38 複雑な気持ち
十の月に一大決心をしてからというもの、はや二ヶ月。暦は十二の月半ばに差しかかろとしている。
「さ、全部に目を通しておきなさい。お断りするにしたって、あなたたちに何も知らせないわけにはいかないから」
「えっ……」
「大変だね、アイリス。もてもてだ」
「茶化さないのよ、ルピナス。あなた宛てのもあるわ」
「! ええぇっ!?」
傍らでルピナスがすっとんきょうな声をあげるなか、アイリスは、しきりに戸惑っていた。
* * *
早朝、この二ヶ月の間に日課にしていた軽い運動をこなすため、霜の降りた庭を散策していたところだった。
有無を言わさず母の侍女に見つかり、本邸に連れ込まれ、久しぶりに母と弟の三名で朝食を囲むよう言い渡される。
――そのときは、まぁ、母もそんな気分のときがあるのかな、ぐらいに考えていた。
同じく朝の剣稽古をむりやり切り上げさせられたルピナスもやって来て、「おはよう」と挨拶を交わす。間髪を入れず、女騎士装束のイゾルデが入室。
まるで会議室のような趣をたたえる食堂で、しずしずと給仕のために使用人たちが出入りするなか、食事は、ごくふつうに進められた。
が、双子が各自適量の食事を終えて、給仕長から食後茶を淹れられていたとき。
ぱちん、と暖炉の薪がはぜ、同じく食後のコーヒーを飲み始めたばかりだったイゾルデが、硬質な音をたてて器を受け皿に戻した。
「そろそろかしら。運んでちょうだい」
「はっ」
「「?」」
側で控えていた家令が応え、合図を受けたメイドがワゴンを押しながら恭しく入室する。
銀色のワゴンにはデザートではなく、封書の山が乗っていた。平積みで三つに分けられ、几帳面に茶色の紐で括られている。
色や大きさきに多少のばらつきはあれど、手紙か何かの招待状には違いないそれらを、ひたすら怪訝そうに見守る双子。
三つの束は容赦なく、二人の目の前にそっと置かれた。
――そんな、くだりがあった。
以降、二人は地道にペーパーナイフで開封しては中身を確認という単純作業に追われている。
イゾルデは手を貸さない。優雅にカップを傾けている。
ルピナスは、ちらりと目線を上げた。
「母上は目を通されないのですか」
「見るけど、あとでね。それは、この五日間で各家の当主が私に直接手渡しに来たものだから。だいたいわかるのよ」
「はぁ」
不満げなルピナスが、手さばきだけは淡々と作業に戻る。
かたや、アイリスは未だ事態を信じられず、たびたび驚いては手を止めていた。
「見て。このかた、わたくしにもルピナスにもお声をかけておいでだわ」
「どれ? ……あー、レアンドロー伯爵。あのひと、夜会でも馴れ馴れしかったからなぁ。パス」
「じゃあ、こっちは? 『我が家には娘が六人おります。ぜひ、ルピナス殿にはお日柄の良いとき、いちど茶会にお越しいただきたく』って」
「六。うわー……」
(※余談だが、手紙の送り主であるワイズメル侯爵は昔、家を出奔してやり手の冒険者として名を馳せており、魔獣駆除を専任とする民間組合とも太い繋がりを持つ。現在は公営で魔獣素材を専門に扱う商会主であり、優れた商才と、なぜか本人の意思に反して恋多き男性としても有名だった)
なお、六名の内訳は、前妻といまの妻との子に加え、妻の連れ子を含む。上は十九歳から下は七歳まで。もしも実際に茶会に招かれるとすれば、なかなかの大迫力だった。
げんなりとルピナスがうなだれる。
「……パスで。あの御仁、ちょっと苦手なんだ。騎士団にも品は卸しに来てるし、悪いひとじゃないんだけど」
「そうなの……うん。なんだか、わかる気がするわ」
呆然と口を開けたまま固まっていたルピナスが、ふと我に返り、ふるふると首を横に振る。
何となく、そうだろうなぁと同情のまなざしで納得しかけたアイリスは、冒頭に言われたことを思い出し、憤慨したように唇を尖らせた。
「ねぇ。わたくしには、あなたのほうが、よほどもてもてに見えるわ」
「冗談。どの文面も、内容の真剣さはアイリス宛てが断然勝る。さりげなく騎士団の先輩も混じってるし……気まずいなぁ。今度会ったとき、どうすりゃいいんだ」
「温いことを。どうもしないわ。向こうだって駄目元ということもあるでしょう」
「――母上」
カタン、と椅子をずらしたイゾルデが立ち上がり、懐中時計を確認する。それから、すたすたと出口へと向かった。コーヒーはすでに空だった。
「私は視察があるからこれで。あなたたちは、それを全てリストアップしておきなさい。わかりやすくね」
「はい……」
「わかりました、母上」
なかば放心状態で応える娘と、一見冷静な息子。
イゾルデは、ふっと頬を緩める。
細身ながらまさに将軍の貫禄で横を通りすぎ、家令が開けた扉に差しかかったとき、肩越しに振り返った。
「そうそう。その手の書面はこれからも当分続くわよ。二人とも、まだ婚約するつもりがないならさっさと慣れなさい」
「!」
――たしかに。
アイリスは思わずぎょっとした。
いっぽう、ルピナスはしれっと手を動かしつつ、視線を逸らして「はいはい」と応じている。
ぱたん、と扉は閉じられ、給仕長からは優しさや激励の表れらしい、小ぶりなプディングが差し入れられた。