28 願いを夢に、夢はひそかに
(情けない、情けない、情けない……っ!!)
その夜。アイリスは寝台の上でもんどり打っていた。
情けないのは自分だ。歩きどおしではあったし、慣れぬ気を張った。キキョウに抱きかかえられての馬車までの道のりもそれなりに拷問だったが、問題は。
「殿下のばか……!」
誰が。
何のために、必死で気持ちを出さないようにしているのか。あのひとは、わかってるんだろうか。それとも、お構いなしなんだろうか。
――そもそも、なぜ自分を好きだなんて。
アイリスはぴたりと止まり、クッションをかかえたまま星空を映す窓の外へと視線を向けた。
つよい風に、瞬く星々。時おりカタカタと鳴る硝子。麦穂を刈り取り、焼いたあとの枯れ野を薙ぎ払う大風と雨が近づいている。
それもあって微熱があるのだろう。ぼうっとしている。考えはとりとめなく流れてしまいがちだが、気だるさのなか、懸命に思考の波を掻き分けていた。
自分には、公爵家息女としての身分しか目だった点はない。
それだって、たしか東公家にも南公家にも年頃の令嬢はいらっしゃるはず。
では――古馴染みだから?
出会ったのはわたくしが十歳の終わり。殿下が十五歳になったばかりの早春だった。
殿下には一つ下と二つ下、三つ下とそれぞれ弟妹がいらっしゃる。だから、ルピナスにもとても良くしてくださって。
……同じ顔で、体が弱い双子の片割れ。
庇護すべき対象として気にかけてくださっているのかもしれない。
それを、婚姻という究極のかたちで迎え入れようとしてくださっているのであれば。
「だめだわ。何としても、思い止まっていただかなければ」
――――どうしたら、放っておいてくださるかしら。
あのかたの妃にふさわしくない。さほど明晰でも、健康ですらない自分を。
無意識で握りしめていた手のなかから、極細の金鎖に繋がれた紫水晶を取り出した。仰向けに腕を天井に伸ばし、しゃらりと垂らす。
小指の爪ほどの石は深い、透明度の高い紫。不純物もなさそうだ。
(こんなに素敵な思い出の品をいただけたんだもの……。それで充分。あんなに)
「――っ……!」
ぼんっ、と、発火するかと思うほど途端に顔が熱くなった。いけない。だめ。あれを、思い出しては。
そさくさと寝台から降りる。ズキズキと痛む頭を無視して、窓辺の文机の一番上の引き出しを開けた。コトリ、と宝物を落とす。早鐘を打つ胸を押さえて仕舞い込み、即座に寝台へ逆戻り。めまいがして、つらい。
枕に突っ伏すと、薬湯が効いてきたのだろう。じょじょに眠気が押し寄せた。
なにか――何か、いい考えはないかしら、と微睡みながら深い、深い眠りの底へと落ちてゆく。
すこやかな体でありさえすれば。
そんな、願うことも気が引ける本当の望みを、アイリスは引き出しよりもずっと深く、心の奥底にかかえている。目を逸らしている。
――と、どこかの誰かに、こんこんと諭されるような。
宵闇の藍色に輝く、星を含む一等級のアクア輝石が、紫雲まとう暁の空に抱かれている。
そんな、幸せな夢を見た気がした。
* * *
「失礼します、アイリス嬢。お加減はいかがですか」
「キキョウ様……! ど、どうぞ。お陰さまで、そんなには」
翌朝。
思ったよりも疲労が残らなかったアイリスは、かろうじて床を離れていた。
自分でも不思議なのだが、ごうごうと唸る外の大風は予想通りとして、吐き気や目眩は例年ほどではない。起きて簡単なレース編みくらいならできそうだった。それで、手始めに図案集などを机でひらいていた。
集中したいときや休んでいるとき、侍女には隣室で控えてもらっている。
そのため、いまは一人。
荒天である以外はおだやかな午前だ。そこで、はたりと気づいた。
「? キキョウ様。あまり濡れていらっしゃいませんね。外は見た目ほど降っていませんでしたか? 良かったです」
備え付けのポットに湯と茶葉がセットされていることを確認し、ソファーへと着席を勧める。
キキョウは、少し決まり悪そうに苦笑した。
「いえ。じつは、昨夜は公邸のゲストルームに泊まらせていただいて。ルピナス様の部屋でその……会食と、いささか酒を」
「あら」
――そういえば昨夕はルピナスが来なかったな、と思い当たり、尋ねてみればまだ寝ているという。
「いわゆる成人男子の通過儀礼のようなもので。二度となりたくないですね。天地が逆さまになるほどつらいものです」
腕を組み、うんうん、と訳知り顔で頷くキキョウに、アイリスはクスクスと笑った。
「それは。弟を大人にしてくださって。ありがとう存じますキキョウ様」
「……殿下も、一緒だったのですが」
「!」
どきん、と心臓が跳ねて、つい、目をみはった。
さりげなく胸元を押さえる。顔色は変わらなかったかな、普段通りに戻せただろうか。
ぐるぐると思案していると、逸らせないほど真摯に見つめられた。
申し訳ありません、と、急に改まった声音で前置きされる。
「あの……どうしても気になりまして。アイリス嬢は、なぜ殿下の求婚を退けられるのです? 弟君は、貴女が病がちであることを気にされてると」
「ルピナスが?」
――さすが双子。
なんだか、あえて二人でいるとき話題にしなかった悩みを見透かされていたようで、ちょっと気恥ずかしい。
それを言えばキキョウに対してもなのだが。
困り顔で縮こまり、淹れた紅茶に視線を落としたアイリスに、キキョウは、どこか緊張した面持ちで告げた。
「よろしければ。…………私で良ければ、相談していただけないでしょうか。とにかく、このことに関して。貴女の本当の心をお聞かせください」