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30 私人として、公人として

 ――どうして。

 なぜ、キキョウがそこまで献身してくれるのかわからない。彼が貴重な、友人のような存在であることを差し引いても。


 心当たりがあるとすれば、彼がエヴァンス家の人間ということぐらいだろうか。彼らは、ともすれば王家よりも北公家への忠義心のほうが篤い。


 とはいえ、エヴァンス家がジェイド家の筆頭家臣だったのは遠い昔。まだ、アクアジェイルが「北都」ではなく「公都」と呼ばれていたころのことだ。もう五百有余年は経っているのだが……




 アイリスはキキョウが去ったあと、侍女が用意してくれた水盤に右手を浸し、小言を聞き流しながらも、ぼうっとしていた。そこへ。


「……様。アイリスお嬢様?」

「! あっ、はい。何?」


 ぱっと顔を上げると、古参の侍女が心配そうにこちらを窺っていた。

 「お加減が良くなければお医者様を」と神妙に申し出られ、熟考するまでもなく首を横に振る。


「平気よ、ありがとう」

「そうですか? では……。キキョウ様のお手当てが適切でようございました。火傷は痕になっていませんし。痛みがなければ、私はこれで」

「ええ」


 重たげな金属の水盤を抱え、侍女はお行儀よく扉を閉めて出ていった。




 しん、と、再びの一人。




 ソファーの肘掛けにもたれ、雨が滝のように流れ落ちる窓を見遣る。

 出てくるのは溜め息ばかり。こんなの、誰にも聞かせられない。


(殿下のために、キキョウ様のご厚意に甘える…………なんだろう。これはこれで、すごく筋違いな気が)



 なにしろ(キキョウ)は騎士団若手の出世株で、家柄は由緒正しい伯爵家。エヴァンス家の歴代当主は何代も侯爵に叙されるような働きをしているのに、そのたび丁重に辞退している。

 王都と北都を結ぶ峠の関所をいただく領地は難所だが、地の利を生かした経営は柔軟かつ堅実。経済力を含めた勢いでいえば、凡庸な侯爵家など遠く及ばない。実質、その経歴から辺境伯家に等しく、国王陛下の覚えもめでたい高位貴族の一人息子となれば。


「ふつう、引く手数多(あまた)よね? キキョウ様、恋人やお好きなかたはいらっしゃらないのかしら。たとえ『ふり』でも」


(――――!)

 はっとする。

 しまった。

 それこそを訊かねばならなかったのに。


 立ち上がり、窓際まで歩いてコツン、と、硝子(ガラス)に額を当てる。

 戒めのつもりだったのに、前髪越しの冷気はほんのりと気持ちいい。そういえば熱っぽかったっけ、と苦笑した。


 嵐はいっこうに止まず、庭園の木々は激しく揺れている。こんななか、何でもない顔で外套を被り、出て行ってしまうなんて。


 “――今日一日、休暇返上で殿下に供を命じられました”と、爽やかに笑っていたが。


「基本的に、おひとが良すぎるのよね……やっぱり」


 甘えるわけにはいかないな、と目を瞑り、声なく呟いた。




   *   *   *




「遅い。どこに行っていた。先方はもう着いてるぞ」

「申し訳ありません。たまたま、うるわしいかたが怪我をされたところに居合わせまして、治療を」


 王族滞在用の建築物・護りの塔のエントランスでは、すでに準備を整えたサジェスが手袋をはめながら待っていた。

 が、キキョウの(げん)にいち早く反応する。


「アイリスか」

「ほかに誰が?」


「!! お前、朝からしゃあしゃあと……。人でなしにも程があるな!? 俺が、陛下やイゾルデ殿から振られた公務優先で彼女と過ごせないのをいいことに」

「それは、お気の毒さまでした」


 悪びれずに肩をすくめる旧知の騎士に、サジェスは、むっとする。紅茶での軽い火傷と聞いて、若干吐息した。


「とりあえず、子爵に沙汰を言い渡すのは謁見の間だ。彼女はあとで見舞う。――よろしく頼む」

「は」


 側付きの侍従らが礼で見送るなか、二人は外へと続く階段を降りていった。()()()()()()()()()()()()外套をまとうキキョウはサジェスの頭上に目を凝らし、宙に手を閃かせる。


 とたんに、きん、と空気が張る気配。

 二人を不可視の障壁が囲い込み、軒下から出て庭園に降りても雨に当たることはない。遮られている。


 便利だよなぁ、とサジェスはこぼした。


「すまんな。“転移”で翔べば一瞬なんだが」

「やめてください。仕える者がドン引きしますし、何より周囲の気が休まりません」

「『ゼローナ王族規範』だな。よく調べてる」

「恐れ入ります」



 軽口の応酬で、あっという間に公爵の謁見の間へ。

 大公時代の名残で、ここは完全に小国家の盟主だったジェイド家の性格を色濃く残している。“舞踏の塔”よりは厳格な印象の青みのつよいアクア輝石が床と壁に用いられ、赤い絨毯と壇上の椅子、白っぽい光を放つ銀の燭台が古めかしくも様式美に溢れている。


 すでに壇の下で控えていたイゾルデは「お疲れ様です、殿下」と労い、ちらりとキキョウを流し見た。


「護衛に?」

「一応。虚栄心の強い輩なら、言い渡す内容次第でやぶれかぶれになりかねませんから」


 言い切られ、本日は騎士服に近い装いのイゾルデが丈長の上衣をめくり、腰の剣を示す。


「――僭越ながら私も。部下も動けます。有事には、すみやかに殿下をお守り申し上げますが」

「いや。俺は、へたな刃や攻撃魔法は喰らわない。貴女や、優秀な部下たちを巻き添えにしたくないんだ。そのための力があるなら使うべきだろう。たとえ、本人が非番でも」


「…………なるほど?」


 そういうことでしたら、と優美な仕草で柄頭から手を離したイゾルデは艶然と微笑んだ。

 振り返り、扉横に立つ兵にぴしり、と声をかける。


「ロードメリア子爵と、弟のジオ・ロードメリアをこれに。王太子殿下より直々の沙汰を頂戴します」





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[一言] サジェスイライラでワロタwww
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