4 吉報か否か
「え? 茶会……。わたくしに、ですか?」
「えぇ。あなたによ、アイリス」
ひらり、と目線の高さで招待状を閃かせられ、アイリスは不思議そうに問い返した。
自分宛のはずだが、未成年ということで中身は検分済みなのだろう。ロウの外れた、しっかりした封書が母の人差し指と中指の間に挟まれている。
差出人の名前は、ここからでは見えない。
そもそも誘いを受ける相手に心当たりがないため、ごく素直に首を傾げる。
「どちらで?」
「エヴァンス伯爵邸よ。館を改装したのですって」
「あぁ……なるほど。伯爵夫人ですね? 良かったです。見知らぬ同世代のかたからだったら、どうしようかと」
アイリスは嘆息し、しみじみと呟いた。
エヴァンス伯爵夫人が、古くなった館を改装しているのは知っていた。
彼女は独身時代から母と仲が良く、自身には娘がいないからと、よく気にかけてくれている。
その伝でテーブルマナーの教師になってもらったりしたのだから、アイリスにとっては優しく、気安いおばのような存在だ。
――ならば、招待客はいつも通り自分だけに違いない。
そう、根拠のない希望を抱いた瞬間、母であるイゾルデ・ジェイド公爵は書面を確認することなく、すらすらと内容をそらんじた。
(……)
おとなしく耳を傾けていると、自分だけではない幾つもの名が連ねられる。一、二、三……五名を過ぎてからは数えなかった。
イゾルデは、娘がみるみるうちに心細い顔になるのを頓着せず、締めの文末に至った。
「『以上、うるわしき令嬢がたには、ぜひ親睦を深めていただきたく。お気軽に我が館にお越しを願います』」
「えぇえっ!?」
アイリスは見事に固まった。
* * *
雨が止んだ翌日、また起き上がれるようになったため、朝食のあと庭を散歩していた。
影が短くなる前に塔に戻ろうとしたところを母の侍女に見つかり、そのまま母の館の一室まで連れて来られている。
ちなみに、問答無用で普段着のワンピースを剥かれ、あらわになった肌に次々とあたらしいドレスを当てられていた。なので、下手に動くことも逃げることもできない。
諦めてため息をつく。
同年代の貴族子女がつどう華やかな場は苦手だ。しかも、見ず知らずの面々のなかのひとりぼっち。できれば行きたくはない。
「母上。わたくし、そういったものにはあまり興味が」
「そうね。知ってるわ。あ、待って。その淡い緑のオーガンジーは試着させてみて」
「畏まりました」
「母上!」
――無視。じつに綺麗に流された。
イゾルデは、おそろしく他人の意見に耳を貸さないときがある。かつ、必要な説明すら省く気の短さがあるので、アイリスはしばし考え込んでしまった。
なぜだろう。今までは、むりに社交を強いられることもなかったのに。
「……これ、デビュタント用に仕立てたものの一着ですね? どちらかと言えば日中の訪問着のようですが」
「そう。まさに茶会用よ。ん、やっぱり似合うわね。いいわ。エヴァンス邸はこれで行きましょう」
「!? 決定事項ですか! 拒否権は?」
ぎょっと瞳をみひらくと、イゾルデは何でもないことのように流し目をくれる。
「なにを馬鹿なことを。ありません。いくらなんでも、そろそろ次期公爵の姉くらいの気概は持たないと。近頃、体調は良いのでしょう? 顔色は悪くないわ」
さすが母親。そうしょっちゅう顔を合わせるわけでもないのに、よく見ている。
が、好きこのんで気の張る場所になど赴きたくはない。
アイリスは、じり、と顎を引いて上目遣いに抗議してみた。
「気概もなにも……事実です。家名に恥じぬ振る舞いを、公式の場では心がけておりますわ。けれど、私的な機会まで、わたくしには」
「言葉を変えましょうか。あなたの体質上、さほど精力的な社交も、ましてや武芸も望めはしない。そうでしょう?」
「はい」
そっくり同じ。
藍色の豊かな髪に、夜色のぬばたまの瞳。
印象だけは正反対の一対の母娘が無言で見つめあった。
目じりにやや皺のあるイゾルデが、す、と声を低める。
「口答えは無し。決定事項です。招待客の一覧が載っていたから、あとで目を通しておくように。せめて、どの令嬢がルピナスの妻にふさわしいか、品定めするくらいの気合いでね」
「はぁ……」
なんだ、そっちか、と合点の行ったアイリスは、母親に向けて慎ましく淑女の礼をとった。
弟のためと言われれば、動かざるを得ない。足りぬ身ではあるが、精一杯情報収集に努めようかとも思える。
「努力します」
「よろしい。返事は……そうね。今日はキキョウ殿が午後から公邸警備に当たるはず。昼までは体を休めて、身なりを整えてから迎賓館においでなさい。迎えを寄越します」
「迎賓館?」
ぱち、と瞬くと同時に鸚鵡返しとなる。
たしかに、エヴァンス伯爵子息のキキョウならば、茶会の返事を預ける相手にちょうどいい。
公務ということは、誰か要人の警護だろうか……
そう考えて顔を上げた娘に、母公爵は呆れたように息を吐いた。
「此度のサジェス殿下の行幸は、あくまでも国王陛下の代理視察。午後からは迎賓館のサロンで会談を行います。キキョウ殿は、殿下のお付き添いよ」
「まぁ。そうだったのですね。わかりました」
「「……」」
にこり、と、どこまでも可憐に微笑むアイリスには、あらゆる意味で成人の儀も求婚も早すぎるような。
イゾルデは腹心の侍女と意思疎通の目配せを交わし、微妙な苦笑をたたえた。