29 騎士の提案
アイリスは驚き、穴が空くほどまじまじとキキョウを見つめた。
その、ちいさな顔に整った配置の大きな夜色の瞳。たおやかな印象の濃い、長い睫毛の影。わずかにひらかれた唇に記憶が勝手に刺激され、耐えられなくなったキキョウが目を伏せる。若干、頬が赤い。
「おれ……。いえ、私ごときでは貴女の力になれないかも知れませんが」
「い、いいえ? そんなっ」
いつになく繊細な空気を醸すキキョウに慣れず、アイリスがやや身を乗り出す。すると、その拍子に自分のカップを向こう側に倒してしまった。戻そうとした右手が淹れたての紅茶を被ってしまう。「熱っ」
「!! 大丈夫ですか」
素早く席を立ったキキョウがテーブルを回り込み、失礼、と傍らで片膝をついた。すぐにアイリスの右手をとる。
目を瞑り、火傷には触れないよう細心の注意で手首を引き寄せ、反対側の指先に魔力を集中させているようだった。それを患部に当てる。びく、とアイリスの背が震えた。
「……っ」
「ちょっと辛抱してくださいね。私は氷属性魔法が得意ではなくて。でも、冷やすくらいなら」
――すると言葉通り、ひりひりとした痛みが引き、指の部分だけが気持ちよい冷たさに包まれた。アイリスは不思議そうに首を傾げる。
「キキョウ様。これは?」
「アイリス嬢の指に氷程度の冷気を宿し、五分くらいでほどける障壁で囲いました。応急処置です。あとで、必ず侍女のかたに水で冷やしてもらってください」
「すごい……、凄いですね。ありがとうございます」
感嘆のまなざしと溜め息。きらきらと輝く表情で礼を伝えられ、キキョウは困ったようにはにかんだ。
「――どういたしまして。ところで、殿下をお好きなのでしたっけ」
「は…………あっ、いいえ」
「いま、『はい』と仰いましたよね」
「! 言っていません。キキョウ様のお聞き違いです」
「なるほど? では『いいえ』と。そもそも殿下との結婚は考えられないから、お断り申し上げられた。そのように解釈してもよろしいでしょうか」
「えっ。あ、はい」
――――近い。
たじたじと気圧されてしまった。
いつもサジェスに距離を詰められがちなので許容してしまったが、これは、異性相手に良くないのかもしれない。
ソファーに座る自分の足元に跪き、一心に見上げる姿勢はまるで、それこそ物語の騎士のよう。
火傷をした掌を仰向けにした手首は、まだ掴まれている。
指先ではない。キキョウの灰色の瞳に初めて見るたぐいの熱を認めて、妙に焦る。
アイリスは慌てて目を逸らした。
「……仮に、ルピナスの言うとおりだったとして。こんな貧弱な体では公務も社交もままなりません。お世継ぎだって」
「アイリス嬢」
「あっ」
しまった。時すでに遅し。
うっかり本心を溢してしまった。
仮定として話す体裁ではあったが、果たして……??
おそるおそるキキョウに視線を戻すと、やはり同じ温度の瞳。どこか、腑に落ちた表情をされた。
「……アイリス嬢。では、例えば、なのですが」
「はい?」
手首を握る指の角度が変わった。さわ、と腕の内側を指先でなぞられるような感覚が火傷より気にかかる。ひたむきなキキョウのまなざしも。
「もし。貴女にそういった負荷を要求しない……また、殿下からの求婚も堂々とはねのけられる理由を得られるとしたら、どうします?」
「すみません。仰る意味が。どういうことでしょう?」
「つまり」
するり、と手首を放された。
ほっとしたのも束の間。キキョウが恭しく頭を垂れ、胸に手を当てて騎士の礼をとっている。貴人に許しを乞う姿勢だ。
慌てふためいて「おやめください、キキョウ様」と願い出たが、全く聞いてもらえない。
どころか、その体勢から告げられた言葉に固まった。たっぷりの間を空けて、思わず素で訊き返す。
「……………………え?」
「ですから。私、キキョウ・エヴァンスの求婚を受けておられることにしてはいかがでしょうか。内々で婚約調整中であると」
――もちろん、『ふり』で結構です。
顔をあげたキキョウはいつも通りやさしい、涼しげな笑みを口元に湛えていた。