19 【幕間】捕りもの劇
秋雨が降りそぼる。
ザアァ……と、間断なく続く音は、国境沿いの砦にほど近い荒れ地に展開する騎士団員らの耳を鈍らせ、連携を著しく邪魔していた。
散開する彼らの対角線を結ぶ位置に、樹の幹ほどはあろうかという蛇体をくねらせ、睥睨する女王のような視線を走らせる異形がいる。
上半身は裸体の女。下半身は蛇の魔性。古代より“ラミア”と呼ばれる上位魔獣だ。
ラミアの顔立ちは悪くないのだが、いかんせん状況が悪すぎた。せっかくの艶やかな長い黒髪は、長時間の野外戦で乱れてびしょ濡れ。ところどころに折れた矢が刺さっており、怒り狂う口元には鋭い牙と二又の舌が見え隠れする。
鱗は緑銀。腹は泥に汚れた、ぬらりとした白。古代よりも太古の神世では、白い翼もつ神々の一柱だったらしいが――いまは、ことの真偽を確かめる術はない。
放っておけば、近隣の家畜は一頭残らず喰われてしまうだろう。
運悪く捕まれば人間も。それだけは避けねばならなかった。
「弓隊、射よ!」
「はっ!!」
隊を率いる騎士団参謀ロランド・ローウェンは、右手側で引き絞られる弓と、つがえる矢を視認することなく号令を発した。細身の体躯に似合わず声は轟き、雨音をかきけすように伝播する。
「火魔法詠唱! 対象上半身をファイアサークルで取り囲め! 長槍、尾を刺し押さえよ!」
「ははっ!!」
そこからの戦況は疾かった。
指令と寸分違わぬ、一矢乱れぬ統率の元、連携は次々と奏功し、最終的にロランドがつがえた剛弓から矢が放たれて、ラミアの眉間に突き刺さる。
断末魔。
やがて身をうねらせる力も失せた蛇体が静かに横たわったとき、ちょうど雨も止み、隊員らの歓声が響き渡った。
「隊長、素体は」
「ラミアだからな。鱗が闇系魔法の防御属性付与の媒体になる。本当は、ほかの部位にも効果はあるんだが――ジオ、疵のない部分の鱗を取ったら、全体を燃やせるか。それから埋めたい」
「はい」
ジオ、と呼ばれた初老の騎士は慇懃に、直礼で応じた。
商会で有名なグレアルド一門から輩出された彼が、異色の魔力の強さを認められて最短で正騎士となったのがおよそ三十年前。以来、広範囲の殲滅攻撃を得意とする“業火魔法”の使い手として重用されている。
特性上コントロールに難があるものの、本人を起点に半径二十メートル離れれば味方は無事でいられた。
とくに、今回のように息絶えた素体を消し炭にするには彼の魔法が必要不可欠で、遠征のたびに同伴するのが常だった。
だから、皆、知らなかったのだ。
魔法を発動させたあと、ジオが炭化した魔獣からこぼれる、その魔獣がもっとも強い魔素を秘めた部分を抜き取っていたのを。
およそ非合法とされる『ラミアの瞳』のような稀少品をくすね、自身の一族の母体へと横流ししていたことを。
――――彼自身、そうして得られた非合法な薬剤によって魔力を得た使い手であることを。
しかし。
今日は、音もなくジオの背に近寄り、とん、と肩を叩く者があった。
「!!!」
「ジオ殿、それは?」
「えっ。あ…………あの。ル、ルピナス様。なぜ」
――先月、十五歳になったばかりのジェイド公爵嫡子ルピナス。
まだ若いとはいえ、その佇まいにはすでに覇気のようなものが備わっており、ジオは思わずおろおろする。
それから、しまった、と唇を噛んだ。
ルピナスは、まだ騎士見習いだ。
本来ならこんな実戦に参加はしない。
なのに、なぜ。
(そう言えば、ロランド隊長の側でずっと待機してる魔法士がいた。雨で、フードを被りっぱなしだったから見落としていたが……まさか!?)
目を剥く。背に冷や汗が流れる。
カラカラに乾いた喉からは、うまく声を出せなかった。
ルピナスは、すうっとまなざしの温度を下げて、静かに告げた。
「その、暗い赤。『ラミアの瞳』ですね。違法触媒で、依存性の高い媚薬の原料になるという」
「!! ち、違……ッ」
「違いません。調べました。ほかにも、一週間前に仕留めた“氷狼”の爪は稀少な氷属性の付与のほか、じわじわと身を蝕む毒となる。然るべき手順で精製すれば、暗器に塗られるような」
「お、おれ、は」
ずぶ濡れのマントをまとう初老の騎士――だった男は、ぶるぶると震えだした。
話している間に、今度は自分が、さっきまでのラミアのように隊員たちに取り囲まれているのを知る。
曇天よりもどんよりと淀み始めた目を、年若い北公子息の後ろへと流した。
そこには、すでに“障壁魔法”でルピナスを含む隊員ら全員を防御するキキョウ・エヴァンスの姿があった。
(~~!)
ジオが俯き、肩を落とす。
馬上のロランドが束の間、口を引き結ぶ。
一瞬の無念。憤り。それから、ひときわ低い声音で本日、本懐の指令を発した。
「ジオ・ロードメリア。長年の違法触媒の採取および横領の疑いにより、貴殿を捕縛する。今後、いっさいの抵抗は無駄なものと心得よ……!」