26 二度めのキスは、乞うように
サジェスが王太子として北公領でなすべきは、まずは件のロードメリア子爵家に沙汰を下すこと。
護衛のキキョウ付きではあるものの、アイリスを伴って街へ降りられたのは、一連の采配を終えてなお日程に余裕があり、領主イゾルデの快諾を得られたからに他ならない。
イゾルデ・ジェイド女公爵は国防と領地運営にしか関心を示さない女傑と見られがちだが、じつはそうでもないことをサジェスは知っている。
(でなきゃ、あんなに『娘にいたずらに手を出すな』と、煽るもんか)
――――煽る。曲解ではない。
人間とは、あまり「やるなよ」と釘を刺されると、かえってやってしまう生き物だ。
こと、サジェスは自分がその気質だと理解している。初めてアクアジェイルに訪れた夜、あえてひと気のない場所を選び、見つからぬよう小刻みに“転移”を繰り返していたことも。
最終的に朝焼けを見るつもりが、それを上回る僥倖としてアイリスを見出だせた。
最初は利発そうな弟のルピナスと瓜二つだったことに驚いて。次いで、あまりの線の細さに女の子なのだと気づいて、余計にどぎまぎした。
信じられないほどぎりぎりの生命力で『いのち』を繋いでいた。
そうして、目が離せなくなって。
話せば話すほど胸にあざやかな軌跡を残す。光の残像が尾を引くように心を持っていかれる。
アイリスは。
ひっそりと、塔に大切に、大切に隠されていた宝だ。
少なくともサジェスにとっては『そう』だし、同じものを大事にするものの直感としてイゾルデもルピナスも、キキョウも同じ。
皆、あの娘を得難く慈しみたいととらえている。
あんなにも儚く、かき消えてしまいそうに華奢なのに。触れれば瑞々しく、くらくらするほどに柔らかい。
夜のアクア輝石に揺らぐ満月の明かりのようにうつくしい、自分にとって唯一無二の姫は。
「本当に……。どうやったら『是』と答えてくれるんだろうな」
「はい?」
いまは陽の光のなか、輝くような笑みを向けてくれるアイリスが愛しくてたまらない。
本人を前に、余人が居ようが居まいが関係なくかき口説きたくなる。それを、なけなしの理性で必死に抑えているのに。
「――いや、またあとで。後ろのキキョウをまいてから言おう」
「まぁ」
「聞こえてますよ、殿下。絶対に翔ばせませんからね」
もちろん、わざと聞こえるように言った。
振り返り、ふふ、と笑っていなして見せる。
サジェスは、ずっと歩いていたアイリスを気遣い、そっと隣を窺った。
気丈に振る舞っていたが、やはり相当消耗しているように感じた。限界三歩前ほどだろう。長年の付き合いで、なんとなくわかる。
「さ、着いた。どうだ、見えるか?」
「はい。…………きゃっ!?」
夕方。
馬車で帰る前に、この景色だけは見せたくて連れてきてしまった。
広大な領土を誇るゼローナでも、たぐいまれな美観をもつ北都が、彼女の生まれ育った場所だから。
「……きれい……」
「だろう?」
落下防止のための柵は少々高い。安全のため、やや後ろに下がる。
城壁の端にある展望台で、軽々と抱えた彼女はやっぱり羽のよう。実体の薄い天女のようだった。
膝から抱き上げたから、自分よりも上にある細い頤と紅潮する頬を。優美な影を落とす長い睫毛を見上げる。さらさらと藍色の髪が風になびいて口元をくすぐった。落ちまいと首にすがる、ほっそりとした腕にどうしようもなく気持ちが募る。抑えがたく。
「アイリス」
「? はい、……っ!?」
気がつくと、腕のなかの彼女を少しだけ下ろして、乞うように口づけた。――あまく、いとおしい。柔らかに繰り返す、触れるだけのそれを、今度は拒まれなかった。
その喜びで、胸が弾けるんじゃないかと。
弾けてもいいくらいに満たされる。
本人が逃げないのをいいことに、思うままに腕のなかに閉じ込めて、唇が離れた隙にささやく。
「君が、好きだ」
「サ……ジェス殿下。でも」
「でももへったくれもない。君でなければいやなんだ。俺は」
「~~、ッ……!」
そのあと。
なにか反論しそうだなと思うたびに唇を奪うと決めて、専念すること十数秒。
見かねたキキョウが後ろ頭を遠慮なく叩いてくるまでは心ゆくまで絡めとり、難攻不落の彼女を攻め落とすことだけに徹した。