じ。目線はほぼ変わりなかった。諦めてため息をこぼす。
「母上には内密に」
「構わんぞ」
――――男子三名、女子一名の母である王妃セネレが、父に輪をかけてこういった話題に飢えているのは容易に想像できる。
が、なし崩しに、アイリスを家族総ぐるみで『押す』のは良くない気がした。
同時に、来年の春は少しでもうちの家族に慣れてもらえるといいんだが…………と、またしても強引に距離を縮めたがっている己に気づき、こっそりと苦笑を漏らす。
(だめだな、年上なのに。落ち着かないと)
逸る気持ちを抑え、サジェスは今度こそ一礼して自室に下がった。
* * *
「降ったねぇ、アイリス」
「積もったわね、ルピナス……!」
北公領の冬空は明るくとも、たいていは雪が降っている。ちらちらと可愛らしいものは“冬の精”。猛然と吹雪くものは“冬将軍”と呼ぶのが習わしだ。
アイリスは新しく仕立てた真冬のあたたかな衣装に身を包み、ルピナスとともに塔の外へと踏み出した。
キキョウと街で買い物をしたのが七日前。
三日前、勇気を出して王城ゆきの竜便に自分の文も入れてもらった。そのちいさな竜が南の空へと駆け飛んだのは、昨日の早朝。
(いまごろ、もうご覧になってるかしら)
そんな気忙しさもあり、居ても立ってもいられなかった昼下がり。「面白いものがあるよ。見に行く?」と、誘ってくれたルピナスには感謝でいっぱいだ。
二人は、真っ白になった庭園を抜けて公邸敷地内の外れへ。兵舎とは反対方向の菜園や薬草園、麦畑があった区画へと手を繋いで移動する。
なんでも、雪に不馴れなひとを一人で歩かせるのは問題外だとか……。
きゅ、きゅ、と新雪を踏みしめながら、アイリスは不思議そうに首を傾げた。
「わたくし、たしかに雪のときに外には出たことはないけれど。れっきとした北の人間よ?」
「わかってる。けど、危なっかしいから」
「うん……?」
弟曰く、いったん日に当たって融けた雪は再び凍るとつるっつるになり、油断すると北方在住人でも簡単に転ぶらしい。
そういうことならば、と納得した。
そうして歩くこと十五分。
「! わあ」
雪の降る前に足を伸ばしたときは、ちいさな林を抜けた先に対岸までは軽く見通せるほどの池があった。そこが――
「? これ、全部凍ってるの? え、待って。やだ。なになに、どうするの??」
「いやぁ。せっかく少し元気になったみたいだし。北の人間として、これは嗜まないとなって……大丈夫。そのまま掴まってて」
「!!? ふぁあっ!?」
ためらうことなく、鏡面のようにしわぶき一つたてず凍りついた池に足を下ろすルピナス。
ブーツの裏は、つるつると滑って心もとない。クスクスと笑うルピナスの腕にしがみつく。
「もう少し、力抜いて。大丈夫、私は一度転んだらコツは掴めた」
「さっき、ふつうの道は転んじゃ危ないからって、言ってくれたくせに」
「それはそれ。ほら、楽しくない?」
「……あっ」
ルピナスが重心を前に傾ける。絶妙なタイミングで足を入れ換える。それだけで、簡単に氷の上を滑っていた。スケート、という単語が遅まきながら浮かぶ。
なるほど、これが――と感心して頷こうとした。すると。
「? ごめんアイリス。待って。誰だ、そこにいる奴は。何をして…………ッ!??」
「――それはそうなんだが。そっちこそ、何してるんだ? 大丈夫なのか、アイリス……うわっ!」
「「!! 殿下、あぶない!」」
注意喚起の声が一言一句、綺麗にかさなる。
けれど、双子の呼びかけは宙を素通りした。
突如、池のほとりに現れた王太子殿下は無防備に足を氷上に乗せて転び、豪快に尻餅をついていた。