18 双子調査
暦は九の月。アクアジェイルの短い夏はあっという間に終わってしまった。
秋ともなれば昼はどんどん短く、斜陽は長く。北都の景観をなす輝石の壁は夕暮れどき、ごくわずかな間オレンジ色に染め上げられる。――それは、街の外から見ればとびきり華やかなのだという。
そんな風に語ってくれたサジェスが再び公務に訪れるのは、十一の月。おそらく中旬。
手紙で知って以来、緊張や気まずさもあって、アイリスはそわそわと日々を過ごしていたのだが。
「いらっしゃい、アイリス。あなたに頼みたいことがあるの」
「……はい?」
青天の霹靂。とある昼下がり。
砦視察の帰りらしい凛々しい騎士装束のイゾルデは、旅装を解かぬまま、有無を言わせぬ勢いでアイリスの塔を訪れた。
* * *
今年は涼しさのなかにも晴天に恵まれ、各地は豊作。麦の刈り入れも順調だという。
冬を前に、徐々に保存の効く木の実や果実も収穫のときを迎え、それらを公邸に納めるために出入りする業者が連日、引けも切らない。
広大な敷地内には麦畑も果樹園もあったが、ここで暮らす人員を養うには足りなかった。また、新年の祝賀会などの催事やもしもの際のため、当然備蓄は必要となる。
生活必需品のほかは、酒や嗜好品、大量の布地に医薬品。雪に閉ざされる前の北の大地は、とにかく忙しい。
そんな、どことなく浮き足立った官舎の一隅まで連れて来られた、アイリスが目にしたものは。
「何ですか、ここ……」
最初はちいさな書庫かと思った。
見渡す限りの書類、冊子。壁に書架。
が、一つしかない机の上で千本通しに串刺しになった領収書らしきものが見えて、ここがどこか繁忙部に関わる事務室だと当たりをつける。
うず高く積まれた書類の山は種類別に分けてあり、掃除も行き届いていた。気管の弱い自分を慮ってくれたのかな、と、アイリスは無人の席の前に立って周囲の書棚を窺う。
扉を開けたまま、つかつかと娘の横まで歩んだイゾルデは手を伸ばすと、卓上に伏せてあった白いプレートを立てた。
アイリスは身を屈め、そこに刻まれた文字を読む。
「騎士団内務…………監査部?」
「そう。あなた、地道な数字合わせとか特定品目の洗い出しとか、辻褄の合わないものをチェックする作業、嫌いじゃないでしょう?」
「えっ? はい。まぁ、それは……。去年、少しだけお手伝いをしましたから」
――昨年、十四歳になったばかりのアイリスは、日頃お世話になっている厨房の甘味係が計算が苦手で、未整理の伝票がたくさんあると嘆いているのを聞いたため、こっそり手伝っていた。
とはいえ、彼女らの職場に入り浸るわけにゆかず、適当に運んでもらった紙束を順に整理していっただけなのだが。
(どうしてご存知なのかしら)
母は、ほぼ軍務や北方統括など、外向けの仕事漬けのはずなのに。
ひょっとして、先のサジェス王子の求婚も知られているのでは……と、脈絡なく気恥ずかしくなり始めたとき、イゾルデは淡々と告げた。
「あなたの体調がいいとき、起きられる日だけでいいわ。全部を洗え、とも言わない。ざっと見て、気が付くことは教えてほしいの」
* * *
「――で、そんな文官めいた真似を?」
「えぇ」
夕方、いつも通りに塔を訪れてみればもぬけの空。侍女に教えられてここに辿り着いたルピナスは、呆れたように姉を見つめた。
「それにしたって。そろそろ上がれば? 初日からそんなんじゃ、持たないだろ」
「うーん……。わかったわ」
トントン、と不揃いな伝票を卓に打ち付け、端を揃えて置く。陶器の文鎮で押さえた。
塔までの帰り道は、ルピナスが付き添ってくれた。
傾いた陽射しが足元に長い影を作る。それが、二つ。何気なく話をふられる。
「あぁいう数字の山って、滅入らない?」
「ううん。そんなには。ちゃんと日付や品目も書いてあるし、物やお金の流れが見えて……その、ちょっと面白いかも」
「ええぇ。すごいね。母上もちょうどいいところに目を付けちゃったな」
信じられないものを見るまなざしの弟が面映ゆく、話題を変えようかな、と思った矢先、ふと訊きたいことが生まれた。つんつん、と、目の前をゆくルピナスの、脇腹のあたりの布地を引っ張る。
「ねぇ、騎士団が業者から購入するのが食料関連が多いのは納得として、遠征のたびに収入があるのはなぜ?」
ぱち、と夜色の瞳を瞬いた弟はしばらく足を止めた。服を掴まれているのは好まないらしく、手を外されてそのまま握られる。ふつうに手を繋いで、再び歩き出した。考え事だろうか、横顔がだんだん険しくなる。
騎士見習いの彼には、まだわからなかったかな、と諦めた頃だった。ふいに、立ち止まられた。
夕日を受けて、茜色に照り返す髪がなびく。
弟の鋭い表情は母にそっくりだった。
「それ、細目が空欄なの、良くないやつだ。遠征で騎士が仕留めるのは、魔族領からあぶれた盗賊もなくはないけど、大体は国境付近をうろついてる魔獣だから」
「え」
「……担当者、誰なんだろ。魔獣の死体はその場で解体して、使える素材は持ち帰るって聞く。あとはその場に埋めるって」
ひやり、と風がつめたくなったのは気のせいだろうか。アイリスは不安げにルピナスを見つめた。
「アイリス、それ、結構でかい案件任されたのかも。私も騎士団の先輩にそれとなく聞いてみる。がんばって。裏をとれれば何かの不正がわかるかも――あ、でも」
「は、はいっ?」
にこっと微笑まれる。なかなか見ない表情だった。
――――くれぐれも根を詰めすぎないように。倒れない程度にね、と釘を刺された。