24 街歩き、ゆるまぬ手
馬車で邸を出て、真っ直ぐ北東へ。
公営市に近づくにつれて通りの様相は変わっていった。人びとは雑多で、性別も年齢も一見した職業も、何もかもがごちゃ混ぜ。
――貴族(※従者付きで確定)も。
――神官(※神官服で確定)も。
――収穫した野菜を売りに来た農夫の一家(※推定)も。
――大道芸のグループ(※確定)も。
――ゴロツキ一歩手前の冒険者らしい一団(※推定)も。
ほかは大多数が、ごくふつうの商人や町人に子ども。アクアジェイルは活気に満ちていた。
「すごい。ここが、街……」
呆気にとられる。ほかに言葉が見つからない。アイリスは、心ここにあらずといった風情で呟いた。隣でサジェスが笑う。
「まさか初めて?」
「はい」
こくん、と頷く自分が恥ずかしいが、偽っても仕方ない。正真正銘、十五歳にして初の街歩きだった。
(夜会とは違う感じ)
――“アイリス・ジェイド”としての、貴族へのお披露目とは根本的に違う高揚感。
初めて踏み入る世界は見知らぬひとや物で溢れ、全て滞りなく流れて行き交う。話し声もさまざまだ。
すれ違う人びとは、こちらを凝視することはあっても、わざわざ挨拶に来ることはない。
もちろん、こちらからも。
大袈裟かもしれないが、かなり――
「どうだ。楽しくならないか?」
「……はいっ」
絶妙のタイミングで内心を当てられ、つい返事が弾んでしまう。
くすくすと、今度は、反対側からキキョウに笑みこぼされてしまった。
「いいですね。でも、完全なるお忍びというわけには参りません。お二方……、とくに殿下。貴方は絵姿で国中に顔が知れていますし、何をどうやっても目立ちます。諦めて、そのまま人びとの耳目を集めてください。ほら、注目の的ですよ」
「べつに。見られるのは慣れてるし、わざわざ話しかけに来る民には、北都では会ったことがないが」
「…………左様ですか」
お前こそ貴族の騎士っぽいぞ、と、キキョウは小突かれている。
たしかに。
(お二人とも帯剣してるものね。当たり前だけど)
アイリスは自分を含め、まじまじと左右の人物を見比べた。
一応、三名とも街歩きにふさわしい平服に着替えている。とはいえ、明らかに貴族の出自と知れる、シンプルだが仕立てのよい一揃いだ。
キキョウは「私は元々、平凡顔なので」と嘯き、次いでアイリスに瞳を細めた。
「アイリス嬢の、そういった格好は新鮮ですね。お可愛らしいので、人拐いにだけは気をつけなければ」
「え? ――いいえ。キキョウ様は、殿下の護衛を最優先で。ほら、こんな風に、目立たないように被りますから」
言うなり、アイリスは、すぽん、と背に落としていたフードを被った。
これでジェイド家特有の髪色は隠れる。誘拐などの危険性も減るのではないだろうか。
ちなみに、いま身に着けているのは、深い赤に近い朽ち葉色を基調とするチュニックワンピース。(※侍女に、ものすごい気迫で「今年の秋の流行は、この色です」と押しきられた)
濃いブラウンの編み上げブーツや斜め掛けにしたポシェットが軽快で、いかにも街娘っぽい。
小首を傾げたアイリスは、サジェスのほうに同意を求めるように振り返った。
「殿下。そういうわけですから。いざとなれば御身を一番とお考えくださいませ」
「うん。アイリスが可愛いのは百も承知だ。大丈夫。俺は誰にも害されないし、君を守れる」
「ええ、と?」
――――おかしい。会話にならない。
ほとほと困り果てた辺りで、ようやくキキョウが助け船を出してくれた。
「さぁ殿下。せっかく貴重な休日に我儘を聞いて差し上げてるんです。さっさとお好きなところへどうぞ。もちろん、常識の範囲で」
「……お前、本っ当~に野暮だし不粋だよな。いいか? 『はぐれたら』さっさと帰れ。俺が全責任を持つ」
「なにを不吉な。イゾルデ殿に殺されます」
「それもそうか」
「そうです。助けてください」
きっぱりと未来の臣に命乞いをされ、どうやら出奔を諦めたらしい王太子殿下は、ゆっくりと歩を進めた。
* * *
広場は青空市が主で、色とりどりの天幕が張られている。売り手は異国風の老人から、こざっぱりとした美人まで。並べられるのはアクセサリー、骨董品、青果、書物、穀物。何でもござれだ。
サジェスはもの慣れた様子で、それらを覗いて回る。
「さすが北都。魔獣由来の品が豊富だな」
「そうなのですか?」
「あぁ。王都は、もっとそれ専門の店じゃないと。掘り出し物を狙うなら、路地裏に行かなきゃ無理だ。それが、ここじゃあ十歩行けば魔法具だの素材だの薬だの……。キキョウ。騎士団は、こういった市中の見廻りや業者への取り締まりは?」
顔は緩いまま、妙にきびきびとサジェスが問う。二人の後ろを歩いていたキキョウは、すんなりと答えた。
「あまり細かくはしていませんね。通報があったり、閣議の決定があれば、その指針に応じて一斉摘発なども行いますが。通常、我々の警らは治安維持のためです」
「まぁ……そうだな。王都もそんなもんだ」
――魔法具。素材。薬。
正規品を扱うには、最終的にはその地を治める領主の許可が必要になる。特別な資格や税金も。
そのため、辺境近くの呪い屋や後ろ暗い業者は、たいてい非認可で営業している――と、アイリスも思い出した。騎士団の遠征報告に関する調査で、そんな記述を読んだ覚えがある。
それで、たたっと走り込んでサジェスに並び、横顔を見上げた。
「殿下は、今日はそういう視察なのですか?」
「いいや? 単に、元気になったアイリスと出掛けたかっただけだ」
「……うっ」
たじろぐアイリスに、追撃のようにサジェスが手を伸ばし、肩を抱く。
あ、と声が漏れたが、たまたまよそ見をしていたところ、古着屋の軒下に垂れた布がひらひらと顔にかかるのを阻止してくれたらしい。慌てて緊張を解いた。「申し訳ありません」
「構わない」
「……殿下? あの。もう離してくださっても」
若干赤くなった頬を誤魔化すように、目を逸らしてお願いする。
サジェスは、自由なほうの手をアイリスの耳に添えると、内緒話の体で囁いた。
「さんざんイゾルデ殿から止められているが。君さえよければ、俺は、いつでも君の側に行きたい」
今夜も行っていいかな、と聞かれて、アイリスは全力で「だめです」と、やんわりと王子の顔を押し戻した。
(~~! あれっ、は、不可抗力……!!!!)
完全にそっぽを向いたが遅かった。
真っ赤な顔は、ばっちり見られてしまった。