34 追う王太子、逃げるトカゲ
なんだ、そっちか……な追いかけっこで、本当にすみません!
あたらしく王太子直轄領となったのは、リランツェールという谷あいの大きな村落だった。アクアジェイルの東へ騎馬で走ること半日ほど。北部では比較的よく見られる、集落と村民の協同農園がセットになったような長閑な場所だ。
ざっと見て回ったところ、どの家屋も古びてちいさいが、慎ましく暮らすには不足のない環境。
敷地面積の大半を麦畑が占め、各家に付随するかたちで小菜園が営まれている。ほか、鶏や山羊、牛などの家畜。共同の水場も清潔に保たれて、管理の行き届いた良い荘園といえた。
人口は二百程度。
旧子爵家にとっては主な税収地だったはずなので、降格した現在のロードメリア男爵家には手痛い減収だろう。
(さて、親玉はどう出るか)
親玉と目すべきはグレアルド商会。ひいては、グレアルド侯爵そのひと。
子飼いの貴族の不始末としらを切っていたが、本来、知らぬ存ぜぬでは通らない。
なにしろ、例の魔薬被害は近衛騎士団内部でも見られたのだ。
近衛は王家を守護するエリート騎士団だが、教養や礼儀作法、家柄以外にも剣術や魔法といった実力重視な側面がある。
昨今、急に魔力値の著しい若い騎士が入団するようになり、注目を集めていた。
ところが、彼らの共通点は制御がてんで下手くそなこと。いくら訓練を積んでも身に付かず、上官も頭を悩ませるばかり――おまけに、そこそこ富裕層の出だったりする。
そんな報告が相次いでおり、秘密裏に調べたところ、あやしげな路地裏で違法薬剤を扱う店が数件、摘発された。(※サジェス担当)
「絶対、今ごろ動いてるはずなんだがな……」
「殿下? なにか」
「いや、こっちのことだ」
ロードメリアが管理を任せていた村長の家系は、グレアルド一門と何ら関係のない、元々のリランツェールの民だった。その確認がとれただけでも良し。
無事に村長の館で各種書類名義の書き換えを終えたサジェスは、ふー……と、細く吐息した。
数時間前、厳つい副官一人を供にゼローナの王太子が来たとあって、村人総出の祭りにされてしまいそうだったが「すまない、急ぎなので」と回避した。
今ごろ、泡を食っていた村長は落ち着きを取り戻し、ロードメリアの失脚と、ここが王太子直轄領となる件を男衆寄合で説明してくれているはず。
時計は夕方五時。窓の外は薄暮がにじみ、茜色の雲がたなびく。一泊はせざるを得ない案配だった。
(どう見ても、怒ってたな……)
塔で別れたきりのアイリスが気になって仕方ないサジェスは、とにかくさっさと戻りたい。それを見越したかのように大柄な副官が先手を打つ。
「いけませんよ、殿下。北都に翔んでいかれては」
「わかってる。……というか、なぜわかるんだ??」
「殿下が幼い頃より、存じ上げておりますので」
「あぁそう」
げんなりと頬杖をついてそっぽを向く。
父王の人選の的確さを、いやになるほど思い知る。
サジェスの性格上、生来の自分をよく知る人間というのは無視しづらい。長年の剣の師でもあるこの男を仮の任地に残して、自分だけが彼女の元へ……とは、さすがに思えなかった。
たとえ、一瞬でも。
すっかり心ここにあらずになった王太子に、熊めいた副官が眉尻を下げる。
「――ご心配なさらずとも、新規代官の選出は、とくに必要なくなりました。明朝に発てば、昼すぎにはアクアジェイルの公邸に戻れるでしょう。日程としては万々歳です」
「くそっ。そのまま、せめて春まで居座りたい」
「だめですよ。国中の令嬢がたを集める一斉茶会と夜会もあるのでしょう? 陛下が仰ったように、遅くとも年内には帰らなければ」
「……言うなよ、それを……」
やれやれと肩を下ろし、冷めてしまったお茶を飲む。
まなざしは遠く、日の沈む北都の方角へと向けられていた。
* * *
“今ごろ動いてるはず”
一手を打ったサジェスに、そう言い切られていたグレアルド家では、たしかに変化があった。
が、それは違法触媒の流通先を外つ国に変えられないか目論む侯爵というよりは、いかにも慈善めいた微笑で父に『提案』を持ちかける、一人娘のルシエラにあった。
「ねぇお父様。ロードメリア家の困窮は大変なのでしょう? 何とか、お力になれないかしら」
「ううむ……。一等の領地を剥奪されたうえ、多額の罰金もあったからね。ご子息も嘆いておられたよ。妹の縁談が潰れたと」
侯爵は、いちおうは同情めいた顔を作った。
実情は伏せてあるが、今回の一連の処置は、いわゆるトカゲの尻尾切りだ。
商会の利はほとんどが穀物の流通にあるとはいえ、元手がゼロだった触媒の旨味も捨てがたい。本音としては、安定した入手ルートを再び築ければ……というところだった。
ルシエラは、ただただ可憐に言い募った。
「アルバ伯ですわね。聞きましたわ。それでね、私、考えたのですけど」
「――うん?」
夏から秋にかけて着実に商売の段取りを覚えたルシエラは、侯爵にとって無視しがたい発言力を持つ。少なくとも、以前ほどぞんざいには扱えない。
父の執務室で、もはや助手のように振る舞う娘は、以前と変わりなく小首を傾げた。
「そのポーラですが……。大事なお友達なのよ。私の専属侍女として、グレアルド家で雇えないかしら? そうしたらお給金も支払えるし。ロードメリアの新当主も、ご心配が一つ減ることと思いますわ」




