23 ラミアの瞳
ふわっと、侯爵令嬢ルシエラさんのターンでお送りします。
「ねぇねぇ、お聞きになって? ロードメリア家のポーラ様のこと」
――秋の日の昼下がり。
ざわざわと賑わう公営市の近くに、隠れ家風のカフェテリアがある。
通りからカフェまでは白い木の柵を境に、小石を敷き詰めたうねる小道が続く。梢の向こうにはベージュの壁と赤い屋根。二階はない。
外観は、おとぎ話の森の魔女の家をもう少し豪奢にしたような雰囲気だった。
入り口に置かれた四角い木の看板は深い緑に塗られ、白抜きに金の縁取りで“フェリーチェ”と流麗な飾り文字。
その下には、細かい黒字で“貴族専用貸出サロン”とある。
街の喧騒から離れてゆったりと過ごせるこの場所は、グレアルド商会が所有する完全予約制の貸し切りカフェだった。顧客は主に、未婚の貴族の少女たち。
自宅でサロンをひらく貴婦人に憧れる彼女たちにとって比較的安価に借りられる“フェリーチェ”は、絶好の溜まり場だった。ほぼ毎日顧客が入っている。
この日も。
罪のない、きらびやかな少女たちによって、最近お決まりの話題が繰り広げられていた。
* * *
話を振られた少女ネリィニは、一見、ひどくその名に同情を示した。
「――あぁ、お可哀想よね。少し前までは、お父君の羽振りもよくて、贅を凝らしたお洒落であちこちの夜会にいらしてたのに」
「お父君の失脚で、せっかく進んでたアルバ伯爵との縁談も白紙にされてしまったのですって」
「まぁ」
「呆れた! あれだけ、サジェス殿下に首ったけでしたのに」
くすくす、くすくすと笑い交わす彼女たちは、全員がグレアルド侯爵家に連なる分家筋だった。
夏のジェイド家の夜会から爪弾きにされ、色々と鬱憤が溜まっていた令嬢がたは、元『お友達』の家が起こした醜聞に夢中で忙しい。
そのため、大きな楕円のテーブルに盛られた菓子類はなかなか減らず、今日のサロンをひらいたルシエラ・グレアルドは、ふう、と溜め息をついた。
一昨日、ようやくアクアジェイルに帰ってきた。自分から言い出したこととはいえ、父の商売講座は長かった。
菓子は、夏に赴いた東のエスト港や、帰りに回ってきた王都のお土産だったのに。
元々、帰りに包んで持たせるつもりではあったが、目の前で全く手を付けられないのは寂しい。
なので、心から残念そうに面々を見渡した。
「みんな。そんな悪し様に言うものではないわ。いくら子爵が独断で、父の商会のルートから件の魔獣素材を売りさばいたのだとしても」
「はぁい」
話題を提供した令嬢がとたんに、しゅん、と縮こまる。
ルシエラは艶然と微笑んだ。それに、居並ぶ六名の取り巻きがぼうっと見とれる。
――――微弱な“魅了”が発動した証。
甘い、独特な香りがする。
彼女たちに淹れた、深い色の紅茶から。
古来より違法とされるのも頷ける。
魔獣素材『ラミアの瞳』は、魔力耐性の低い人間には、面白いくらい効果てきめんだった。
先日摘発された横領の実行犯ジオ・ロードメリアは、姪のポーラを溺愛していた。物珍しいものが大好きな彼女のおねだりのまま、危険な素材を精製した薬品をいくつも渡すくらいに。
「本物の媚薬なんですって」と自慢してきた彼女をいさめ、「父に渡して処分してもらう」と受け取ったのは、十五歳だった自分だ。
たしかに、そのときはそのつもりだったのだが。
ちょうどサジェス王子が北公領騎士団に赴任し、皆の話題をさらっていた時期だった。
父に付いて挨拶に行ったとき、一目で心を奪われた。
だから。
初めての夜会で、ポーラから取り上げた『惑いの右目』を、乾杯用のワインに混ぜたのに。
ほかの客は皆、対になる『支配の左目』を飲んだ自分に、大なり小なり魅了されたのに。
ルシエラは目を閉じ、片側の肘置きにもたれて、ひそやかに呟いた。
「…………お慕いするかたの魔力が、とびきり濃くて強いのも考えものよね」
「? 何か仰いまして? ルシエラ様」
「いいえ」
ふふっと笑むルシエラは、頬にかかる癖のある金の後れ毛を、くるくると指に絡めた。
そろそろ、次の一手。
あの病弱な公爵令嬢なら、ちょっと毒でも盛れば問題なく害せる。妃候補になんかさせない。
さて、『在庫』になにか適当なものはあったかと考えを巡らせた。そのときだった。
そう言えば、と、ネリィニが首を傾げる。
「ご存知でした? ルシエラ様。ジェイド家のアイリス様が近頃、体調がよろしいらしいの。街にも降りておいでだから、見かけた下男が興奮して騒いでいて。ちょっと、はしたなかったわ」
「街に……徒歩で?」
「えぇ」
ルシエラは目を瞬いた。
アクアジェイルの治安は悪くない。貴族の令嬢が出歩くのは、供さえ付ければ珍しいことではないのだが――あの、アイリス・ジェイドが??
「……それは良かったこと。弟君とかしら。仲睦まじいものね」
耳を疑いながら、ぼんやりと相づちを打つ。
ネリィニは、ことさら顔をしかめた。
「違うんです。それが、先日から公邸に滞在してらっしゃるサジェス殿下と、護衛のエヴァンス伯爵子息のキキョウ様と三人だったのですって!」
「ええぇっ」
「うそーーー!?」
少女たちが、きゃあきゃあと嬌声を上げるなか、ルシエラは一人、静かに口元に指を添えた。
そっとこぼれた一言を、今度は誰も聞き咎めない。
「――ひょっとして、まさかだけれど、ご婚約が近いのかしら」
お祝いの席を考えなきゃいけないかしらね、と、瑞々しい唇が何げなく刻んだ。
(次回、主人公のターンです!)