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35 精一杯の嘘

 どこまでも高く澄んだ秋の空に、石畳を蹴る馬蹄の音が力強く響く。近づく。


「誰だ、止ま――」

「! 待て。あれは」


 二騎。どちらも駿馬で片方が青毛。片方が栗毛。たっぷりと上質な布地を使った黒っぽいマントが風を受けて流れる。

 速度を落とした彼らは並足からゆるゆると(とど)まり、その場で馬を足踏みさせると、鞍から降りることなく門衛に声をかけた。


「驚かせてすまない。こちらの殿下(かた)の気が()いて」

「うるさいな。……ということで、通してもらえるだろうか。予定より早くリランツェールの視察を終えた。先触れを手配する間が惜しかったんだ」


「はっ、はい! どうぞ」

「つつがないお戻りをお慶び申し上げます、殿下。街の者がもっとも行き交う時間帯でもありますので、路上ではお気を付けて」


「あぁ」


 馬上の王太子サジェスはにこり、と笑むと、お忍びのような気軽さでおろしていたフードを再び被った。供の副官もそれに倣う。

 二騎は、今度はごくふつうの歩調で街へ。真っ直ぐに旧アクアジェイル城の尖塔群の目立つ公邸へと向かった。


 北都の外門の一つを守る兵らは、しばらくの間、呆気にとられながらその背を見守った。

 彼らがこの東門を発ったのは昨日の夜明け。予定では、帰還は明日の夕刻のはずなのだ。


 ――――王家の能力(ギフト)“転移”を使わずとも、サジェス王太子殿下は神出鬼没であらせられる。


 何食わぬ顔で対応した古参の門衛を筆頭に、生温い微笑みを浮かべた中堅層の兵士は、みな、一様に納得していた。


(((多分、うちの姫様目当てなんだろうな……)))


 広く兵卒にまで知れ渡る王太子の執心っぷりは、当のアイリスのしょっぱい対応を含め、北方騎士団および軍部では長年、ほのぼのとした見ものになっている。――いったい、いつになったらお祝いさせてくれるのかと。


「さ、全員持ち場に戻れ。公爵様への知らせは……無理だな。殿下のほうが早い」


 パンパン、と、弛緩した空気を払うように場の責任者が手が叩く。

 方々で返事が上がり、同じように固まっていた通行人たちもまた、夢から醒めたような面持ちで歩き出した。


 各自、よい現場に出くわしたと、やがてほくほく顔で門をくぐった。




   *   *   *




「! えぇっ、サジェス殿下が? 早いわ。だってまだ……」

「『まだ』何? アイリス」


「!!!! 殿下」



 ルピナスの言ではないが、こんなに千客万来な日は初めてだった。先ほどようやく弟とキキョウへの話を終えて送り出したアイリスは、慌てて立ち上がる。

(どうしよう。いえ、お伝えすべきことは決まってるけれど…………わ、わたくしの心の準備が!?)


 そうこうするうち、勝手に侍女を下がらせてしまったサジェスが旅装も解かず、手袋を外しながらつかつかと部屋に立ち入る。

 なんと、声を上げる隙もなく抱きすくめられてしまった。


「あ、あの」


 息苦しくなる一歩手前の絶妙な力加減。

 アイリスはもぞもぞと何事か言えないか試みるが、顔を上げるだけで精一杯。しかも、目が合って軽く後悔した。


 ――近い。というか、ゼロ距離。


 口づけはされなかったものの、何というか、ものすごく大事なものを久しぶりに見たと言わんばかりに、まじまじ眺められている。

 左手は容赦なく腰をとらえて密着状態。肩を抱き寄せていた右手は離れたかに見せかけて、ゆっくり頬と耳元に添えられた。長い指がするり、と襟足から髪を()き、また戻ってくる。

(!??)

 反射でぞくりとする。どきどきして、鼓動が筒抜けなのではと心配になった。


 が、とりあえず。


「おつかれ……さまです、殿下。お仕事は?」

「終わらせた。君に会いたくて。アイリス」

「え」


 なんともストレートな発言に加え、溜め息まで吐かれ、切なそうに眉がひそめられている。

 あまりの色っぽさに見ていられなくて目を泳がせると、「見て」と視線までとらえられた。

 甘く、熱っぽく囁かれてしまう。


「前の、続きだ。ジェイド家の意向も、それは大切だろう。君は慎重なひとだから。でも、君の気持ちは? 俺を嫌い?」

「き…………きらいな、わけ、ありません」

「じゃあ、好きだと受け取っていい?」


 ばくん! と、ことさら心臓が跳ねる。

 なぜか、今日のサジェスからは一片の言い逃れも許されぬ、鬼気迫るものを感じた。それに乗じて。


 (すきです)と、とっさに紡ぎそうになる唇を閉じ、懸命に別の言葉へとすり替える。

 もう、自分がどんな顔をしているのかもわからない。

 瞳になけなしの意志を込める。声は、かろうじて震えずに出せた。


「そこを飛躍なさらないでください。殿下のことは、……いずれ仕えるかたとしてお慕いしています。尊敬を」

「――俺は、君でなくてはと言った。君は?」

「あ、やっ、あの…………殿下!?」

「正直に言わないと大変なことになるよ」



(~~、『大変』って何!??)



 サジェスの紫の瞳があやしさを帯びて、危険極まりない気がした。親指が、すっとずれて唇に触れる。寄せられる顔に息が止まった。


「わ、わかりました! 言います。言いますから、どうかもっと、()()()()お話をさせてください……ッ!?」

「俺はこのままでも」

「だめです。このままでは、わたくしの寿命が縮みます」

「む。わかった」


 目を細めたサジェスはいかにも真面目くさった顔で了解し、息が切れたアイリスを解放した。抜かりなく背を支えて二人掛けのソファーへと誘導する。

 そのまま隣にすとん、と腰を下ろすと彼女の手をとり、まなざしだけは和らげて言葉を待つ姿勢になった。



 ――――今度はアイリスが吐息する番。

 空いている手で胸を押さえながら、わずかな逡巡。やがて、意を決して告げた。


「殿下のことは…………お慕いしています。けれど、妃にはどうか別のかたを」


 なぜ、と、あまり表情を変えないサジェスが問う。

 アイリスは、さっきまでとは違う緊張をひしひしと感じた。


 自覚がある。これは、きっとどうしようもない嘘で本心。本当は――



「殿下のお優しさで、もったいないお言葉をたくさん賜りました。贈り物も。とても嬉しかったです。…………ですから、わたくし、殿下以外のかたには嫁ぎません」

「アイリス」


「誓って。生涯、貴方からいただけた時間だけを宝に、過ごしてゆけます」



 こぼれた嘘に、胸が痛い。

 織り混ぜた真実で目が眩みそう。


 ふわり、と笑んで告げる。

 どうか、これからはルピナスの姉として。友人の一人として接していただけますように、と。


 泣いたりはしない。けれど――……。


 残念なことに少しだけ手が汗ばみ、声が震えた。





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― 新着の感想 ―
[良い点] サジェスだけかと思っていたら、アイリスもおニブさんだった……つくづくお似合いのカップルだ。 体調面と将来問題になるであろう世継ぎを気にして固辞しているつもりのようだが、『好きです・愛してい…
[一言] んもおおおおおおおおおおん!!!!(悶)
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