37 きら星の双子
ゼローナ北部における社交のピークは初夏から秋まで。
――が、北都周辺に領地を構える中~高位貴族や財ある商会主ともなれば、よほどの豪雪や荒天で往路を閉ざされない限り、定期的に夜会を催す。
その主旨は、だいたいが近隣の実力者らによるアピールや会合、情報交換。
ゆえに、はっきりとした利害関係が現れやすい。
そういった意味では、秋以降の夜会は場数をこなした『大人』向けだ。
積極的に人脈を得たい若年層やデビュタントを終えたばかりの新人がちょくちょく混ざることは否めないが。
反面、単に無聊を慰めたいたぐいの貴婦人や遊びたいだけの紳士が一定数を占めるのは確実。
なので。
「アイリス嬢、いいですか? 私やルピナス殿の側から離れませんように。とくに、やたらと接触をはかってくる輩は要注意です。おそらく群がってくるでしょうが」
「殿方への注意事項ですね。わかりました。高齢のかたでも?」
おっとりと、無邪気に。
素直に頷いてから問うアイリスに、キキョウは渋そうな顔をした。
「いわゆる特定年齢層への偏愛嗜好者かもしれませんし。却下で」
「では、女のかたは?」
「それはもちろ………………え?」
勢い、首肯しようとしたキキョウが思わず聞き返す。
アイリスは、ぽっ、と頬を染めた。
「わたくし、同年代の令嬢と会話をできたことがないんです。だから、春までに練習がしたくて。気の合うお友だちも見つけられたら良いのですけど」
「えっ」
「今さらこんなこと。すみません」
「――……さっきから、何言ってんの。二人とも」
「あ」
「ルピナス」
――――――――
暦は十一の月。夜の外気温はぐんと冷える。
夕暮れ時のレイウォール伯爵邸の門をくぐり、集まる箱馬車の一つから降りた三名は、すぐに注目の的となった。
石像の美女を中心に据えた円い噴水を背景に、一番先に降りたルピナスが片手を腰に当て、タラップを降りるアイリスと、彼女に手を貸すキキョウを見上げている。
やがて、不機嫌そうに嘆息した。
「どいてください、キキョウ殿。おいで、アイリス」
「? はい」
均整のとれた体つき。公子然としたマントから差し出される、白い手袋。青に銀糸の刺繍を施した膝丈の騎士服は、中性的な容姿のルピナスにとても似合っていた。
かたや、同じ色合いのドレスにつややかな白貂の毛皮の肩掛け。同じ風合いの縁取りを施した装いのアイリスは、まるで冬の夜空の星のよう。
連れ立つ二人に、周囲からは、ほう……と溜め息が漏れる。感嘆のまなざしが注がれた。
二人の身長差は、まださほどない。男女の違いはさておき、本当に似通っている。
深い藍色の髪に凛と整った鼻梁。薄く形のよい唇に神秘的な黒い瞳。
見るものをとらえる魅力に溢れる、うるわしい一対だ。
みなが自然と道を開けるなか、キキョウは双子の騎士よろしく付き従った。すると。
(――みて、アイリス嬢よ!)
(――ご病気がちと伺ったが。大丈夫なのかねぇ。デビュタントでも倒れられたそうじゃないか)
(――ルピナス様、素敵だわ。どなたか、決まったかたはいらっしゃるのかしら)
(――エヴァンス家は安泰だな、羨ましい)
等々。
ところどころが聞き取れるさざめきは止まることを知らず、おそらく言われ放題。
アイリスは血の気が下がり、背がぴりりとするのを感じた。ひとの、剥き出しの興味関心がこうも無遠慮に刺さるものとは思わなかった。
つい、視線は下に。ぐっ、と弟の手に添えた指に力がこもる。
(……)
ルピナスは、姉の指をやさしく握り返した。前を向いてゆっくりと歩く。そのまま、ひそ、と、アイリスだけに届く声量で囁いた。
「落ち着いて。私も、キキョウ殿もいる。今夜はレイウォール家の当主夫妻に挨拶をして、二十歳くらいの令息とちょっと話をして。必要なら、帰る前にダンスぐらいしてやってもいい。だから笑って? アイリス」
「ルピナス。でも」
「できるだろう? 『笑顔は淑女の嗜み』だって、母上は言ってた。あのひと自身は愛想笑いとかしないくせに」
「! で……、できるわ」
とたんに、覚束なかった足元に力が戻る。表情が引き締まった。母が及ぼす精神的な効果は絶大だ。
すう、と深呼吸。
わずかに目を伏せ、一瞬の瞑目。ぱち、とひらく。控えめに微笑を湛える。
困ったことに、すれ違うひと全員と目が合ってしまうので、アイリスは昔、エヴァンス夫人から習った通り、流れるような足どりと柔らかなまなざしを心がけた。
ひたすら優雅に、慈愛あふれる聖母のイメージで。
すると、それだけで好意的な空気が増した。(※気がする)
胸は相変わらず、ばくばくと緊張著しいのだが。
心許なさを打ち消すため、アイリスはつんつん、と弟の袖を引っ張り、こっそりと耳打ちした。
「どう? こんな感じ? できてる?」
「…………うん。初めての他所での夜会にしちゃ、上出来だと思うよ」
自信持って、と返され、互いに目配せし合う。愛らしく笑う。
その姿に、貴婦人がたや紳士連中の大半はお喋りをやめ、見とれるようにぼうっとしていた。
(なるほど)
守護者の立ち位置でそれらを見つめる。キキョウは、すとん、と理解した。
侮られまい、害されまいと心に鎧をまとう。それもまた手段の一つではあるだろう。
が、この二人に関して言えば、『それ』だけということは決してない。
資質がある。容姿という武器もある。
公爵家という後ろ楯も。北部全域をゆるやかに統括する、事実上君臨するイゾルデの存在も。
――魅了、すれば良いのだ。
* * *
この夜を境に、少しずつアイリスを軽んじる貴族は減ってゆき、当然というべきか、茶会の誘いや夜会の招待状、遠回しな婚約打診は増えていった。