20 アイリスというひと
知恵熱ではないはず。断固、違うと言い張って五日前から寝込んでいた。その間に事態が急転したのだという。
十の月半ば。
雨天の遠征時に起きた事件のあらましを、アイリスは寝台のなかで聞いた。
* * *
「なんてこと……。ロードメリア子爵の弟君が」
犯人だったなんて、という台詞はかろうじて飲み込んだ。部屋には、ほかに侍女もいる。正式な取り調べがこれからである以上、特定の家名を貶めるような発言は憚られた。
いっぽう、何ら隠すことなくすっきりと話し終えたルピナスは、ひょい、と肩をすくめる。
「まあね。相談を持ちかけたときは、先輩がたも半信半疑だったから。でも、アイリスのことを話したらすぐに動いてくれたよ」
「!? どうして。わたくし?」
――おかしい。根拠の基準がわからない。
話しやすいように、と気を利かせて、体を起こすのを手伝ってくれた侍女の一人に礼を述べつつ、びっくりし過ぎて叫びそうになった。
冗談でもなさそうな弟の真面目な顔に、背当てのクッションにもたれながらくらくらしてしまう。
「――帳簿のこと。見つけてくれたのはアイリスだろう? 私たちは、つい目の前の荒事を優先させがちだから。魔獣を倒したら、それで解決した気になってしまう。そういう、細かなところにも気を回さないとって。みんな、反省してたよ」
「細かなところ……ええぇ。反省って……」
「母上も感心してたし」
「!!! うそっ?」
「うわっ」
「あ、ごめんなさい。急に大きな声を」
「いや、いいけど」
しまった。今度こそ、叫んでしまった。
母が感心…………。
……感心?
(あの、鬼上司のような母上が?)
目をいっぱいにみひらくと、ルピナスが、おもむろに表情を寛がせた。「良かった。思ったより元気そうで」なんて微笑むから、余計に何も言えなくなる。
「ううぅっ」
至極、複雑。
困り果てたアイリスは、もう、と呟いたきり、ゆるゆると肩を下ろして、くったりとクッションに身を預けた。
――――――――
結局、官舎に通えたのは三日に一度の頻度でおよそ半月。
母に報告できたのは『騎士団の遠征会計の収入らんに不備あり』という、それだけだった。
それでも、精一杯に調べた。
収入は現金ではありえない。
騎士団は、助けた民間人からの謝礼などは、いっさい受け取らない方針だからだ。
よって、ルピナスに頼んで担当団員の日誌を写させてもらい、直近一ヶ月の収支と討伐内容を照らし合わせた。
遠征は定期の見回りが週に一度。ほかは民間組合からの要請や、国境付近での目撃情報による緊急性の高いものがたまにある。
そこで仕留められた魔獣の種類と頭数。得られた素材の内訳。
――不自然な空白。
欠けた細目は、まさにそれだった。
だんだん持ち前の知識や資料では足りなくなったので組合から一覧を取り寄せ、素材の買い取り価格も調べた。
一般的な魔獣図鑑では素材の説明が大まかすぎたし、収入金額との釣り合いが全くわからなかったのだ。
が、残念ながら、そこでギブアップ。
ふわふわと熱が出始めた体で母の執務室に行けば、せっかくまとめた報告書よりも、明らかに体調を崩していることを指摘されてしまう始末。
真顔のイゾルデに『……ご苦労様でした。とにかく、熱が下がるまでは絶対安静。休みなさい』と厳命され、腕っぷしの強そうな辣腕侍女二名を付けられて塔まで連行された。それが五日前。
その、わずか五日間で不正を暴いて、犯人を捕らえてしまうとは。
(凄いわ……さすが騎士団。やることが早い)
アイリスは、ついつい黄昏れてしまった。
手のなかの、独特な甘苦さのある熱冷ましの薬湯を含む。
――はたして、自分は公爵家の娘として、母や弟の力になれたのだろうか。
拙い調査に半月もかけてしまったこと、中途半端だったことが申し訳ない限りで、くよくよしていると、「こら」と、頭突きをされた。
「!? 痛いっ?」
「アイリス、いま、『自分は何にも役に立てない、ジェイド家の穀潰しだわ』とかって考えただろ」
「そっ、そこまでひどくは考えなかったわ!」
じつは、ほぼほぼ図星なのだが全力で否定する。
ルピナスは、うんうんと頷きながらアイリスの頭を撫でた。
「はいはい、落ち着いて。顔が赤い。熱が上がったら、私が騎士団の先輩がたから殺される」
「? すごく物騒ね……?」
「ものの喩えだよ」
「あ、はい」
しゅん、としたところで空になっていた薬湯の器を取り上げられる。
ルピナスは、コト、とサイドテーブルにそれを置くと、自分よりもはるかに色白の姉の手をとった。
力づけるように、握る。
「言っただろう? アイリスは、ちゃんと、みんなに大事にされてる。今回だって、騎士団とも文官とも適度に距離があって、公正な見方ができるっていう判断で、アイリスに白羽の矢が立ったんだ。今日、母上から聞いた」
「…………ほんと?」
「本当だよ」
うたがうように首を傾げながら、一心にこちらを見つめる夜色の瞳が潤む。
ルピナスは、きゅ、と胸を痛めた。
アイリスは、滅多に身内に泣き顔を見せない。たとえ、どんなに体がつらくても。
いつも穏やかで、やさしくて、何もかも諦めているようでいながら、本当はものすごく自分を律するひとなのだ。
ルピナスは、姉についてそう思う。――ほら、いまだって泣かない。その強さが。
(放っとけないし、団の先輩がたも、こぞって鼻の下伸ばしてんのに。あの愛情表現皆無の母上ですら、あなたがデビュタントで倒れたときは空気凍らせてたんですけど……?)
主に、こっそりやんちゃをしたらしい第一王子殿下に。
それとなく手を引っ張り、頭を抱え込んで肩に当てさせると声のない嗚咽。仕方ないなぁ、と苦笑した。その時だった。
コンコン、と表側の部屋で扉が鳴らされる。対応のためにそちらへ出た侍女との会話が細切れに届く。
――……。
――まぁ、それは……。
(?)
ちょっと不穏な気配に、む、とルピナスは口の端を下げた。戻ってきた侍女にすぐに尋ねる。
「どうしたの」
侍女は組んだ手を胸に当て、あわあわと答えた。
「も、申し訳ありません。来月お越しになるはずだったサジェス王子殿下が、もう見えられたと」
「……………………は?」
「!!!!!」
びくり、と奮える肩が如実に語る。
軽々しく予定を繰り上げる奔放さも王族としてアレだが、大事な姉に、いったい何をしてくれたのか。
(先輩がた。殺すべきは、私じゃない。あの派手王子です……!!)
奇しくもキキョウと、サジェスの呼び名が完全に被ってしまったルピナスは、苦虫を噛み潰した顔で、ぽんぽん、と姉の背を叩いた。
「――さ、アイリス。どうします? 居留守使うんなら、よろこんで協力するよ」